ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

2008-08-01から1ヶ月間の記事一覧

昭和30年-新社町へ合併調印

この写真には「五ヶ町村合併調印式 30.2.24」の書き込みがあります。いわゆる昭和の大合併で、加東郡社町、福田村、上福田村、米田村、鴨川村の一町四ヶ村の合併調印が行われている歴史的瞬間の写真です。「五ヶ町村長席」と書かれた札がはっきり見え…

昭和30年-新社町へ合併調印

この写真には「五ヶ町村合併調印式 30.2.24」の書き込みがあります。いわゆる昭和の大合併で、加東郡社町、福田村、上福田村、米田村、鴨川村の一町四ヶ村の合併調印が行われている歴史的瞬間の写真です。「五ヶ町村長席」と書かれた札がはっきり見え…

昭和30年-社町の解町・合併祝賀

旧加東郡の社町、滝野町、東条町が合併して加東市が誕生し、今年は3年目になります。平成18年3月にはそれぞれの町が解町の式を行い歴史に幕を閉じましたが、社町は昭和30年(1955)4月1日に旧社町、福田村、上福田村、米田村、鴨川村の1町4ヶ…

昭和27年-旧役場前で消防ポンプ購入記念

この写真には昭和27年5月3日(1952)の日付があります。今から56年前、占領が終わり、日本が独立を回復したばかりの頃ということになります。 「第一分 ポンプ いすゞ 新購入記念 区長5名外委員」という書き込みがあります。新しい消防ポンプの購…

昭和30年-風呂屋の煙突

この写真は昭和30年(1955)頃のもので、社(現、加東市社)の田町の裏あたりで遊ぶ子どもらを撮ったものです。高度経済成長が始まる前の貧しいけれど素朴さが子どもの表情や服装から感じられます。 さて、この背景に一本の高い煙突が見えます。これは…

昭和30年代はじめ-百旗への道

この写真は昭和30年代はじめ頃の道池から百旗への道辺りの風景ではないかと思います。場所は加東市社の市街地の東、国道372号線道池交差点から少し坂をのぼったところに百旗があるのですが、田町からこの百旗に続く道の途中のように思います。 写真に写…

昭和30年代の神田学園-役場窓から

半世紀という歳月は街の風景を変えてしまいます。しかし、写真の中に往時のなつかしい風景が残っていて、しばし当時を回想して時の経つのを忘れてしまうこともあります。 ここに梅雨時でしょうか、雨の中を合羽姿で下校している子ども(私)を窓から写した写…

昭和30年頃の八志路幼稚園

この写真に写っているのは、昭和30年(1955)頃の八志路幼稚園の園舎で、幼稚園の南、田圃をはさんだ道から望んだものです(加東市社)。 現在は幼稚園はすでになく、跡地には4階建のマンションが建っていますが、この建物も老朽化し使用されていませ…

黒谷のヤマ-若宮八幡神社柱まつり

8月16日夜、加東市黒谷(旧東条町)の若宮八幡神社の境内で開かれた盆踊りに参加しました。昼間の大雨で開催を心配していましたが、境内は老若男女でにぎわっていました。境内の地面は少しぬかるんでいるところもありましたが、Tシャツ姿の若者の姿も多…

昭和18年-加東地方事務所開設一周年記念講演会

ここに昭和18年(1943)6月29日付の社町長から社区長宛に出された案内通知文があります(「昭和17年以降 社町役場ヨリノ書類綴 社区」)。 加東地方事務所開設一周年を記念しての講演会の開催通知ですが、地方事務所は前年の昭和17年に開設され…

高岡の道標-加東の最西端

加東市高岡の旧道沿いに庚申堂があり、その角に一本の道標が立っています(写真)。高さ1メートル余りの立派な道標です。 「東 すぐ清水社」「西 すぐ法華山 姫路」「南 大門 屋渡」「北 すぐふけ 北条」と刻んであります。かつて、西国霊場巡礼の旅をする…

