ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

2006-01-01から1年間の記事一覧

配給の時代-菓子

昭和17年5月-お菓子も配給 さまざまな物資が配給となったこの時代に、家庭用の菓子も配給になっていました。 昭和17年5月29日付の社町長から各部落会長宛の通知「家庭用五月分菓子購入券送付ノ件」から菓子の配給についてみると、次のようになって…

昭和18年-年頭の誓

大東亜戦争二年目-必勝の誓 昭和18年(1943)の年頭にあたり、大東亜戦争必勝の誓いを呼び掛けたビラがあります。遠い昔のことのようですが、わずか60年余り前のわが国の姿を見ることができます。 小学校に勤務していた昨年、老人クラブの方から戦…

配給の時代-肉

昭和17年-精肉の配給 昭和17年9月の社町長から各区長充ての「九月分一般家庭用精肉購入券送付ノ件」通知があります。要約しますと次のようになっています。 ○9月分第1回の精肉配給 ・購入券は以下の割合で送付する。 社区 5人以下1戸に対して50…

配給の時代-石鹸

昭和17年-月に1個の石鹸で 昭和17年(1942)7月分の家庭用石鹸割当に関する社町長から各区長宛ての通知があります。 配給については、昨日のブログでさまざまな物資が配給になっていたことを紹介しましたが、そのうち、石鹸の配給についてみてみ…

こんなものが配給になっていた

昭和15年から18年-こんなものが配給になっていた 「購入券配給書類」第一号(社町社区)から、当時、配給になっていたものをあげてみると、つぎのようになります。モノが溢れる現在の生活からみると、えっ、こんなものも配給になっていたのか、とびっく…

貝原に弥生時代の住居跡

2世紀頃の竪穴住居 国道372号線の工事現場で、弥生時代の後期、今から1800年余り前に貝原地区に人が住んでいた証拠である住居跡が見つかりました。偶然その発掘現場で説明会が行われているところを通りがかり、当時の生活地面に下り立ち見学させても…

豆腐の配給

昭和18年4月、豆腐の配給が始まる ここに昭和18年4月から19年3月までの社町社区の「購入券配給書類」第二号と表紙に書かれた書類綴じがあります。 その中に豆腐の配給実施について、社町長から各区長に宛てた通知がありますのでみてみましょう。 昭…

昭和12年-社、加茂、滝野三ヶ町合併参考書

合併後の通学区変更案 昭和8年(1933)に社町と加茂村の合併協議が進んでいたことは以前にこのブログで紹介しましたが、ここに昭和12年7月の日付の「社、加茂、滝野三ヶ町合併参考書」と題した印刷物があります。「予算ノ部(抜粋)」と「学級編成其…

疎開

昭和19年-疎開者の受け入れ ここに「防空対策疎開ニ関スル件」と題した印刷物があります。当時、疎開者をどのように受け入れていたのかを知る参考になります。 一、一般疎開者のための住宅斡旋 1疎開は家族制度を破壊せず一家族を揃えて実施然れば住宅の…

大東亜戦争一周年記念の日

昭和17年12月-開戦記念日を迎えて 昭和16年(1941)12月8日、米英に対して宣戦布告をしてから一年後の17年12月、社町役場、社町銃後奉公会、大政翼賛会社町支部、社町翼賛壮年団名で「大東亜戦争一周年記念日を迎えて」と題した行事実施に…

昭和18年-隣組回覧

通信の防諜 昭和18年(1943)4月、大阪逓信局と兵庫県警察部が作成した隣組回覧ビラがあります。 「通信で敵の反撃にスキを与えるな」「通信の防諜 その心がけ一つ二つ」と題したもので、郵便や電信・電話などの通信が敵のスパイに利用されないよう、…

軍用飛行機の献納

昭和7年(1932)といえば、満州国ができ、五・一五事件が起きた年です。ここに「軍用飛行機献納醵金募集に関する趣意書」と題した一枚のビラがあります。 これは、航空機の発達によって、偵察や爆撃、連絡などに威力を発揮するようになった軍用機を充実…

昭和26年の佐保神社秋祭

この写真は昭和26年(1951)の佐保神社秋祭のものです。 境内拝殿前には2台の太鼓屋台が練っています。上組と下組でしょうか。 境内の奥(西)にももう1台屋台が見えます。 屋台を担いでいる人の服装をみると、法被は着ていません。 境内は大勢の見…

昭和2年-時の記念日

時の記念日に煙火 6月10日は「時の記念日」ですが、昭和2年(1927)、社町では煙火を打ち上げるなどの取り組みが行われています。「時ノ記念日六月十日ニ関スル件」(社町長から各区長宛ての通知)から、どんなことが行われたかみてみましょう。 ○午…

赤岸の観音寺で義士祭

加東市になって初めての義士祭 12月14日(木)、加東市家原の赤岸にある観音寺で義士祭が開かれました。これまで社町赤穂義士祭として行われてきましたが、今回は加東市赤穂義士祭と名を改め、法要や市内中学駅伝大会、剣道大会などが行われました。また…

