ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

2008-11-01から1ヶ月間の記事一覧

昭和4年-活動写真会

昭和4年(1929)の年末、社町にある元加東郡公会堂で活動写真会が開催されています。活動写真とはもちろん映画のことです。大正から昭和にかけて普及したものですが、「社町社 雑書綴 昭和四年四月」には元郡公会堂を会場にしての活動写真会の案内通知…

昭和3年-普通選挙第一回の衆議院議員選挙

昭和3年(1928)2月20日、 第16回衆議院議員総選挙が行われましたが、この選挙は普通選挙法のもとで行われた最初の衆議院議員選挙でした。それまでの財産や身分などの制限を取り払い、満25歳以上のすべての男子に選挙権が与えられました。有権者…

昭和2年-大正天皇一周年祭

昭和2年(1927)12月25日、大正天皇の一周年祭に社町では社小学校の校庭で遙拝式が行われています。大正天皇は大正15年12月25日崩御され、昭和と改元されました。こうして昭和の幕が開け、年が明けると昭和2年になったわけです。 昭和二年十…

昭和7年-畜魂供養祭

昭和7年(1932)、社町(旧社町、今の社小学校区域)では町営屠場で畜魂供養祭が行われています。その案内文を紹介します。 謹啓 秋冷之候愈々御清祥奉慶賀候 陳者来ル十一月一日午前九時社町営屠場ニ於テ畜魂供養祭相営ミ候条万障御繰合セ御参列相煩度…

昭和7年-健康週間の取り組み

昭和7年(1932)、社町(旧社町、現社小学校区)では8月20日から26日までの7日間、健康週間が実施されています。無料診断や活動写真大会なども企画されています。その通知を紹介しましょう。 昭和七年八月十九日 社 町 長 区長及衛生組長 各種諸…

昭和7年-満州事変記念日

昭和6年(1931)9月18日、満州(中国東北部)の奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖で、南満州鉄道の線路爆破事件が起こり、これをきっかけに関東軍(日本軍)は満州(現中国東北部)を占領しました。これが満州事変ですが、この1年後の昭和7年9月1…

昭和7年-満期退営兵士を出迎える

「社町社区長 雑書綴 昭和七年四月」の中に、大陸で中国との戦線が拡大していく昭和7年(1932)5月、満州事変(昭6)で出征していた郷土出身兵士の満期退営による帰郷の出迎えの通知が綴じられています。 兵士の凱旋を祝って多くの人が社駅に出迎えた…

昭和7年-社小学校講堂で農村更正講演会

昭和7年(1932)5月、社小学校の講堂で東播三郡(加東、多可、美嚢の3郡※今の加東市、小野市、西脇市、多可町、三木市域)の農会の講演会が開催されています。 昭和のはじめ、金融恐慌が起こり、そのあと農村は農村恐慌とよばれるきびしい状況にあり…

半世紀前-鴨川橋の渡り初め

アルバムの中に、約半世紀前の鴨川橋の渡り初めの写真がありました。 昭和34年(1959)、平木-天神線の鴨川に架かる鴨川橋が完成し、高瀬栄一社町長(昭和の合併で誕生した新社町初代町長)をはじめ県、地元関係者による渡り初めが行われました。この…

半世紀前-鴨川橋の渡り初め

アルバムの中に、約半世紀前の鴨川橋の渡り初めの写真がありました。 昭和34年(1959)、平木-天神線の鴨川に架かる鴨川橋が完成し、高瀬栄一社町長(昭和の合併で誕生した新社町初代町長)をはじめ県、地元関係者による渡り初めが行われました。この…

昭和13年-石油消費量の緊急調査

今から70年前の昭和13年(1938)、中国での戦線が拡大していくなか、国内では石油消費量の緊急調査が行われています。社町長から各区長宛に発せられた通知を紹介します。 社通機第一一号ノ一 昭和十三年二月二十六日 社 町 長 各区長殿 石油消費量調…

昭和12年-燈火管制演習の成績

昭和12年(1937)、大陸で中国との戦線が拡大していく中、国内では戦時体制への移行が進められていました。社区事務所(現加東市社)の文書綴に防空演習、燈火管制訓練に関する文書が綴じられています。約70年前、戦前にはこうした防空演習が大規模…

