2009-04-01から1ヶ月間の記事一覧
今から70余年前の昭和12年(1937)の社町社(旧社町、現加東市社の地域)の評議員会の会議録には、税務署庁舎の改築、署長官舎の新築等の問題に関する協議の記録が残っています。 社税務署は明治時代に社村の持寶院西隣の一条院廃寺跡に設けられまし…
加東市商工会会館(加東市社)のロビーで、昔懐かしい社の姿が写真や地図でよみがえっています。社地区地域づくり協議会が開催している「春のフェスティバルinやしろ」の一環として行われている写真展で、昔(昭和時代を中心とした)の社の姿を伝える貴重…
昭和13年(1938)2月、社町軍事後援会の事業報告がなされています。期間は12年8月から半年のものですが、この間に上海、南京の戦勝もあり、提灯行列が行われています。一方、出征兵士への慰問袋の発送、家族への慰問などの活動や戦傷兵の平癒祈願…
昭和10年(1935)、皇太后陛下から高齢者に対して御下賜品があるということで、対象となる満90歳以上の高齢者調べの依頼が社町長から区長宛てに出されています。皇太后陛下とは大正天皇の皇后、貞明皇后のことです。 別紙に、対象となる弘化2年1月…
昭和9年(1934)、陸軍第十師団(姫路)の秋季演習に関する通知が社町長から各区長宛てに出されています。陸軍の演習に伴う宿泊や防疫などに関する事例はこのブログでも紹介してきましたが、今回の通知では、井戸や堀、肥壺などの標示についても要望が…
大正13年(1924)の夏、この年は田植え時期から雨が降らず、何十年に一回という大旱魃になったのですが、雨乞いの祈祷も行われていました。(「社町社区長 雑書綴」) 天理教会所(当時は社市街地、現一区にあった)、持寶院、そして佐保神社で祈祷が…
大正12年(1923)9月1日、関東地方をマグニチュード7.9の大地震が襲い、死者9万余、行方不明1万3千余という大きな被害を出した関東大震災が起こりました。その1年後、大正13年9月4日付で社町長から各区長等宛に県知事の言葉が伝えられて…
19日、新緑がまぶしい播州清水寺(加東市平木)で「桜まつり」が開かれました。根本中堂西側の広場にはステージが設けられ、地元鴨川小学校の児童による和太鼓の演奏や御嶽太鼓の演奏などが披露されていました。また、根本中堂東側ではお茶席も設けられ、…
昭和10年(1935)、日露戦争戦勝30周年にあたるこの年、海軍記念日に記念講演会が開催されています。 海軍記念日は、明治38年(1905年)5月27日、世界史に輝く日本海海戦が始まった日に因んでいます。戦前は陸軍記念日や海軍記念日など軍に…
加東市上三草の旧道沿いに孝女ふさの碑があります。この歴史ブログでも紹介してきましたが(今年2月11日)、明治26年、金港堂書籍印刷発行の『実験日本修身書巻一尋常小学生用』の中の「孝行」の項にふさの話が掲載されていることに気づきました。 この…
昭和3年(1928)の「社町社 雑書綴」に社町農会が主催する「米に関する講演会」の通知が綴じられています。講師は米の研究の世界的権威の北海道帝国大学の田所教授となっています。すごい人を招聘したんですね。 社農第一四六号ノ一 昭和三年八月九日 …
大正14年の「社町社区長 雑書綴」に天長節拝賀式の案内が綴じられています。天長節とは天皇誕生日のことで、老子の「天長地久」からとって、天皇陛下の誕生日を天長節、皇后陛下の誕生日を地久節と呼んでいました。 小学校で行われる拝賀式の案内には10…
大正14年6月(1925)、近畿各府県で発生していた牛の伝染病が兵庫県でも発生し、その警報が出されています。伝染病は牛肺疫(ぎゅうはいえき)と呼ばれる肋膜肺炎で恐れられていたようです。その警戒ビラが「雑書綴」(大正十四年四月 社町社区長)に…
