2010-07-01から1ヶ月間の記事一覧
この写真は、社小学校(現加東市立社小学校)の奉安殿前での記念写真です。昭和10年代前半のものと思われます。町内の友人の家にあったものですが、写真に写っている先生の顔を一人ひとり見ていると、私が小学校高学年の時(昭和30年代後半)の校長先生…
この写真は加東市社の上組屋台と青年です。撮影された時期ははっきりしませんが、昭和20年代ではないかと思われますが、調べてみないとはっきりしたことは言えません。 上組屋台の太鼓倉で青年達が晴れやかな笑顔で記念写真におさまっています。私たちの世…
昨日に続いて、昭和40年頃、嬉野球場でバレーボールに興じる人たちの写真を紹介します。昨日はグラウンドの西にあった嬉野公民研修所の建物が写っていましたが、今日はグラウンドの向こうに、旧社中学校の校舎、社町学校給食センターの建物、中学校の運動…
この写真は、昭和40年頃、嬉野公民研修所の東側のグラウンドでバレーボールに興じている人たちを撮したものです。 現在は県立教育研修所の敷地になっています。また、向こうに見えている白い建物は嬉野公民研修所の建物です。また、松の木が見えますが、当…
加東市大畑の県道神戸加東線の小野市との境のすぐ近くを走っていると、消防団詰所脇の溝とフェンスの基礎のブロックとの間に道標のような、しかし背の低い石柱が目にとびこんできました。ふだんは気がつきませんでしたが、車を止めて近寄ってよく見てみると…
東条ダム(鴨川ダム)から始まった水の旅はおおよそ標高100メートルの高さを流れていきます。幹線水路は嬉野台地の東の山中をゆったりと流れて、途中、ポンプアップされて台地の東端、依藤野へ上がり、台地をゆっくりと西に向かって流れながら田を潤して…
東条ダム(鴨川ダム)から延びた水路はダムのすぐ下の水門から長い旅に出ます。水路橋(昨日紹介)を渡り、山裾を縫うようにゆっくりと流れていきます。今日は山裾を流れる第一号幹線水路の風景を紹介します。 29年前に社会科の教材づくりのために水路を追…
東条ダム(鴨川ダム)から長い水の旅に出た水は、第一号幹線水路を流れます。この歴史ブログの7月8日投稿の記事で、ダム近くの加東市黒谷を通る県道から見た水路橋の写真を紹介しましたが、その水路橋を上から眺めたのが今日のこの写真です。全長62メー…
東条ダム(鴨川ダム)から出た水は、幹線水路をゆったりと流れ、隧道や水路端を通りながらやがて嬉野台地の裾を曲がりくねりながら走り続けます。嬉野台地は独立した台地なので、ここでポンプアップして水を台地に送り上げます。水路から水を取り入れ、ポン…
東条ダム(鴨川ダム)へは、上流の大川瀬から水が取り入れられています。29年前に水源を辿って、大川瀬の取り入れ口までバイクで行ってみました。 ものすごい岩壁の下に大川瀬導水路取入口があります。取水堰は幅約45メートル、高さ約3.5メートルあり…
東条ダム(鴨川ダム)からの用水は、血管のように延びる水路を通って、加東、小野市域の広大な農地に送られています。その水の旅の始まりが写真のゲートなのです。 ダム堰堤の下の見下ろすところに水路の出発点があります。はじめは暗い隧道の中ですが、やが…
東条ダム(鴨川ダム)からの幹線水路は、谷を水路橋で渡り、隧道でくぐり抜け、山すそを曲がりくなりながら延びています。その水路を辿っていくと、やがて、安政池(加東市松沢)の東側の地点で二股に分かれます。一方は嬉野台地から曽根サイフォンへと向か…
昨日は昭和池から嬉野台地に延びる幹線水路に設けられた藤田サイフォンの呑口の写真を紹介しました。今日は谷を渡って台地の北端に噴き出す吐口の写真を掲載します。 この写真は29年前に撮影したものですが、現在も変わらずほぼこの姿で存在します。しかし…
昨日紹介は、昭和池から嬉野台地へ通じる水路のうち、藤田サイフォンの全景を写真で紹介しました。 今日は、そのサイフォンの呑口、すなわち昭和池から長い旅に出た水が水路から管に流れ落ちるところの覆いとなっている施設の写真を紹介します。昨日の全景写…
29年前、兵教大附属小に勤務し、4年社会科の教材研究で嬉野台地の開発を調べました。その時に、昭和池からはるばる水を引いて嬉野の開発が進められたことを知り、その水路を辿ってみました。 三草山の麓に築かれた昭和池。そこから水路や隧道で水路が延び…
台地ににょきっと突き出たコンクリートの巨大な円筒。これは、農業用水の円筒分水施設です。29年前に嬉野台地の開発と東条川用水とともに昭和池の用水についても水の路を追って調べましたが、その時に出会った風景です。円筒の高さは人の背を超える2メー…
29年前、教材開発のための調査で東条ダム(鴨川ダム)や昭和池の用水路をたどって単車で走り回った際、地形に応じてさまざまな姿の水路が工夫されていることに驚きと感動をもってカメラに収めたことを今もよく覚えています。 昭和池から谷を渡り、稲尾方面…
29年前に撮影した東条川用水の鴨川ダムから延びる国営の幹線水路が谷を渡る水路橋です。 加東市黒谷のダムへ通じる道路から見えるのですが、ダムから出発した水の旅のはじめの頃にこの水路橋を渡ることになります。
昨日に続いて東条川用水の曽根サイフォンの写真を紹介します。29年前に水の路を追ってバイクを走らせ取材した写真の1つです。台地から一気に約40メートルを下り、東条川を跨いで谷を渡り、池を跨いで台地に駆け上がる。全長1000メートル余。当時は…
5日(日)、県公館で「疎水サミットinひょうご2010」が開かれました。疎水の価値を再認識する絶好の機会になったと思います。 29年前、兵庫教育大学附属小学校の4年生の社会科を担当していましたが、身近な地域の学習で、「嬉野台地の開発と東条ダ…