9月1日は酒ナシ日

昭和3年(1928)8月28日付、社町長から各区長あての通知に、「九月一日(酒ナシ日)挙行ニ関スル件」があります。 酒ナシ日?いったいどういうことでしょう。通知をみてみましょう。 社通一第一七七八号ノ一 昭和三年八月二十八日 社町長 各区長殿 …

防空展覧会

昭和14年(1939)年2月、防空思想普及のために防空展覧会が社で開かれています。はがきより少し大きめのチラシには、防空展覧会と諸行事として映画と講演会、燈火管制訓練などが行われると書いてあります。 この年、ドイツがポーランドに侵攻し第二次…

70年前のラジオ体操の案内

夏の朝は今も昔も・・・ ここに昭和13年(1938)年7月31日付の一枚のチラシがあります。今からおよそ70年前のものです。読んでみるとラジオ体操のお知らせでした。 今もラジオ体操は夏休みの大切な行事です。子ども達は出席票を首から下げて集ま…

有隣家政女学校

良妻賢母の養成 社の田町筋から社小学校まで「学校道」が続いています。この道すじに「私立有隣家政女学校」がありました。所在地の表示は兵庫県加東郡社町老松町となっています。 有隣家政女学校は昭和6年(1931)4月に創設され、翌7年4月に認可さ…

昭和18年-食糧戦必勝運動

大東亜戦争必勝のため 昭和18年(1943)1月、「兵庫県食糧戦必勝運動実施要項」という表題の隣保回覧用ビラがあります。「食に敗れるものは戦いに負る」という第一次大戦のドイツの例を示して「前線で勝って銃後の生活戦争にもし負けるようなことがあ…

国民精神総動員下の年賀状廃止

戦地へは賀状を 12月もこの時期になると、年賀状を早く書かねばと気があせります。今から約70年前の昭和13年12月、社町役場から町会議員、各区長宛てに歳暮、年賀状の廃止励行の通知が出ています。これは、日支事変(日中の戦争)勃発後、二回目の新…

昭和8年-健康週間

7日間の取り組み 昭和8年(1933)に実施された健康週間の取り組みに関する資料があります。70年余り前、健康増進のためにどのような取り組みが行われていたのでしょうか。チラシから抜粋してみました。 第一日(6月1日)宣伝祈願デー 今日から健康…

昭和2年-明治節の祝い方

11月3日-明治節 昭和2年(1927)3月3日、「明治節」制定の詔書が発布されました。 今は11月3日は「文化の日」になっていますが、戦前は明治天皇の遺徳を仰ぎその時代を追憶する日として明治天皇の誕生日であるこの日を「明治節」として祝賀す…

昭和4年-社警察署新築落成

落成式の通知 昭和3年(1928)12月、社町社字東条町566番地の1(現みなと銀行社支店)に社警察署の新庁舎が完成し、翌4年1月に落成式が行われました。その落成式実施について、社町役場から各区長に宛てた通知があります。 各区長殿 今般社警察…

東田町の田圃で煙火の打ち上げ

税務署新築を祝って 大正13年(1924)10月14日、15日の2日間、社税務署庁舎の新築を祝って花火の打ち上げが企画され、社区区長から社警察署長宛に許可願いが出されています。 新税務署は学校道(田町通りから社小学校へ通じる道)に新築されま…

筵(むしろ)、縄(なわ)の増産!

昭和18年-一に増産、二に増産! 昭和18年(1943)、戦争遂行に向けて農林省が農家に向けて出した藁(わら)製品の増産ビラがありました。 ビラでは、縄、筵(むしろ)、叺(かます)の増産をよびかけています。ビラに書かれたスローガンを書き上げ…

国民精神総動員下の年末年始

昭和12年末-社町からの通知 昭和12(1937)の年末、社町から区長、町会議員、各種団体長宛てに「年末年始国民精神総動員強調ニ関スル件」と題した通知が出されました。中国では南京が陥落したものの戦争は続いており、年末年始に際して国民精神総動…

涌羅野義塾

昭和12年教練科の授業 社の持寶院の向かいに社一区公民館「ゆらのホール」があります(写真)。「ゆらの」とは「涌羅野」のことで、社市街地を南北に走る道路(旧県道)から西側に広がる一帯をさす地名です。持寶院の寺号にも涌羅野山慈眼寺持寶院というよ…

昭和12年の司法記念日

遵法週間で裁判所を公開 昭和12年(1937)10月1日~5日にかけて、社区裁判所で司法記念日の行事が行われています。その内容は以下の通りです。 1日 10時から裁判所で式典、午餐会及び懇談会の開催 2日 午前8時から午後4時まで庁舎の一般開放…

奉公袋

用意はよいか- 昨日は戦地の兵隊さんに送る慰問袋について紹介しましたが、今日は奉公袋を紹介しましょう。 奉公袋とは、在郷軍人がいつでも戦地に行けるよう必需品を入れておく袋です。ここに社町役場と帝国在郷軍人会社町分会の名で印刷された奉公袋につ…