ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

2010-08-01から1ヶ月間の記事一覧

昭和28年頃-社小学校の運動会

この写真は、私が生まれた昭和28年(1953)頃の社小学校の運動会のようすを撮したものではないかと思います。 運動場の北東から南西を向いて撮影したもので、運動場の向こうに本館と理科室が写っています。理科室は大正12年(1923)落成の立派な…

享保年間の宝筺印塔-社の百旗墓地

国道372号が加東市社の市街地へと入ってくるところに百旗墓地があります。ちょうど社郵便局の東の少し高いところです。この墓地に見上げるほどの高さの大きな宝筺印塔があります。 墓参りに来ると入口近くにあるこの大きな宝筺印塔が目につきます。いった…

田中の薬師堂-ハメよけ薬師

加東市田中に薬師堂があります。ジャスコや県総合庁舎の南側の道路を西向きに走っていると、広々とした田の向こうにお堂が見えます。これが田中の薬師さんです。 このお薬師さんは昔から「ハメよけ薬師」として知られています。お堂の床の下の砂をいただいて…

享保年間の宝筺印塔-出水薬師堂

昨日紹介した加東市出水地区の入口にある薬師堂の境内に宝筺印塔があります。 宝筺印塔(ほうきょういんとう)というのは、先祖供養のために経文を刻んだり収めたりして祈りを込めて建てられた塔です。 以前、この歴史ブログで、加東市山口の墓地にある宝筺印…

出水の薬師堂-殉国の碑

加東市出水の入口にあたる場所に薬師堂があります。お堂の正面には軍人の墓が並んでおり、脇に石碑が建てられています。昭和27年(1952)に建立されたこの「殉国」の碑には、日支事変、大東亜戦争に出征し戦死した郷土出身兵士の英霊を顕彰するために…

昭和32年秋の嬉野

加東市のほぼ中央に広がる嬉野台地。東条ダムからの水を運ぶ水路や兵庫教育大学附属小学校の新築当時の写真を紹介してきましたが、時代と共に大きく変貌を続ける嬉野台地の姿に自分の人生を重ね合わせてみると感慨一入です。 昭和40年代は、社中学校、社高…

嬉野台地-東条ダムの水の旅

東条ダム(鴨川ダム)の水が嬉野台地を潤している。このことを29年前に兵教大附属小の4年生の社会科の学習で探究しました。教材研究でダムから幹線水路を追ってバイクで走り回ったことで、私自身も驚きの連続でした。 この写真はその一枚ですが、嬉野の附…

昭和56年-嬉野兵教大附小交差点

この写真は、昭和56年(1981)、嬉野の兵教大附小の交差点を小学校の敷地から撮したものです。遠くに三草山の山並みが見えます。右側の白い施設は浄化施設で、嬉野地区の附属学校や官舎の下水を浄化していました。 兵教大附属小学校は昭和56年に校舎…

伝統の盆踊りで新ふれあい音頭の披露-山国観音堂

18日(水)、加東市山国の観音堂の境内で「やまくに盆踊り大会」が行われました。山国地区の役員さんをはじめ、老人会、女性会、子ども会、消防団など地区の各団体で構成される実行委員会の皆さんが、伝統行事として続いてきている盆踊りを盛り上げるため…

東条ダムの水-山中でサイフォンへ

この写真は29年前、教師だったころに社会科の教材研究調査で、東条ダムからの用水路をたどって嬉野台地の東端の安政池付近まできたところで撮影したものです。 この歴史ブログでも当時撮影してまわった用水路の写真を紹介してきましたが、その一枚が、この…

黒谷の柱まつり-夏の夜空にヤマの炎が

昨16日夜、東条ダムの麓の地区、加東市黒谷の若宮八幡神社の境内で盆踊りが開かれました。黒谷地区では、この16日の盆踊りのあとに伝統行事である「柱まつり」が行われます。「ヤマ」とよばれる松の木を軸にしてつくられた大きな木の柱を燃やす行事です…

田町の法連寺で

この写真は町内の家にあった古い写真です。写っているのは社(加東市社)の田町通りの東端にある法連寺の建物の前での記念写真のようです。 この写真がいつ撮影されたものか、また、どのような人たちなのかについては、提供して下さった方も分からないという…

