ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

2007-01-01から1ヶ月間の記事一覧

菓子の配給券-昭和18年5月

キャラメル、ボーロなど 戦時中には菓子も配給になり、割当が決まっていました。 昭和18年5月19日付で社町役場から各区長宛てに出された「五月分菓子配給」に関する通知によれば、22銭券(キャラメル)は3歳から10歳までの子供3人につき2枚強、…

昭和18年7月-ビールも配給に

購入時に署名捺印 昭和18年(1943)7月、社町役場から区長宛てに、家庭用ビールの配給に関する通知があります。 これによると、それまで業者によって自治的に配給が行われていたが、家庭用ビールの配給については、7月以降、清酒と同様に統制配給を…

褌も配給-昭和18年

褌(ふんどし)の購入券と飛行機献納領収証-裏紙利用 戦時中、諸物資が配給制になりましたが、褌(ふんどし)も配給になっていました。社区の「購入券配給書類」(昭和18年4月~19年3月)に綴じられた書類の裏に購入券を印刷したものがありました。4…

昭和18年-豆腐も配給に

月に一戸当たり約1~2個 ここに「一般家庭用豆腐配給ノ件」と題した昭和18年(1943)4月31日付の社町長から各区長宛の通知があります。 通知の内容は、加東地方事務所の指示により、今後、豆腐販売は切符配給制を実施することになったので、販売…

上東條村の道路元標

今もひっそりと 加東市天神には、今も往時のにぎわいを伝える古い街並みが残っています。天神市街の南を東西に走る中国縦貫道、これにそって走る県道17号線の天神北交差点から100メートルほど北に向かって市街に入ったところに、西に上がる坂道( 倉谷坂…

昭和12年1月25日-社区評議員会

社区評議員会の議事録を読む 西浦倶楽部(社の西浦にあった)で、午後7時開会、11時閉会。出席者は区長、副区長、評議員15人、計17人。 評議員会では、どのようなことが話し合われたのでしょうか。議事録を読んでみましょう。 一、区長会に於ける報告…

昭和19年4月-社町常会

戦いぬく生活へ 昭和19年(1944)4月の「社町常会徹底事項」をみると、長引く戦争、きびしくなる戦況下の生活のようすが伝わってきます。 戦いぬく生活へ 決戦非常措置が決せられました。一億国民は今こそ生活の一切を挙げて戦力増強に邁進し一丸とな…

昭和18年-必勝を期して③

必勝宣言 以下は、昭和18年1月30日に開催された加東郡部落会長町内会長懇談会で出された宣言です。宣言の文言一つひとつから、大東亜戦争の必勝完遂を期して、国民生活や精神を統制していこうとする当時の雰囲気が伝わってきます。 しかし、裏返せば厳…

昭和18年-必勝を期して②

必勝決議-ゼイタクは止めだ! 昭和18年1月30に開かれた加東郡部落会長町内会長必勝態勢確立合同懇談会の決議を紹介しましょう。 加東郡部落会長町内会長必勝態勢確立合同懇談会決議 我等ハ昭和十八年一月三十日ヲ大東亜戦争決戦生活ノ再出発日トシ銃後…

昭和18年-必勝を期して

加東郡部落会長・町内会長が合同懇談会 大東亜戦争開戦2年目の1月30日、社町社区公会堂において加東郡部落会長・町内会長が合同懇談会が開催されています。 懇談会では町内会の活動、常会の運営などについて情報交換、懇談を行ったのち、戦時における部…

スパイの警戒

昭和19年-通信防諜の回覧から 昭和19年の後半のものとみられる「隣組回覧」ビラがあります。大阪通信局と近畿地方各府県名で出されたもので、「通信防諜」に関する内容になっています。 「もしお互がこんな通信をすれば」、敵国に通じたスパイがそれら…

銀の大動員-昭和19年

戦争に勝ち抜くために 昭和19年(1944)になると、アメリカ軍機による日本本土空襲が激しくなるなか、国民生活も物資不足で苦しくなっていました。 このような状況のなかで、兵器生産のために金属の供出が行われました。ここに「銀の大動員」を呼び掛…

昭和20年1月の常会

大東亜戦争最後の年のはじめに- 1月には、各集落で初総会が開催されています。役員人事をはじめ、行事計画や予算など重要なことがらが協議されます。 今から60年余り前、昭和20年(1945)の1月、社区でも常会が開催されています。この年の8月に…