鶉野出役-昭和20年7月終戦直前

このブログで、鶉野飛行場跡(加西市)について紹介しましたが、この飛行場建設、整備は、地元、近隣地域の人々の勤労奉仕作業によって行われています。 ここに「参考綴 社区」という文書綴がありますが、その中に終戦直線の昭和20年7月の鶉野飛行場の奉…

昭和13年-防空ビラ

この写真は昭和13年(1938)に社町役場・社町防護団が配布した防空ビラです。前年に支那事変が起こり、中国大陸での戦線が拡大して、12月には南京も陥落していました。昭和13年4月には国家総動員法が公布され、国内は戦時体制が強化されていた頃…

鶉野飛行場跡-飛行場建設

夏の日の夕暮れ、西の空は高く透明な空気の向こうに夕日に雲が光っています。鶉野飛行場跡は静かに一日を終わろうとしていました。法華口駅につながる草むした細い道をゆっくりと車で進んでいると、60余年前、飛行場建設の奉仕作業のために多くの人々がこ…

鶉野飛行場跡-特攻隊の碑文

鶉野飛行場(加西市)から特別攻撃隊が飛び立った、ということを知ったのは神戸新聞の記事からで、最近のことでした。嬉野(加東市)でも特攻隊の訓練が行われたということでしたし(社町史)、身近な地域にも特攻隊と深い関係があったことをあらためて知っ…

防空壕?-鶉野飛行場跡

昨日に続いて、鶉野飛行場跡を訪れたときのことを紹介します。 夕暮れ時、ちょうど飛行場跡あたりを犬を連れて散歩されていた地元の方にいろいろ話を聞きました。 飛行場周辺にはコンクリート造りの防空壕のような構築物がたくさんあるということで、近くの…

鶉野飛行場跡-社からも勤労奉仕

9日(土)、姫路からの帰り、国道372号線の加西市鶉野南の交差点から左折し、鶉野を走りました。神戸大学農学部の農場横を通りながら、そうだ鶉野飛行場跡(うずらの)を見ておきたいと思い、車をさらに脇道へと向けました。よくこの道を通るのですが、…

満水の東条湖を見下ろす

この写真は、満々と水を湛える完成間もない頃の東条ダム(鴨川堰堤)です。堰堤を見下ろす山の上に設けられた展望小屋のようなところから写したもののようです。 東条ダムは、鴨川をせき止め、占領下、昭和24年(1949)に工事が始まり、26年に完成、…

社小学校講堂内部

この写真は、屋内で消防団の訓練か何かが行われているようすを写したものだと思われますが、写っている場所に覚えがあるのです。 社小学校が木造校舎だった頃の講堂の内部ではないでしょうか。階段を上って、二階に講堂がありました。壁は白く、天井には丸い…

社小学校に松林があった頃-昭和28年

今日紹介するこの写真も古いアルバムに貼ってあった一枚の小さな写真です。撮影されたのは、同じページに貼ってある写真の日付から類推して、昭和28年(1953)頃の社町消防団の操法大会の表彰式のものと思われます。本部テントの前からそのようすを撮…

闘龍灘で-昭和前期

古いアルバムの中に一枚の小さな写真がありました。戦前、昭和十年代半ばの写真とともに貼ってあるので、その頃の写真だと思われます。 制服姿の9人の男性と3人の着物姿の女性。場所は滝野の闘龍灘のようで、バックに写っているのは上滝野側の岸だと思いま…

昭和34年-伊勢湾台風による浸水

この写真は、昭和34年(1959)9月27日の日付と、「伊勢湾台風、吾が町の被害のところどころ」と書き込まれたアルバムの中の一枚です。 場所を示す「平安橋南の浸水」という書き込みもあります。平安橋は加東市窪田と穂積を結ぶ穂積大門線の千鳥川に…