終戦記念日の忠魂碑

8月15日(日)、65回目の終戦記念日です。 朝のウォーキングでは、いつも忠魂碑の前で護国の英霊の御魂に感謝と祈りを捧げますが、今日は特別な思いをもって忠魂碑にお参りしました。 加東市社の市街地の南端の明治館(旧加東郡公会堂)の敷地の一角に…

昭和32年-旧社中運動場で保育園児が運動会に参加

今から53年前の昭和32年(1957)年9月20日、嬉野にあった社中学校運動場(現兵庫教育大学附属小学校)の運動場で行われた運動会に社保育園の園児が参加し、輪になって踊りを披露しました。写真はその時の演技のようすです。 この写真をよく見ると…

昭和32年-義士の墓に参る社保育園

12月14日。赤穂義士の討ち入りの日です。加東市社では、赤岸(観音寺のある辺りの地名で、「あかぎし」と読む。赤穂義士が訛ったものと言われている)の観音寺の義士の墓(正確には墓標)にお参りをする義士祭が行われます。 赤穂義士と観音寺(加東市家…

昭和32年-社保育園のクリスマス

現在、加東市立社保育園は社市街地の東の高台になっているところにありますが、私が通っていた昭和30年頃は、市街地の北、社小学校の隣接地にありました。この社保育園に3年通ったのですが、今でも当時のことは断片的に覚えています。今は、小学校の体育…

昭和20年代後半-佐保神社秋祭り

この写真は佐保神社(加東市社)の秋祭りの賑わいを撮したものです。年代は昭和20年代後半のものと思われます。 太鼓屋台の宮入りのようすを撮したもので、境内の手前には練っている屋台が一基、向こうには、二基の屋台が見えます。境内は、幟が立ち並び、…

昭和30年代半ば-社小学校の木造校舎

この写真は昭和30年代半ばの社町立社小学校(現加東市立社小学校)の運動場会の一コマですが、懐かしい木造校舎が写っています。 本館と便所です。この便所は本館と1年生の教室のある木造校舎を結ぶ通路にあって、運動場からも入れました。西側が小便用、…

昭和30年代はじめの社保育園と小学校

この写真には、今から半世紀余り前の昭和30年代はじめの社保育園と社小学校の校舎が写っています。 手前のブランコは保育園の運動場にあった木製のベンチ型ブランコです。右手に園舎があり、向こうに見えるのが社小学校の木造校舎です。2階が講堂になって…

昭和30年代はじめの百旗墓地

そろそろお盆です。この写真は昭和30年代はじめ頃の社の百旗墓地の写真です。社地区(加東市社)には百旗墓地をはじめ、中墓地など4ヶ所の墓地がありますが、百旗墓地は、市街地の東の高くなっている所にあります。国道372号が市街地に入ってくる所で…

昭和28年成人式参列者記念写真-社小学校で

昨日紹介した昭和20年代末の成人式記念写真に続いて、昭和28年(1953)の社町成人の日参列者の記念撮影を紹介します。撮影場所は社小学校の本館玄関前のようです。もうこの木造校舎はありませんが、この写真の中には、若き日の先生や米屋のおじさん…

社小学校の講堂で成人式の記念撮影-昭和20年代末

今日紹介する写真は、昭和20年代末の頃の成人式の記念写真です。もう60年近く前の頃ですから、写真に写っている青年は現在70歳代後半になっておられるはず。撮影場所は、「八城学校」の額が掲げられていることから、社小学校の講堂だと思われます。私…

黄金色に輝く柿葺の屋根-若宮八幡宮本殿

この写真は加東市黒谷の若宮八幡宮本殿です。撮影は平成21年3月中頃です。東条湖へ向かう県道を走っていると、右手の山裾に黄金色に輝く屋根が目に飛び込んできました。修復間もない若宮八幡宮本殿の柿葺(こけらぶき)の屋根だったのです。思わず車を止…

昭和32年-奉安殿跡の築山前で

戦前(昭和10年代)の社小学校の奉安殿の写真をこの歴史ブログで何度も紹介してきました。一昨日の写真もその一枚です。敗戦後、占領下にあって奉安殿は取り壊され、そのあとに築山がつくられました。築山には、奉安殿や令旨塔の積石が配置されました。 今…

姫路城-昭和の大修理

アルバムの中に子どもの頃の姫路へ遊びに行った時の写真がありました。昭和32,3年の頃のものだと思います。 姫路城の昭和の大修理が行われていたために、写真の通り姫路城は工事用の素屋根に覆われています。私はまだ4,5歳だったので、姫路のお城の姿…