2008-05-01から1ヶ月間の記事一覧
ここに、昭和19年(1944)7月18日の日付の社郵便局名のビラがあります。内容は「空襲時に於ける通話の制限に関する件」で、空襲時には重要な電話を優先するため、一般の通話を制限するというものです。 戦後生まれの私は、戦争、空襲などといった体…
昨日に続いて、昭和18年(1943)の「常会協議事項綴」(社部落常会長)の11月常会徹底事項のあとに綴じられている「隣組のお知らせ」のうち、残りの米穀生産確保補給金、自家保有米の取扱い、地主の小作米収納の項を紹介します。 三、米穀生産確保補…
昭和18年(1943)の「常会協議事項綴」(社部落常会長)の11月常会徹底事項のあとに「隣組のお知らせ」が綴じられています。その内容は、戦争保険の加入、郵便年金の普及、米穀生産確保補給金、自家保有米の取扱い、地主の小作米収納などです。 今日…
社区事務所(現在の加東市社の区域)諸通達綴の中に社町長から各区長に宛てて、缶詰用の牛の供出に関する通知が綴じられています。半強制的に牡牛の徴発を実施するので飼育者に通知するようという内容です。いわゆる日中戦争が起こり、戦線が拡大していく状…
平成18年12月11日のこの歴史ブログで、「70年前のラジオ体操」の案内チラシを紹介しましたが、今日は、その前年の昭和12年夏のラジオ体操の案内チラシを紹介します。このチラシは「自昭和十一年一月 至昭和十三年三月 諸通達綴 社区事務所」に綴じ…
中国四川省を襲った大地震は甚大な被害が出ています。日本の国際緊急援助隊の活動に中国人から感謝の声もあがっているようです。しかし、家を失うなどして避難している人は500万に及ぶという報道も出ています。兵庫県の人口に迫る多くの人の住居や食糧、…
昭和11年(1936)9月実施の防空演習に関する文書が社区事務所(今の加東市社の区域)の諸通達綴に綴られています。 昭和11年といえば、2月に2.26事件が起きています。また、翌12年には北京郊外で蘆溝橋事件が起き、日中両軍が衝突しています…
昭和9年(1934)、社町長から各区長宛てに「地方講演会開催」の通知が発せられています。当時の日本は満州事変の勃発(昭和6)、満州国建国(昭和7)、国際連盟脱退(昭和8)、五・一五事件(昭和7)など国内外で重大な事件が続いています。そのよ…
ここに大正12年(1923)の社区の雑書綴があります。その中に県立社高等女学校の校長の退職、郡制廃止に伴う異動の職員の送迎会の案内状(印刷)があります。 社高等女学校は、大正11年に小野から社に移転し、県立に移管されて県立社高等女学校になり…
大正15年(1926)、陸軍の秋季演習に関する文書のつづきを紹介します。それにしても、軍隊が演習で宿営するとなると大変だったんですね。野井戸や肥料溜といったものはもうありませんが、中学の頃、嬉野の台地には野井戸があり、赤旗の標識が立てられ…
大正15年(1926)の秋、陸軍の秋季演習が行われ、社町に司令部が宿泊することに決まり、この件に関する文書を紹介します。伝染病対策に配慮する細かい事前の指示があったことがよく分かります。 ※文中に「癩病」がありましたが、歴史的な文書中に使用…
昭和18年(1943)、社町長から各区長宛てに「防空監視隊員感謝資金募集ニ関スル件」と題した文書が発せられています。空襲に備えて、国土の山間海辺に「空の防人」として監視をしていた防空監視隊員がいたということを知りました。 昭和18年6月26…
昨日に続いて、「桐材ニモ赤襷」と題した昭和19年2月のビラの内容を紹介します。 桐材が軍事用として、とりわけ航空機用材として使われ、木製航空機がつくられようとしていたんですね。実際にはどうだったのかを調べてみなければと思います。また、桐材が…