昭和12年-菊御紋章使用調査

昭和12年(1937)、社町長から各区長に対して天皇、皇室の御紋章である菊の御紋章の使用に関する調査依頼が発せられています(「社区事務所往復文書諸規定綴昭和十一年起昭和十三年三月マデ」)。 社通機 号外 昭和十二年五月二十日 社町長 大 橋 實 …

昭和12年-区長会での社町予算内容説明資料

社区事務所(旧加東郡社町社、今の加東市社)の文書綴の中に、昭和12年(1937)3月4日付の昭和12年度社町歳入歳出予算内容の説明文書が綴じられています。3月7日に開催された区長会の資料だと思われます。 小学校の校舎改築、税務署改築、道路改…

昭和20年-敗戦直後の嬉野学徒錬成場特別負担金

「社区 参考綴」には昭和20年(1945)の敗戦前後のさまざまな種類の文書が綴じられており、それらから当時の郷土の役場、区の動きを垣間見ることができます。 もう60余年も前のことになりますので、当時のことを記憶している人は70代半ばより上の…

続-京都歌舞練場で神事舞発表

昨日のブログで上鴨川住吉神社(加東市上鴨川)の神事舞が約半世紀前に京都歌舞練場で開かれた民俗芸能発表会で兵庫県代表として出演したときの写真を紹介しました。今日は、その記念すべき発表会に参加した田楽連中の記念写真を紹介します。 前列の学生服姿…

昭和34年-京都歌舞練場で神事舞を公開

およそ50年前の昭和34年(1959)11月19日、都をどりで知られる京都歌舞練場で開催された第一回近畿北陸ブロック民俗芸能大会に兵庫県代表として、上鴨川住吉神社(加東市上鴨川)の神事舞が発表されました。 神事舞についてはこのブログでも紹介…

昭和21年-部落葬の知らせ

敗戦後の軍人部落葬については11月1日にも紹介しましたが、「社区 参考綴」には昭和21年(1946)5月に執行の部落葬(窪田:現加東市窪田)の通知が綴じられています。 通知は裏紙が使われており、敗戦直後の物資不足の状況が伝わってきます。 昭和…

昭和20年7月-敗戦一ヶ月前の区役員会

「社区 参考綴」の中に、敗戦一ヶ月前の昭和20年(1945)7月に開かれた社区役員会の案内が綴じられています。内容は監査となっていますが、案内の後ろに夜間の空襲を警戒して集合の時間を変更することが書かれています(写真)。当時の緊迫した空気が…

昭和21年冬-越冬用木炭の特配

敗戦直後の昭和21年(1945)12月、社町から区長宛に木炭の特配に関する通知が発せられています。今は火鉢で暖をとるという光景を見かけることもなくなりましたが、敗戦、占領という苦難の時代にあって、冬用の暖房用の木炭さえも不足していたことが…

昭和20年6月-農繁保育所の開設

「社区 参考綴」の中に、昭和20年(1945)6月、農繁期に保育所開設に関する文書が綴じられています。農繁期に臨時的に保育所を開設することを奨励するものです。各部落にこうした農繁保育所が開設されていたんですね。町長から区長宛に発せられた通知…

昭和20年敗戦直前-臨時組長会

昭和20年(1945)7月15日、社区(今の加東市社)の臨時組長会が開催されています。ちょうど8月15日の終戦一ヶ月前のことです。社区は一組から十九組まであったわけですが、「社区 参考綴」に綴じられている文書から組長会の内容を見てみると、松…

昭和20年-冦敵撃攘祈願

昭和20年(1945)6月、佐保神社(加東市社)で冦敵撃攘祈願の満願の臨時大祭が行われています。敗戦の2ヶ月前で戦局はまさに本土決戦への備えが叫ばれるきびしい状況の中、このような神仏に撃敵の祈願が行われていたということです。社町長から区長…

昭和21年-戦死の部落葬

戦争が終わってから5ヶ月余りが過ぎた昭和21年(1946)1月下旬、社区長から各組長に部落葬の知らせが発せられています(写真)。 この知らせは「社区 参考綴」に綴じられていますが、戦時中の葬儀は町葬として行われていましたが、敗戦後はこうして…