2009-01-01から1年間の記事一覧
いよいよ大晦日。平成21年も最後の朝を迎えました。今年最終のこのブログは佐保神社の手水屋の水盥を紹介します。新年は氏神様の佐保神社に参拝する予定ですが、瑞神門(楼門)をくぐって、すぐ左手に手水屋があります。ここにも如何にも古そうな石の水盥…
神社の境内を囲む玉垣。いつもなら見過ごしてしまっていますが、じっくりとその柱の一本一本を見てみると、寄進をした人の名前が刻まれており、その住所や職業などの幅広さに驚きます。 佐保神社(加東市社)の瑞神門(楼門)脇の玉垣には、高砂、姫路、大坂…
新年の初詣には氏神様である佐保神社に参拝します。昨日はその佐保神社の百度石を紹介しましたが、今日は瑞神門(楼門)の前の石灯籠を紹介します。如何にも年代の古さが感じられる石燈籠で、鉄柵で保護してあります。 まず建立年を見ると、延享三年丙寅年九…
朝のウォーキングで佐保神社(加東市社)に参拝します。瑞神門(楼門)をくぐると正面に能舞台、その向こうに拝殿、本殿が一直線に見通せます。その能舞台の前にお百度石がどんと据えられています。 お百度をふんでいる人を見かけたことは一度もありません。…
昨日に続いて、社町社区事務所の配給関係資料に綴じてある昭和17年(1943)年末に出された正月用物資の配給に関する資料を紹介します。 ゴボウ、イリコ、サケ、タマゴの配給についての通知ですが、その他にも砂糖や塩、味噌、醤油などについても記され…
もうすぐ正月を迎えます。各地の正月準備や買い物客でにぎわう市場などの光景がニュースになっています。 ところで、昭和17年(1942)の年末、ちょうど67年前の年末はどうだったのでしょうか。ここに社町社区事務所の配給関係資料があります。精肉、…
社町社区事務所の配給関係資料の中に、昭和17年(1942)にラヂオの無料相談所開設の通知が綴じられています。 当時、ラヂオは情報の重要な伝達・入手手段であり、昭和16年の真珠湾攻撃も、そして昭和20年の終戦の玉音放送もラヂオで行われました。…
昭和17年(1942)、7月と8月分の素麺と砂糖の配給についての通知が社町社区事務所の配給関係書類綴の中にありました。 当時は、清酒、味噌、醤油、塩、油等々家庭で日常的に使う食料品の配給が行われていましたが、それぞれ月当たりの配給割当が町長…
昭和17年(1942)、大東亜戦争開戦から約3ヶ月経った2月、日本はシンガポールを陥落させています。これを祝って、清酒の特別配給がおこなわれました。社町社区(現在の加東市社)の配給関係の資料の中に、特別配給の通知が綴じられています。 シンガ…
昭和13年(1938)3月21日の父の日記を読んでみると、春季皇霊祭でこの歴史ブログで詳しく紹介した故宮野幸重陸軍上等兵の入魂式のことや戦地から届いた弟、義夫からの葉書のこと、大陸での戦争のことなどが書き込まれていました。約70年前のこと…
17日(木)、加東ライオンズクラブのクリスマス訪問例会で市立福田幼稚園を訪問しました。会員が分担してサンタクロースになって市内の保育園幼稚園を訪れる恒例の行事です。その途中、東実(とうじつ)の南端にあるお堂の入口に立っている石柱を撮影しま…
昭和13年(1938)の社町の経済更生町村への指定について、7月6日開催の区長会に提出された資料の続きを紹介します。 この区長会には防空訓練、日支事変一周年記念事業に関する事項の他、隣保協同組織の整備強化に関することも提出されており、経済更…
昭和13年(1938)の社町経済更生計画に関して、7月6日開催の区長会に提出されたする資料がありました。その趣旨について説明した文を紹介します。 社町経済更生計画ニ関スル件 一、本町農工商家ノ疲弊現状ニ鑑ミ之ヲ匡救シテ町民心ヲ安定セシメ更ニ…
昭和13年(1938)の社町経済更生計画についての資料を紹介してきていますが、今日は8月22日に開催された全町大会での「宣言」と「決議」文を紹介します。 宣 言 今次ノ事変勃発以来皇軍ノ赫々タル武勲ニ依リ国威益々宇絃ニ輝キ皇国ノ基礎牢固トシテ…
昭和13年(1938)、経済更生町村に指定された社町(旧社町のこと)では、計画樹立と実行計画の概要を決めています。その内容を紹介します。 社町経済更生計画樹立実行ノ順序 一、社町経済更生委員会ノ開催 1.部属ノ制度 一 生産部-農会 二 経済部-…
