ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

2009-10-01から1ヶ月間の記事一覧

昭和12年-持宝院で出征軍人祈願祭

盧溝橋事件に端を発した北支事変が起きた昭和12年7月から14年2月までの軍事関係文書を綴じた社区事務所の文書綴の中に、社の寺院で出征軍人の祈願祭が行われるという内容の文書がありました。 昭和12年(1937)といえば、72年前のことです。持…

昭和12年-軍事扶助委員

「軍事関係往復文書綴」(社区事務所)の中に、軍事扶助委員に関する文書がありました。支那事変が起こり、動員された軍人の遺家属の扶助を行う役目の委員で、社区(現在の加東市社)の委員一覧が付けられています。社区を三地区に分け、それぞれ担当の委員…

昭和12年-軍人支援について区長各種団体が協議

昭和12年(1937)、郷土から出征する兵士への支援のあり方について、区長各種団体の協議が行われています。社区事務所の「軍事関係往復文書綴」に綴じられている決定事項を紹介します。 兵士の歓送、遺族への慰問、援助、公葬、見舞等について、町、区…

昭和12年-安取三叉路で遺骨凱旋

私たちが歩いている道の中には、昔から人や物が行き交った古い道があります。道標が立っていたり、古い家並みが連なっていたりして、歴史を感じることも少なくありません。 巡礼の道、米の道、学校道などその時代の中での役目を果たしてきた道ですが、今はそ…

田町の法連寺

加東市社の市街地を東西に田町(たまち)通りが走っています。田町通りは、市街地のほぼ中心にあたる加東市商工会館前の交差点からほぼ真っ直ぐ東にのびる道筋で、東は社郵便局南の道池交差点につながります。かつては商店が連なり社で最も賑わった通りだっ…

佐保神社秋祭り

10月6日の投稿から2週間余り休んでいました。今日から復活します。 その間、10,11日には、地元、社の佐保神社の秋祭りがありました。昔から「北播三大祭」の一つと、その盛大さで近隣によく知られた祭りですが、神輿に続いて、4台の太鼓屋台が伊勢…

天神の一之宮神社

4日(日)、加東市天神の一之宮神社の秋祭りが行われました。天神の市街を見下ろす山の中腹に一之宮があります。地元の方の話では、その歴史は古く、素盞鳴尊が地方を巡見の折りにこの地で休憩された跡を祀ったことに由来し、椅鹿寺の鎮守の社であったとも…

牧野の住吉神社-鎮守の杜で屋台練り

4日午後、加東市牧野の住吉神社の境内に太鼓屋台が宮入しました。朝から村中を練ってきた屋台が午後3時頃ようやく鎮守の杜の坂道にさしかかり、宮の境内に入ります(写真)。 56戸の牧野地区でこの秋祭りの伝統を守り伝え、見事な屋台太鼓を差し上げて宮…

昭和17年-味噌漬物製造用の塩配給

戦前の社町社区(現加東市社)の「各種報告書綴」の中に昭和17年(1942)の配給物資に関する資料が綴じられています。その一つに味噌や漬物製造用の塩の申込み書があります。 当時は砂糖や塩は配給物資になっており、各家では購入希望分量を書いて隣保…

昭和17年-経済警察

戦時中の社町社区(現加東市社)の各種報告書綴の中に、「経済警察」に関する通知が綴じられています。国家総動員法の下、統制経済における違反を取り締まるため経済警察が設けられましたが、これに関連する社町長から部落常会長に宛てて発せられた通知を紹…

愛国婦人会入会申込書

昨日も紹介した「昭和十六年度以降 各種報告書綴調査資料共 社町社区」の中には、各組や隣保などから提出された手書きの報告がたくさん綴じられています。用紙はまちまちで、組合や店の用箋、通知などの裏紙が数多く使われています。 その一枚に、石炭の申込…

昭和20年-隣保の人員報告から

終戦の年、昭和20年(1945)の3月の日付の隣保人員報告書が「社町社区事務所 各種報告書綴」に綴じられています。 この報告書は「第八組」のもので、今の加東市社の中田町(なかたまち)町内会にあたります。組長の藤本豊治は私の父です。当時は30…