

21日(火)、南あわじ市の大見山にある「若人の広場」で、戦没学徒の御霊を追悼する祭と式が行われ、出席して祈りを捧げてきました。
詳しくは、同じ「はてなブログ」の私のブログ「百聞百見」に紹介していますので、参考に覗いてみてください。この歴史ブログでは、ペン先を象った記念塔のまわりを舞い飛ぶカラスや「みたま慰めの舞」、大見山の広場公園の全景などの写真を紹介します。
全国で唯一の戦没学徒追悼施設の「若人の広場」を象徴するのがペン先を象った記念塔です。大見山に天に向かって立つ塔は、海を行く船舶や鳴門大橋を走る車からも望むことができます。その塔の上空には、厚い雲が垂れこめていましたが、数羽のカラスが舞い飛び、時折り、先端の避雷針でしょうか、棒に止まります。以前はトンビがよく舞っていたように思いますが、今日はカラスでした。
その塔を望みながら、施設の広場で追悼の祭と式がそれぞれ午前、午後に行われました。午前の追悼祭は、31回目を数え、神道青年会の若き神職が斎行しました。その中で、山口市の朝田神社の禰宜さんらによる神楽「みたま慰めの舞」が奉奏されました。ゆったりとしたリズムで舞われる姿をきっと英霊の御霊も天からご覧になっているだろうと思いました。
午後の追悼式は県主催の宗教色のない式でしたが、自衛隊中部音楽隊による、「海行かば」とさだまさしの「いのちの理由」、荒井由美の「ひこうき雲」の3曲が献楽されました。男女の隊員の透き通るような歌声は、大見山の空に、そして出席者の心に響き渡りました。
追悼の心を形として、神道、仏教、キリスト教の形式に従って祈る祭は日本人の心にそったもので、大切にしたいと思います。追悼祭が神道の形式に順じながら、仏教徒、キリスト者がそれぞれ、般若心経、賛美歌を捧げる形がとられているのに何の違和感もありません。
祭、式には、県内はもちろん、全国から遺族会、神社関係の皆さんが出席されました。加東市からもの神社の宮司さん、日本会議の会員さんが参列されていました。終戦80年の節目の年の追悼祭の紹介でした。