昭和13年(1938)、社町が経済更生町村に指定され、町では経済更生計画をたてて町民教育大会を開催するなど、経済更生に向けて取り組んでいます。 その町民大会の案内を紹介しましたが、今日は実施要綱を紹介します。 本町ハ昭和十三年度経済更生指定…
昭和13年(1938)、社町(旧社町:今の社小学校区にあたる)が経済更生町村に指定され、その趣旨を徹底するために教育大会が開催されています。教育大会には全町から各戸一人が責任出席と決められていますが、戸数1123戸中760人(67.6%)…
昨日紹介した昭和13年(1938)に実施された防空訓練の成績評価の中間報告のつづきです。 各地区の管制、管制班の活動等についてきびしい評価も書き込まれています。しかし、こうした防空訓練は徹底して行われていたのだろうという認識を持っていたので…
社区事務所の「諸通達綴」の中に、昭和13年(1938)に実施された防空訓練の講評(中間)が綴じられています。防護団本部から各部落に対して、訓練の成績評価が記されています。 社地区は成績良好との評価ですが、それでも東田町(田町筋)では訓練を知…
昭和13年(1938)は、支那事変勃発から2年が経ち戦線は大陸に拡大していくなか、郷土からも多くの兵士が出動し、国内も戦時体制へと移行していった頃ですが、当時のさまざまな文書が綴じられた社区事務所の「諸通達綴」の中に、青年団の武道大会の案…
昭和14年(1939)のはじめ、支那事変勃発から3年目を迎え、社(加東市社)で時局講演会が開催されています。主催は天理教社分教会で、帝国在郷軍人会社町分会が後援して、軍人を講師に招いています。会場の天理教社分教会は当時社町社(現、加東市社…
社区事務所の「諸通達綴」(昭和13年4月~14年2月)には当時のさまざまな通知やビラなどが綴じられています。今日紹介するのは、昭和14年(1939)の紀元節(2月11日)に「黎明動員」という名の早朝動員に関する通知です。国民精神作興運動の…
11月29日のブログで、昭和14年(1939)の2月に開催された防空展覧会について、当時配布されたビラを紹介しましたが、この展覧会に関して社町長から各区長に対して出された通知がありましたので紹介します。 通知によれば、高射砲や照空燈などの展…
加東市田中の国道175の側道脇に道標が立っています。この道はこれまで何度も通っているはずなのになぜか気づきませんでした。 正面には「第三十七番 西 野村」「第三十二番 トリイ」「第三十一番 北 イエハラ」「第八十五番 田中村」と刻まれています。側…
12月14日は赤穂義士の討ち入りの日。毎年この日が近づくと赤穂義士にちなむテレビ番組や各地の行事などが話題になります。 ところで、赤穂の花岳寺、東京高輪の泉岳寺の四十七士の墓は全国的に有名ですが、わが加東市の観音寺にも四十七士の墓標があるこ…
社区事務所の「諸通達綴」に昭和14年(1939)2月に開かれた「防空展覧会」の小さなビラが綴じられていました。 支那事変勃発から3年目を迎えるなかで、こうした軍事に関する講演会や展覧会、さらに訓練などの通知が増えています。このビラの次には「…
昭和14年(1939)1月の日付、大阪税務監督局発行で、社税務署の大きな印が押された「納税報国に就て」と題したビラが社区事務所の「諸通達綴」に綴じられています。 日の丸の赤が鮮やかに印刷されたビラには、国家非常時における国民の納税義務の遂行…
昭和13年(1938)の年末、支那事変勃発以降大陸での戦闘が続き、国内では年賀状の自粛が叫ばれていましたが、そうした状況のなか、戦地の兵士に対しては年賀状を送ろうという呼びかけが行われていました。 今日紹介するのは、社区事務所の諸通達綴に綴…
昭和14年(1939)の元旦の奉祝儀式について、社町長から各区長に対して通知が発せられています。 どの地区においても神社公民館などに全員が集まり、祝賀式を行うと共に「国民奉祝の時間」を設けて全国民が一斉に宮城(皇居)遙拝を行うことになってい…
昭和13年(1938)の社区事務所の「諸通達綴」の中に、大阪税務監督局の納税に関するビラが綴じられています。戦前の帝国憲法下、国民の三大義務は教育、兵役、そして納税の義務でした。その納税義務を果たすことで国に尽くそうと呼びかけています。写…