加東市社の田町筋は西田町、中田町、東田町の三つの町内に分かれていますが、中と東の田町町内の境の路地に「定門地蔵」があります。今では東田町の皆さんが維持管理のお世話をされていますが、広く田町筋の住民の信仰を集めていた地蔵さんです。 「定門地蔵…
大正十四年四月「雑書綴」(社町社区長)の中に社町役場と社尋常高等小学校主催の講演会開催の案内が綴じられています。当時、講演会の開催そのものは珍しくありませんが、冒険探検談といった内容で滅多になさそうなものなので紹介します。また、この案内状…
今から約80年前の昭和3年(1928)の秋、昭和天皇即位の御大典を奉祝して「農地愛護週間」が設けられ、各部落農会ではさまざまな作業、行事が実施されました。その通知がビラとともに「雑書綴」(社町社)に綴じられています。 社農第一四七号ノ二 昭…
加東市上滝野、五峰山の中腹に春日丘軍人墓地があります。その入口、満開の桜の木のそばに一枚の大きな石碑があり、近寄ってみると、歌が彫られていました。 皇后宮御歌 やすらかに ねむれとぞおもふ 君のため いのちささげし ますらをのとも この御歌は香淳…
8日、加東市立滝野東小学校の入学式に出席しました。控室で地元区長さんから加茂村(現加東市曽我、稲尾、多井田、新町、北野、穂積の地区)の忠魂碑が北野の地蔵禅寺にあるということを聞き、式が終わってから車を走らせました。 東小学校から国道175号…
大正14年(1925)8月、社町社(現在の加東市社)の区長会では県営貯水池の建設や朝鮮水害義援金募集などの議題が協議されています。これは「大正拾四年四月 雑書綴 社町社区長」に綴じられていたものですが、大正13年の大旱魃の経験から貯水池の必…
加東市立鴨川小学校(加東市平木)の体育館の裏に車を止め、すぐ正面の山に入る急な坂道を登っていくと、小学校を見下ろすことができる場所に手づくりのアスレチックコースがあり、その一角に忠魂碑が建っていました。 この忠魂碑は、昭和7年(1932)の…
今月10日は、天皇皇后陛下の御成婚50年を迎えますが、今から84年前の大正14年(1925)、大正天皇の御成婚25年を迎え、社町長から区長宛に銀婚式奉祝についての通知と高齢者に対して祝儀の下賜についての通知が出されています。それらの文書が…
友人が実家を改装した折りに古い新聞が出てきたので貰っていました。そのまま箱に入れてしまっていたのですが、整理をしていると、昭和14年の大阪朝日新聞の紙面にあった「秋深き播州路に若人六千の雄叫び」「県下中等学校聯合演習」という見出しが目に止…
昨日のブログで、加東市依藤野の交差点改良に伴って道標が目立つ位置に立てられて再デビューということを紹介しましたが、同じ交差点にもう一つ、古い道標の頭頂部だけが立てられているのが目に止まりました。 高さは30センチメートルぐらいでしょうか、ち…
2年前の19年3月7日付のこのブログで紹介した「依藤野の道標」が、交差点改良工事で、よく目立つ位置に設置され、これから先も新しくなった交差点で立ち続けることになっています。 加東市社から嬉野、依藤野を越えて東条の厚利を結ぶ県道が兵庫教育大学…
今から約80年前、昭和2年(1927)、社町社にあった劇場、佐保座(現、銀座通りの県信の立地場所)で、消防や軍事関係の演劇、映画会が開催されています。 佐保座は当時の娯楽の殿堂として社だけではなく、近隣町村からも多くの人が来ていたと聞いてい…
昭和5年(1930)、社町女子青年団団長から婦人会長宛に総会の案内通知が出されています。会場は福田校(現加東市福田小学校)。総会と廃物利用展覧会、知事夫人による講演、意見発表や芸術発表なども行われることになっており、女子青年団の盛んな活動…