2010-02-01から1ヶ月間の記事一覧
播磨平野は豊かな穀倉地帯ですが、その命である水を確保するために多くのため池が築かれています。昭和10年(1935)、兵庫県はため池に関する協議会を開いて、その維持管理について懇談をしています。そのことに関係する文書が社区事務所(現加東市社…
昭和10年(1935)の「麦検査日割表」が社区事務所(現加東市社)の雑書綴に綴じられています。A5判ぐらいの小さなビラに社町(現社小学校区)の地区名と検査日一覧と検査に備えた準備心得のようなことが印刷されています。 末尾に印刷されている俚謡…
昭和6年(1931)、社町の元郡公会堂(現加東市明治館)で国体、国民思想に関する講習会が兵庫県の主催で開催されています。国体すなわち国柄のことですが、天皇を中心とする我が国の歴史伝統に基づく国家の姿について国民の思想を一層固めようとする運…
昭和3年(1928)、御大典を奉祝して農地愛護週間が設定され、その実施要領が社町農会(現在の加東市社小学校区域)から通知されています。この奉祝活動は兵庫県農会が各農会に実行を呼びかけたもので、愛護週間を設定してさまざまな作業を一斉に共同し…
社区(現加東市社)の昭和3年(1928)「雑書綴」に兵庫県穀物検査所社支所のビラが綴じられています。内容は「産米の改良」と題し、米の生産に関する各段階の要点が書いてあります。前後の文書から10月中旬に配布されたものと考えられます。 ビラの中…
昨日紹介した帝国在郷軍人会の社(やしろ)分会の武術練習規定に関連する文書が昭和3年(1928)の社区(現加東市社)の雑書綴の中にありました。 分会では軍人として武術の鍛錬を行い、競技大会でも良い成績を収めているものの防具などを他の分会から借…
昭和3年(1928)の社区(現加東市社)の雑書綴の中に社在郷軍人尚武練習規定が綴じられています。この歴史ブログでも在郷軍人会に関する資料を紹介してきましたが、忠魂碑前での祈願祭、元郡公会堂での講演会や映画会などさまざまな活動が行われていま…
昭和3年(1928)の社町社(区事務所)の「雑書綴」に消防事務の視察に関する文書が綴られています。コースは静岡県浜松市で消防事務について視察をし、その後秋葉山の参拝をすることになっています。現在であれば、新幹線や高速道路を使ってのコースに…
地元の方から提供いただいた東条ダムの絵はがきを続けて紹介していますが、今日はダム建設工事の写真を掲載します。 写真は東条川の支流、鴨川をせき止めて築かれたダム本体の工事現場のものです。「昭和二十五年十二月七日当時ダム工事現場の壮観」と印刷さ…
もう一枚の絵はがきを紹介します。東条湖は昭和26年(1951)に完成した鴨川ダムによってできた人造湖ですが、周辺の美しい景観とともに清水寺や朝光寺などの古刹もあり、昭和32年には県立公園に指定されました。 この絵はがきは「東条湖上より播州清…
昨日紹介した東条湖(鴨川ダム)の絵はがきに続いて、鴨川ダム(東条ダム)建設当時の写真の絵はがきを紹介します。 加古川の支流、東条川にそそぐ鴨川が流れる加東郡東条町黒谷の土井部落は戸数7戸の地区でした。周囲を山に囲まれて、1ヶ所だけ山が裂けて…
この写真は東条湖の絵はがきです。地元の方から提供いただいた絵はがきの一枚ですが、昭和30年代前半に東条湖観光協会がつくったものだと聞きました。 写真下には「兵庫県立自然公園 東条湖 LAKE TOJO Hyogo-Prefectural Nat…
以前、この歴史ブログで加東市河高の旧道沿い、集落の北の端にある旧滝野村役場跡や忠魂碑の丘を紹介しましたが、その忠魂碑の丘の下、旧道脇の岩場の下に石仏が祀られています。土地の方によれば、このお地蔵さんは昔からあって皆がお参りしているとのこと…
2月11日、建国記念の日は朝から雨がぽつぽつと降り出し、午後には本格的な冷たい雨となりました。加東市上久米の東光寺では大日祭が行われ、2時過ぎには寺の前の田で護摩焚が始まりました。雨にもかかわらず多くの参拝者が護摩焚を見守りました。 この大…
2月11日、加東市河高の八幡神社で厄神祭が行われ、小雨が降る生憎の天気でしたが、多くの参拝者で賑わいました。地元の皆さんの心づくしの接待も行われ、うどん、ぜんざい、おでん、温泉卵などで冷えた体が温まりました。 この歴史ブログでも、これまで八…
加東市曽我の国道175号沿いのすぐ東に八幡神社があります。加古川の支流、吉馬川のすぐ北にあたります。広い境内には、拝殿本殿、阿弥陀堂、公民館、グランドがあります。 石鳥居は明治時代の、すぐ脇の百度石は大正時代の建立年が刻まれていて、割合新し…
以前にこのブログで紹介した上中のムクの巨木の写真をもう一枚紹介します(2月4日付)。加東市上中にある加東消防署のすぐ東側にあるムクの巨木は遠くからでもその姿を目にすることができますが、車を降りて根元まで近寄ってみることは地元の方でなければ…
加東市喜田の公民館の西隣にお堂があります。まだ新しい公民館と古いお堂が隣合せに建っており、昔からの集落と新しく開発され住宅やアパートが増えている喜田地区を象徴しているかのようです。 このお堂は阿弥陀堂で、加東四国八十八ヶ所霊場の第二十八番に…
加東市社の山氏神社。境内には「義経お手植えの松」があることをこの歴史ブログでも紹介してきました。しかし、今は玉垣で囲まれたその中には切株と若い細い松の木があるだけです。この山氏神社は社の商店街を南北に貫く道路の東側にあり、その反対の西側に…
昨日に続いて佐保神社(加東市社)の大けやきを紹介します。楼門の脇、境内の真ん中、そして、県道に沿った少し低くなっている門前の公園に大けやきがあります。どれも社町の保護樹指定第1号(昭和60年)ですが、今はそのプレートも地面に落ちていたりし…
車を走らせていると、毎日のように佐保神社前の交差点を通ります。また、朝のウォーキングでも佐保神社に参拝します。旧国道175号と372号が交差するこの交差点は、東西交通の要であると同時に社市街地の玄関口でもあります。 佐保神社の境内には大けや…
昨日は加東市上中の巨木を紹介しましたが、車を走らせていて、いつも気になっている大木がもう一つあります。国道372号と県道西脇三田線が交差する加東市藤田の交差点は東西交通の要となっていますが、そのどちらの道を走っていてもこの大木が田圃の向こ…
加東市内各地の神社や寺などの境内に巨木が聳えているのを見かけます。車で走っていても遠くにその姿を見つけることもしばしばです。 加東市上中にある加東消防署のすぐ東隣にはお堂や太鼓蔵、ゲートボール場がありますが、その一角に一本のムクの巨木が聳え…
加東市長井の集落を西に見ながら旧道を走っていると、左手に大木とお堂が目に入ってきます。これは長井の薬師堂です。ちょうど境内に地元の方が居られたのでいろいろとお話を聞くことができました。 薬師堂は、長泉寺という寺だったそうです。また、加東四国…