2007-02-01から1ヶ月間の記事一覧
加東市上田の東の道路を車で走っていると、集落の真ん中に鎮守の杜が見えてきます。スピードを落としてよく見ると、大芋神社に続く参道があり、その一画にどっしりとした石鳥居が立っています。 この石鳥居は社町指定文化財(昭和44年指定)に、さらに昭和…
木の陰にひっそりと 加東市松尾から東実に通じる旧道を走り、壷沢池を左手に見ながら出水川に架かる出水橋を渡り終え、東実に入ったすぐの左手、林の中に一本の道標が立っています。 車で走っていると、見逃してしまうでしょう。うっそうとした竹林の入口あ…
加東市上久米と新定を結ぶ県道沿いの分かれ道に2本の道標が立っていました。表面に刻まれた字は読み取りづらくなっており、「右 神谷山」、「右 上久米」の文字がかろうじて読めます。 広い台地を通る一本の道。昔は松林だったのか、荒野だったのか。この道…
加東市社、佐保神社の参道脇に1本の道標が立っています。国道372号線から三階交差点を経て環状道路に抜ける道路と参道が交差する所なので、狭い道を車がひっきりなしに通っています。 この道標の建立年は寛政9年(1797)ですから、今からおよそ20…
加東市上久米から新定に通じる県道を走っていると、何本かの道標が立っていることに気づきます。そのうちの1本がこの道標です(写真)。 自然石の正面に「右 依ふじ」「左 大さか」と刻まれているのがかろうじて読みとれます。米田の谷から上がってきて、依…
加東市山国の東の境、社と東条を結ぶ道路沿いに一本のどっしりとした道標が立っています(写真)。 この道標には「右 大深山」「左 大さか」「右 やしろ」「左 山くに」と刻まれています。建立年は嘉永7年と読めます。ちょうどペリーの黒船がやってきて幕府…
加東市立鴨川小学校の前で車を止めて休憩をしました。ふと、小さな道標が目にとまり写真におさめました(写真)。 「へんろみち」、「加東四国」の文字が読みとれます。加東四国八十八ヶ所巡りの道標なのでしょう。今は役目を終えて、学校に通う子ども達の元…
ここにも弁慶伝説が・・・ 加東市馬瀬の国道372号線脇の山中に弁慶のなぎなた石があります。 三草山の麓を走る国道が大きくカーブする地点に、三草山合戦のモニュメントがあります。その近くの山の中にこの石があります(写真)。 石の右の下に丸い穴があ…
ここに1枚の写真があります。 花自動車と思われる飾りの前に役員さんとおぼしおき方々と踊り子さんが整列して記念撮影をしているように見えます。 写っている人物などから、昭和30年代はじめの写真で、当時4月に行われていた社の花祭りではないかという…
分かれ道 今昔 加東市稲尾の分かれ道に道標が立っています。「右 志んまち」「左 きたの」と刻まれています。その横にカーブミラーが立っています。かつて、道を往来した旅人にとってこの道標は安全に目的地へ向かうために大切な役割をはたしてきたはず。今…
加東市山国、集落を東に抜けたところに一本の道標が立っています。高さは1メートルほどで遠くからもよく目立ちます。 「左 大深山」「右 小田、脇川」と刻まれています。建立は大正15年とあるので、比較的新しい道標です。 大深山は加東市松沢の東福寺の…
修身教科書に取り上げられた「ふさ」 加東市の下三草から上三草へと、旧京街道を歩いていると、上三草に入ったところ左手に大きな石碑の立つ一画があります。 石碑は「孝女ふさ」の彰徳碑で、大正11年(1922)に建立されたものです(写真)。その碑文…
三草川と久米川(地図には千鳥川と表記してある)が合流する加東市木梨の落合橋の西のたもとに一本の道標が立っています(写真)。 高さは約150㎝で、建立年は弘化3年(1848)と刻まれています。天保の改革、そして外国船の来航と、すぐに幕末が迫っ…
加東市下久米、県道西脇三田線脇に一本の道標が立っています。いつも気になっていたのですが、今日はようやく車を止めて道標に「ご挨拶」をしました。 建立年は亨和2年と刻まれています。1802年ですから217年も前に建てられたのですね。その2年後に…
加東市野村のお堂の横に一本の道標が立っています。「左 きよみず 右 ほっけ山」と刻まれています。 建立年は寛政9年と刻まれていますので、1797年、今から200年余り前のことです。寛政といえば、松平定信による寛政の改革が浮かんできますが、ヨー…
加東市上三草、旧京街道の三草橋西詰に3本の石柱が立っています。その真ん中の道標には、「左 ほっけさん」(加西市・法華山)「北 志ん町 たきの」(加東市新町、滝野)と刻まれています。建立は約170年前の天保2年(1831)です。 三草川にそって…
自転車通学の中高生を見守る道標 加東市沢部、旧国道175号線の南坊交差点から100メートルほど北に走ったところ、右手(東側)に東実地区に入る旧道があります。ここに一本の道標が立っていて、車で走っていてもよく目立ちます。 もとはもう少し東の旧…
分かれ道にひっそりと 加東市下鴨川地区内の旧道を通っていると、分かれ道の民家の脇に道路元標らしき石柱が目に入りました。車を止めて、その正面に刻まれた字をよく見ると、「鴨川村道路元標」とかろうじて読めました(写真)。 以前から鴨川村の道路元標…
旧街道の交差点 加東市上三草、三草川の西岸に沿って旧京街道が北東に延びています。かつて、京都と播磨を結ぶ重要な交通路だったこの街道も、国道372号線(川の東)の完成で、今は車もあまり通らない静かな通りになっています。 やしろ国際学習塾からさ…
橋のたもとに道標と並んで 今日は上福田村の道路元標を紹介しましょう。道路元標は大正8年(1919)、「道路法施行令」で、国道や府県道の起点・終点の基準として設置されたものです。 上福田村の道路元標は加東市上三草の三草橋西岸の旧道に道標ととも…
街角にひっそりと 加東市大門はかつて加古川舟運の川港として、また大門橋から播州鉄道に通じる物資集積の地として繁栄した地であります。 大門のほぼ中心、大門橋から県道を100メートルほど東に入った、集落を南北に走る旧道との交差点に福田村道路元標…
東光寺参道で 県道17号線(西脇三田線)上久米の東光寺へ通じる参道を少し入ると、道標、石灯篭が並んで立っています。 かつては米田村の役場、駐在所がこの辺りにあり、村の中心でした。近くに住んでおられる方のお話によれば、役場跡は今は田圃になって…
昭和16年7月22日の日付で、社町長、合田常蔵から各区長にタオル、軍手の配給について通知が発せられています。昭和16年(1941)といえば、この年の末に真珠湾攻撃が行われ、大東亜戦争が起こります。その5ヶ月前のことでした。 今回左記ノ通リ配…
戦時中の配給関係の資料をみていると、タオル、手拭いの配給に関する通知がありました。 昭和18年(1943)9月22日付で、社町役場から区長、寄宿舎舎監宛てに発せられた通知「一般用タオル及び手拭購入券数割当ノ件」です。 この通知によれば、タオ…