ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

庭の秋色ーフジバカマとムラサキシキブ

 

 ずい分と秋めいてきました。ここ数日は、肌寒い朝や冷たい雨の日もありました。庭の柿の実も日に日に色づき、どんどん採っては食べたり、あげたりしています。

 そんな庭の中で、半年あまり楽しみにしていたフジバカマの花が咲いて、小さな糸くずのような花を見せてくれています。楽しみは、「旅する蝶 アサギマダラ」がやってくることですが、その姿をまだ見ることができていません。新聞で、姫路市の方の庭のフジバカマにアサギマダラがやってきたという記事と写真が載っていました。南へと旅するアサギマダラがやっぱり来ているんだと思うと、まだ望みはあると思いました。

 もう一つの色は、ムラサキシキブの小さな紫色の実でした。前に子供たちが贈ってくれたものを育ててきましたが、今年も可愛い実をつけてくれました。まだ木が小さいのですが、これからも大事に育てようと思っています。光が当たって、小さな紫の実が浮かび上がって見えました。

 



 

社学園社小学校で第1回運動会ー旧5校の校章とともに

 


 25日(土)、この春に開校した社学園の社小学校の記念すべき第1回秋季運動会が行われました。心配された天気も曇り空で少し冷たい風が吹きましたが、子供たちの熱気で盛大に行われました。

 児童数約800余名に、参観の家族はそれよりも多かったのではないかと思いました。運動会は社中学校のグラウンドで開催され、中学校の吹奏楽部も出演し演奏で応援しました。

 オープニングに色組応援合戦が行われました。赤、白、青、緑の4組が大きな声とパフォーマンスで力強い応援を披露しました。その中で、旧社小、福田小、三草小、米田小、鴨川小の5校の校章と社学園社小の校章が運動場中央に集合し、団結を示しました。

 来賓席のテントは社小学校、三草小学校のテントでした。内側から見ると、昭和61年7月吉日PTA寄贈のものでした。約40年前といえば、社小でお世話になった我が家の4人の子がまだ入学する前のこと。私は嬉野に開校して5年目の兵教大附属中教員だった頃のことです。歴史を感じましたね。

 



 

柿を食べにきたヒヨドリ

 24日(金)の朝、庭の柿の木にヒヨドリがやってきました。枝に止まって実をついばんでいます。葉が落ちているので、柿の木の枝、鈴生りの実と、やってくる鳥たちの姿がよく見えます。先日紹介したネコの姿も見えます。

 今朝は、ヒヨドリが柿の実を食べているところを写真に撮りました。目の後ろの頬のところが赤いのが見えました。

 


 

柿の木にヒヨドリの姿

 23日(木)の朝、庭から鳥の鳴き声が聞こえてきました。いつものムクドリたちのワイワイガヤガヤではなく、一羽のヒヨドリの鳴き声でした。

 カメラを向け、急いでシャッターを押しましたが、一瞬で飛び去ってしまいました。冬にはヒヨドリが寒風に頭の毛を逆立てている姿をよく見かけます。ヒヨドリも柿の実を食べに来たんでしょう。今年は鈴生りなので、いくらでもどうぞという余裕の気分です。ただ、ムクドリの集団朝食には黙っておれません。

 今日のヒヨドリは体型もスマートでした。これから秋が深まり、冬が近づくとふくらんでくるのかも、などと思いました。

 

 

ツグミー夕日を受けて景色はいかが?

 10月17日(金)の夕方、駐車場に車を入れて、社のランドマークの関電タワーの夕景を眺めている時、背後から鳥の鳴き声が聞こえてきました。

 振り向いて探すと、民家の屋根の瓦の上で、一羽の鳥が鳴いていました。鳩でもなく、ハクセキレイよりも大きく、何だろうと思いつつ、カメラを向けてズームしてみました。その大きさ、目のところの一筋、全体の色などから、ツグミかなと思いました。あの位置からだと、夕景も格別だろうなと思いました。

終戦80年 若人の広場で戦没学徒の追悼

 

 

 21日(火)、南あわじ市の大見山にある「若人の広場」で、戦没学徒の御霊を追悼する祭と式が行われ、出席して祈りを捧げてきました。

 詳しくは、同じ「はてなブログ」の私のブログ「百聞百見」に紹介していますので、参考に覗いてみてください。この歴史ブログでは、ペン先を象った記念塔のまわりを舞い飛ぶカラスや「みたま慰めの舞」、大見山の広場公園の全景などの写真を紹介します。

 全国で唯一の戦没学徒追悼施設の「若人の広場」を象徴するのがペン先を象った記念塔です。大見山に天に向かって立つ塔は、海を行く船舶や鳴門大橋を走る車からも望むことができます。その塔の上空には、厚い雲が垂れこめていましたが、数羽のカラスが舞い飛び、時折り、先端の避雷針でしょうか、棒に止まります。以前はトンビがよく舞っていたように思いますが、今日はカラスでした。

 その塔を望みながら、施設の広場で追悼の祭と式がそれぞれ午前、午後に行われました。午前の追悼祭は、31回目を数え、神道青年会の若き神職が斎行しました。その中で、山口市の朝田神社の禰宜さんらによる神楽「みたま慰めの舞」が奉奏されました。ゆったりとしたリズムで舞われる姿をきっと英霊の御霊も天からご覧になっているだろうと思いました。

 午後の追悼式は県主催の宗教色のない式でしたが、自衛隊中部音楽隊による、「海行かば」とさだまさしの「いのちの理由」、荒井由美の「ひこうき雲」の3曲が献楽されました。男女の隊員の透き通るような歌声は、大見山の空に、そして出席者の心に響き渡りました。

 追悼の心を形として、神道、仏教、キリスト教の形式に従って祈る祭は日本人の心にそったもので、大切にしたいと思います。追悼祭が神道の形式に順じながら、仏教徒キリスト者がそれぞれ、般若心経、賛美歌を捧げる形がとられているのに何の違和感もありません。

 祭、式には、県内はもちろん、全国から遺族会、神社関係の皆さんが出席されました。加東市からもの神社の宮司さん、日本会議の会員さんが参列されていました。終戦80年の節目の年の追悼祭の紹介でした。

 



 

柿の木に猫が 

 午前10時過ぎ、ふと庭の柿の木に動く黒い影に気づきました。カラスか、と思い、窓に近寄り、カメラを向けてズームしてみると、なんと猫でした。

 灰色の縞模様の猫で、時折り庭に来ている猫でした。あんなところで何を、と思いながらしばらく眺めていました。はじめは柿を食べにきたのかと思っていましたが、どうもその様子はありません。では、柿を食べにくる鳥を狙っているのか、と思い、またしばらく待ちましたが、鳥はやってきませんでした。

 しばらく経って、もう一度柿の木を見てみると。猫の姿はありませんでした。何をしていたのでしょうか。