2010-09-01から1ヶ月間の記事一覧
明治23年(1890)といえば、わが国で初めて総選挙、すなわち衆議院議員選挙が行われ、第1回の帝国議会が開かれた年です。この年の6月11日付の神戸又新日報(こうべゆうしんにっぽう)に板垣退助の播州遊説のことが報じられています。 記事によれば…
明治15年(1882)といえば、今から128年前のことになります。大隈重信が立憲改進党をつくった年です。板垣退助が自由党を結成したのが前年のことで、15年には岐阜で暴漢に襲われています。 さて、わが故郷では、当時どのような動きがあったのでし…
26日(日)、酒米の王様、山田錦のふる里東条地区で山田錦ウォーキングが行われました。滋賀県や京都府からの参加者も含めて約300人が秋の実りの色が広がる東条の里を歩きました。今年は別の式典が同時間帯に重なったために参加できなかったのですが、そ…
23日昼頃、雨が小降りになったので墓にまいりました。加東市社には百旗墓地、中墓地など4ヶ所の墓地がありますが、わが家の墓は市街地を西に望む少し高台の百旗墓地にあります。 国道372号線に面しているのでひっきりなしに自動車が通りますが、その道…
加東市社、二区の西浦に若宮神社があります。若宮とは、佐保神社の祭神の天児屋根命(あめのこやねのみこと)の御子、天絵押雲命(あめのおしくものみこと)、御孫神である天種子命(あめのたねこのみこと)が祭神として祀られている神社であることをさして…
加東市社の市街地には、街路から家並の間を抜ける路地がたんさんあります。かつては多くの人々が歩いて通り抜けていった便利な路地。また、子ども達の格好の遊び場だった路地。昭和30年代はじめ、路地の地蔵堂の前に紙芝居がやってきて、5円、10円玉を…
今朝は歩いていても蒸し暑くて汗が滲みました。加東市社の新池の堤から朝日の昇る東の方角を見ると、関西電力社営業所の鉄塔が正面、そして、少し赤みをもった朝日が薄雲の中に浮かんでいました。新池には鉄塔がくっきりと映されて、まるで天地を貫く軸のよ…
運動会に出席するために加東市立福田小学校を訪れました。まだ開会式まで時間があったのですが、校長先生のご案内で運動場に向かう時、職員室前の植え込みの中に二宮尊徳像があることに気づきました。何度も訪れている福田小学校なのですが、尊徳像がこんな…
昭和9年(1934)の社町社区長の「雑書綴」にはさまざまな通知が綴じられていますが、軍事に関するものも多くあります。 今日紹介するのは、神戸港に入港する軍艦「伊勢」の観覧に関する通知です。船艦「伊勢」は神戸造船所で建造され、大正6年(191…
社町社区長の「雑書綴」の中に、昭和9年(1934)3月21日に起きた函館大火に対する義捐金の件に関する通知が綴じられています。 昭和9年の函館大火は、市全体に延焼、死者2000人以上の大火だったそうです。函館は風強く、いったん火が出ると大火…
昭和5年(1930)の社区長「雑書綴」に、社区の役員会の案内が綴じられています。社区事務所用箋にペン字で書かれた案内で、区長、副区長、会計の三役連名で、参与員、評議員、土木員といった役員宛に出されています。 6月12日付の案内は「本日午後八…
そろそろ秋祭りの準備が始まる頃になりました。加東市社の佐保神社の太鼓屋台の打合せも行われ、各地区の準備や練習が始まります。 さて、昭和5年(1930)の佐保神社の秋祭りの案内が社区長の「雑書綴」に綴じられています。写真は昭和10年代の佐保神…
「昭和五年四月 雑書綴 社町社区長」の中に、口腔衛生週間に関する社町長から各区長宛に出された通知が綴じられています。昭和5年(1930)といえば、今から80年前のことになりますが、昭和の合併前の旧社町(今の社小学校区域)時代のもので、元加東…
社町社区長(現加東市社)の「昭和九年四月 雑書綴」の中に、「健康週間宣伝ビラ配付」に関する社町長からの依頼文が綴じられています。(1934年) その中に、社警察署の「一日一善ビラ」配付に関することが書いてありました。どんなビラだったのか、ビ…
昨日に続いて、東条ダム(鴨川ダム)を見下ろす展望台で、湖を眼下に宴を楽しむ人たちの写真です。
昨日に続いて、昭和29年頃の東条ダム(鴨川ダム)を展望台から望んだ写真を紹介します。この高さからダムによってできた湖を展望すると、天空から見下ろしているようで、気分も爽快だったでしょう。
東条ダム(鴨川ダム)は、戦後の食料増産のために造られた、戦後第1号の国営ダムとして知られています。この歴史ブログでもその建設の経緯や工事について紹介してきましたが、ダムが完成して間もない昭和29年頃、ダムの堰堤上で楽しむ人を撮った一枚がこ…
この写真は、昭和20年代半ばの社、田町通りにあった市場の前で撮られたものだと思われます。写っているのは市場の関係者だと思いますが、その中に父、母の若き日の姿があります。 田町通りは、かつて社で一番賑やかな通りだったと聞いています。私が小学生…
昭和17~19年にかけての常会関係文書を綴じた「社部落常会協議事項」の中に「㊙希望事項」と題した文章が綴じられています。 戦争の長期化で、応召兵が増える中、その対応についての希望事項が書かれています。よくテレビなどで見る出征兵士の歓送会や駅…
戦時中の社部落(現加東市社)の常会協議事項綴の中に、昭和19年(1944)、社町役場から区長、婦人会に銀回収運動協力依頼が出されています。 銀は航空機、通信機等の材料として必要な材料であり、回収運動が行われていました。この歴史ブログでは、何…