ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

2009-07-01から1ヶ月間の記事一覧

昭和7年-満州出征現役兵の満期退営を出迎える

昭和7年(1932)5月17日、満州事変の勃発により、出征していた地元社町出身の兵士が満期退営で帰郷することになり、社町駅に出迎え、佐保神社で奉告祭が行われています。 その5月17日の父の日記には、「凱旋兵奉告祭参加」の見出しで社駅まで出迎…

昭和6年-太鼓の虫干

今年はまだ梅雨が明けていません。太鼓の虫干しの頃ですが、こんな年は困ります。 父の日記には太鼓のこともよく出てきます。昭和6年(1931)の8月7日のページに太鼓の虫干しのことが書いてありました。およそ80年近く前の社の上組(かみぐみ)の太…

昭和9年-甲子園野球見物

夏の高校野球も各地区大会の優勝校が報じられるようになってきました。もうすぐ甲子園です。兵庫県では、母校県立社高校が決勝進出をかけて今日戦います。 さて、昭和9年(1934)の夏、社の青年が甲子園に野球見物に出かけたことが父の日記に書かれてい…

昭和6年-出水の太鼓屋台をかつぐ

昭和6年(1931)、5月23日の父の日記の見出しに「出水行き 太鼓をかつぐ」と書き込んであるのが目にとまりました。 出水が新しい太鼓をかつぐんだからと言はれたので大橋さんの宅迄行く。仕方ない。とうとうかつがされてしまつた。唯他部落迄行つて…

御大神宮さん-田町の神様を祀り続ける

25日の夕方、佐保神社(加東市社)の境内の西側、小宮が並ぶその真ん中あたり、一つの祠の前に人が集まり、お祭りが始まります。 御大神宮さんの祭りです。御大神宮さんについては、このブログでも紹介をしてきましたが、私が住んでいる加東市社の田町(た…

新町-愛宕神社の夏祭りで子ども相撲を奉納

24日、加東市新町の愛宕神社では夏祭りが行われ、午後から子ども相撲が奉納されました。 愛宕神社は新町の市街を見下ろす高台にあり、加古川の向こうには五峰山の雄大な山並みが望めます。新町はその名の通り、新しくつくられた町で、慶長10年(1605…

昭和7年-区長会で軍用機献納や愛国婦人会について協議

社町社区長「雑書綴」に、昭和7年(1932)3月16日の区長会協議事項が綴じられています。その主な内容は3点で、軍用機献納醵金募集、三笠保存講演映画会開催、愛国婦人会会員募集についてであります。前年に満州事変が起こり、国内に於いても軍事色…

昭和7年-帝国議会解散の電報

社町社区長の「雑書綴」の中に、一枚の電報が綴じられています。当時の社区(現加東市社)の区長だった増田政次宛ての電報で、受付の日付は昭和7年(1932)1月21日になっています。 (電文) 宛名 ヤシロマチヤシロ」マスダマサジ 発信局 アザブ ギ…

昭和3年の御大典-社小学校で儀式

昭和3年(1928)11月10日、昭和天皇の即位式が京都御所で行われました。その御大典を祝って全国各地でお祝いの儀式や行事が開催されましたが、社でも社小学校で儀式が行われたようです。写真は社小学校講堂(2階)の建物です。 「社町社 雑書綴」…

鴨川学校前のりば-昭和30年代後半

法事があったのでアルバムを見ていると、私がまだ小学生の頃の写真が目にとまりました。場所は神姫バスのりばで「鴨川学校前」で撮影したものです。その側に東条湖観光協会の広告塔が立ってます。 広告塔には、「関西の仙境 東条湖」とあり、「仙境」という…

上三草-大坂街道の道標

加東市上三草、やしろ国際学習塾から旧京街道を少し上ったところに旧大阪街道と交わる地点があります。京街道は京都から篠山、上鴨川(加東市)、上三草、社、河高、高岡を経て姫路に通じるもので、昔から重要な幹線道路でした。また、大阪街道は、山陰地方…

昭和12年-元郡公会堂で遵法講演会

昭和12年(1937)、遵法週間の行事として、社町の元加東郡公会堂(現明治館)で講演会が開催されています。社区裁判所の判事や検事、地元弁護士さんが講演者として演壇に立っています。 「社区事務所 諸通達綴」に綴じられている役場から区長に宛てて…