桐材にも赤襷 昭和19年(1944)2月、日本桐材協会、兵庫県桐材統制組合が桐増産をよびかけるビラを出しています。 「桐材にも赤襷」「桐も兵器だ」という見出しが目にとびこんできます。「桐が兵器?」桐はタンスなどに使われるのは知っていましたが…
昨日に続いて、昭和18年(1943)に実施された兵庫県食糧戦必勝運動について紹介します。 「戦場生活実践申合事項」では、、「自分さえよければ」「金さえ儲かれば」よいといった考え方を止めようという項目も入っています。こうした自己中心的、金儲け…
昭和18年(1943)の年頭、兵庫県は食糧戦必勝運動を実施し、その要項を隣保回覧しています。 戦争が長期化する中、食糧事情の悪化を克服し、必勝を期そうという趣旨のものです。今の飽食日本からは考えられない状況ですが、穀物争奪戦が激しくなってい…
昨日に続いて、昭和6年(1931)の兵庫巡回文庫の書名と作者名を紹介します。別紙一覧表には、B4一枚に52冊の書名と作者名が書いてあり、島崎藤村や斎藤茂吉、正宗白鳥といった有名な文学者のものもありますが、「動く満蒙」松岡洋右といった当時の…
昭和6年(1931)、満州事変が起きた年ですが、社町役場(旧社町のこと:今の社小校区域)から兵庫県巡回文庫の貸出に関する通知が出されています。 昭和六年十月二十日 社町役場 殿 兵庫県巡回文庫貸出図書ノ件 今般標記巡回文庫別紙目録ノ通リ到着致候…
昨日に続いて、昭和6年度の社尋常高等小学校「秋季大運動会演技番組」を紹介します。番組は全部で46(開閉会の辞を含めて)もありますが、今日は24番からあとの番組です。 順次 演技種目 学年 二四 蟻の行列 尋一、二女 二五 輪ぬけ 補、男子部 二六 幼…
昭和6年(1931)は満州事変が起こった年。今から77年前の社小学校の運動会のプログラムを紹介しましょう。 (表紙) 昭和六年度 秋季大運動会演技番組 社尋常高等小学校 (内容) 拝啓時下秋冷の候愈々御清適賀し奉ります扨来る本月九日(雨天の時は…
満州事変が起きたのが昭和16年(1931)。その翌年昭和7年3月16日の区長会(旧社町:今の社小学校区域)では、軍用飛行機献納醵金募集、三笠保存講演映画会開催、愛国婦人会員募集といった件が協議されています。 一、軍用飛行機献納醵金募集ニ関ス…
大正15年(1926)の社区(今の加東市社)雑書綴に、大正天皇崩御、昭和への改元関係の文書が数通あります。 平成19年5月2日のこの「歴史ブログ」でも、崩御、改元に関する通知を紹介しましたが、今回は服喪に関する通知などを紹介します。大正15…
大正13年(1924)の社区長雑書綴に、当時の皇太子殿下(のちの昭和天皇)の御成婚を奉祝する行事についての文書があります。 社通一第九八二号ノ一 大正十三年五月三十日 社町長 各区長殿 御成婚奉祝ニ関スル件 来ル三十一日ヨリ六月四日ニ渉リ行ハセ…
昭和3年(1928)の社区雑書綴に、陪審員に関する通知書が綴じてあります。日本では昭和3年から18年まで陪審制が行われていました。その陪審員候補抽籤の立会人に区長さんがなっていたんですね。 通知書 貴殿ヲ陪審員候補者抽籤ノ立会人ニ 選定候条抽…
昭和3年(1928)9月26日の社区長会で「御大典奉祝」に関する事が協議されています。80年前の昭和の幕開け-天皇即位の礼について、社町としてどのような取り組みが行われたのでしょうか。協議の内容を見てみましょう。 一、御大典奉祝ニ関スル件 …
昭和13年(1938)の夏、佐保神社(加東市社)では、夏季例祭が行われています。その案内文を紹介しましょう。その中に「学童相撲大会ハナカナカ面白ク」という一言があります。真夏の日差しの下で盛大に相撲大会が開かれ、声援が飛んでいたのでしょう…