社尋常高等小学校の校歌-大和心を義士に学ぶ

以前、この歴史ブログで昭和12年(1937)に開かれた学芸会のプログラムを紹介しましたが、午前9時から午後3時まで、1日がかりの大きな行事だったわけですが、このプログラム裏表紙に印刷された「校歌」を紹介したいと思います。 歌詞には、佐保(神…

大正15年-青年団・教育界が思想講演会開催

「大正拾五年 雑書綴 社町社」に社町青年団、社町教育快主催の講演会開催案内が綴じられています。青年団や教育会は明治の終わり頃には郡内で設立され、こうした講演会の開催をはじめ、さまざまな活動を展開していたようです。 大正15年(1926)といえ…

昭和2年-大正天皇御大喪の日、社小学校で遙拝式

昭和2年(1927)2月7,8日の2日にわたって、大正天皇の大喪の儀が執り行われました。その日、社町でも儀式が行われています。 「大正拾五年四月 雑書綴 社町社」には町長から出された案内が綴じられており、二日間は仕事は休み、弔旗を掲揚すること…

靖国神社-遊就館で加東出身の柴崎中将と対面

東京九段の靖国神社には、英霊の遺品などが展示されている遊就館があります。日本の近代史における戦争を実物や映像などの資料で学習することができるようになっていますが、大東亜戦争の展示室の一角に「マキン・タラワの戦い」がありました。 この戦いは中…

昭和7年-青年団が慰問金募集で映画鑑賞会開催

昭和7年(1932)5月、社町青年団が郷土軍慰問金募集のために佐保座(社にあった劇場)で映画鑑賞会を開催しています。その案内文が社区長の「雑書綴」に綴じられていました。そして、当時青年団員であった父の日記で確かめてみると、関連する記述もあ…

昭和9年-社区評議会で県道変更の議論沸騰

昭和9年(1934)12月6日の社区(現在の加東市社)評議員会では、区内の道路の県道変更の件が協議され、賛否両論、議論が沸騰したようすが会議録に記されています。(「社町社区長 参与員評議員会議録」) その内容は、県道変更と新道敷設の案につい…

昭和11年-国防研究会への入会依頼

昭和11年(1936)、国防研究会への入会依頼・申込書が「社区事務所」の「諸通達綴」に綴じられています。国際連盟脱退、2.26事件などが起こり、軍事色が色濃くなる中で、こうした国防思想の普及が行われていたのでしょう。支部長は当時の社町長で…

鴨川小学校の二宮金次郎像と記念碑

先週、オープンスクールで加東市立鴨川小学校(加東市平木)を訪れたとき、校門を入って右側の斜面に立つ二宮金次郎像を写真に撮りました。 鴨川小学校は山の中にあるので薪を背負って本を読む金次郎像がよく似合っています。その斜面を上って像の上から本を…

昭和7年-4月の社区の評議員会で御嶽教本殿上棟式を協議

昨日のブログで昭和7年(1932)4月に行われた御嶽教の教会の本殿上棟式に社の上組、下組の2基の太鼓屋台が出て祝ったということを紹介しました。 そのことを協議している社区の評議会の会議録(「参与員評議員会議録」社町社区長)がありましたので紹…

昭和7年4月-御嶽教本殿上棟式に太鼓屋台が出る

社町社区長「雑書綴」(昭和七年四月)の中に一枚の葉書が綴じられており、読んでみると、御嶽教本殿上棟式の案内状でした。この葉書に続いて、社区出納役の領収書控えが綴じてあり、その中に上棟式に太鼓屋台が出たことが書かれていました。太鼓が出たとい…

昭和7年-社小学校で東播三郡の農村更正講演会

社町社区長「雑書綴」(昭和七年四月)に、社小学校で農村更正講演会が開催されるとい案内通知が綴じられています。昨日のブログでも新年祝賀会や消防出初式等の新年行事が小学校を会場として開催されていたことを紹介しましたが、他にもさまざまな催しが小…

昭和7年-小学校で新年祝賀会や消防出初式

戦前の社区(現加東市社)の文書綴には、さまざまな行事案内が綴じられています。そうした行事の会場は、社小学校や元郡公会堂となっていることが多く、町民(区民)は儀式や会議、講演会、映画会などで学校や公会堂に足を運ぶ機会が多かったようです。 年初…