2010-10-01から1ヶ月間の記事一覧
「孝女ふさ」の彰孝碑の建設趣旨を刻んだ石碑が彰孝碑の脇に建てられています。建立年も建立者も刻まれていませんが、碑文からその趣旨を読み取ることができます。桜の古木の枝の下に建てられたこの石碑。碑文は次のとおりです。 孝女ふさ彰孝碑建設について…
加東市上三草の旧街道沿い、下三草との境に近いところに大きな石碑があります。これが、「孝女ふさの碑」として知られている彰孝碑です。 「ふさ」は、18世紀半ば、江戸時代の人で、社村(現加東市社)に生まれ、6歳のときに上三草村(加東市上三草)に養…
大正2年(1913)5月30日付の神戸又新日報(こうべゆうしんにっぽう)に嬉野台地の開墾計画の概要という見出しの記事が掲載されています。 記事によれば、嬉野開墾について、明治42年に県の技師に依頼をして調査した結果が次の通り報じられています…
加東市鴨川からの帰り、国道372号から馬瀬を過ぎて、旧道に入り、山口を通って、上三草の家並みが続く辺りを下っていると、右手の一画に大きな石柱が立っているのに気がつきました。また、そのすぐ側に南天の木が繁っており、よく見ると、その中に道標が…
神戸又新日報(こうべゆうしんにっぽう)の大正2年5月15日付(1913)に嬉野開拓協議会が開催されたという見出しの記事が掲載されています。今月23日のブログで嬉野開拓に関する記事を紹介しましたが、その後、協議会が開催され、期成同盟会が組織…
神戸又新日報(こうべゆうしんにっぽう)は明治10年代に創刊された兵庫県を代表する地方新聞です。その又新(ゆうしん:略称)の大正15年(1926)1月6日付に、加東郡(今の加東市、小野市域)の話題などが報じられています。 1つは加東郡の合併の…
23日、加東市河高を車で走っていると、コスモスが満開で日に輝いていました。加東市の花でもあるコスモス。市内各所でコスモスが咲いている風景を楽しむことができますが、まさに今を盛りに咲き乱れるという言葉がピッタリのコスモスです。思わず車を降り…
神戸又新日報の大正2年4月25日付に、嬉野台地の開墾計画が動き出したことが報じられています。 ●加東郡嬉野開墾協議会 加東郡社町外七ヶ町村所属の嬉野は県下に於ても著名の広野にし元陸軍演習地として屡々使用せられし原野なるが這般同地を郡事業として…
神戸新聞の昭和30年(1955)3月31日付の東播版Aに「加東郡の二町仲よく発足」の見出しと地図が掲載されて、社町と東条町の発足が報じられています。 二十九年度も大づめのきょう三十一日、加東郡で二つの新しい町が誕生、力強い新生第一歩を踏み出…
神戸又新日報(こうべゆうしんにっぽう)の大正3年10月24日付に、「両殿下御見学と社町」という見出しの記事が掲載されています。 大正3年(1914)ということは、今から96年前のことですが、陸軍大学生の演習が行われ、10月21日に篠山を出発…
昨日、明治23年(1890)に実施された第1回衆議院議員選挙の候補者選定に関する新聞報道を紹介しました。 今から120年前にわが国では第1回目の総選挙が行われ、全国から300人の衆議院議員が選出されました。小選挙区制で行われ、兵庫県は10区…
神戸又新日報の明治23年5月18日付に、衆議院議員選挙に向けた県内各選挙区の動静が報じられています。第1回の総選挙はこの年の7月1日に実施されるのですが、これに向け、各選挙区では候補者選定の有志懇親会が開催されていました。 記事によれば、社…
加東市東実の阿弥陀堂の脇に、石仏を彫った石が台座の上に置かれています。 石窟の中に居られるように大きく彫り込んだ中に浮かびあがるように一体の石仏が彫られています。そして、その下の部分に2体の小さな仏が彫られています。 このブログでも紹介した…
日中はまだ暑い日が続いていますが、朝夕はだいぶ冷えてきました。 夕暮れ、社の田町通りから学校道(社小学校への道)を歩いていると、家が途切れて視界が一気に広がりました。 西の空には、雲が高くたなびき、関西電力社営業所の鉄塔が空をバックに高くそ…
加東市社の市街地の南の端の辺りに明治館があります。このブログでも何度か紹介してきましたが、この建物は明治45年(1912)に加東郡公会堂として建てられたものです。 それ以前は社村の役場があったのですが、明治45年6月に社町となり、この役場の…
加東市社の市街地を北の方角へ歩いていくと、大きく下り坂になり、旧国道175号と合流して、家原の赤岸(あかぎし)交差点になります。 この赤岸に観音寺があり、赤穂四十七士の墓標があることで知られています。この観音寺に接して南側に墓地があります。…
10日、佐保神社秋祭の本宮での宮入、練り合い、そして下向、と今年も上組の屋台はその勇壮な姿を惜しみなく披露し、屋台倉まで帰ってきました。 今年は雨で宵宮の巡行ができず、そして、本宮も午前中はまだ雲が空を覆っていました。しかし、宮入りの頃には…
この写真は、佐保神社の秋祭りに境内に立てられた幟の一本で、ちょうど大門地区の獅子舞が披露されているときに写したものです。幟の下部のところに氏子の村の名が書いてあるのですが、そこに「小部野」と書かれた三文字が目に飛び込んできたのです。 小部野…
加東市の西部を北から南に向かって流れる加古川。その西には広大な青野原台地が広がっています。国道372号線は姫路から加西を抜けてこの台地、加東市の高岡地区を走り、台地を一気に下って加古川を渡ります。 その高岡の台地を早朝、東に向かって車を走ら…
10日(日)、佐保神社(加東市社)の秋祭りが行われました。宵宮は雨でしたが、10日の本宮は雨も上がり、宮入が行われる昼過ぎには空が晴れて青空が広がり、まぶしいほどの光の中で、豪華屋台の町内巡行や宮入りが行われました。 佐保神社には、新町、上…
佐保神社(加東市社)の秋祭りは9日が宵宮、10日が本宮になっています。8日夜、社の上組(かみぐみ)の屋台倉では、宵々宮が行われました。生憎の雨になってしまいましたが、保存会の若者が急遽テントを設置して、宵々宮が行われました。 宵宮、本宮に備…
加東市社の市街地のほぼ中央にある加東市商工会館から東へのびる田町(たまち)通りは、かつて、多くの店屋が建ち並んで賑わった商店街でした。豆腐屋、肉屋、おもちゃ屋、菓子屋、靴屋、畳屋、銀行、食堂、散髪屋、酒屋、自転車屋、本屋、歯医者、衣料店、…
加東市社の旧役場のあったところの南に、今は駐車場になっている場所があります。旧役場跡は連合区の駐車場や消防会館(兼消防団詰所)になっていますが、一軒おいて路地があり、その南側は駐車場になっています。かつて、この場所にはお風呂屋さんがありま…
昨日に続いて、上鴨川住吉神社(加東市上鴨川)の宵宮で舞われた神事舞の写真を紹介します。昨日のリョンサン舞のリズムをとっているのが、笛と太鼓です。境内の舞堂の縁に腰掛けて、田楽を舞う装束をつけた若い衆が太鼓をたたいていました。 本当に単調な繰…
4日夜、上鴨川住吉神社の祭に行ってきました。毎年10月4、5日にわたって祭礼が行われます。4日は宵宮。境内では、股木にたてかけられた柴が勢いよく燃え上がり、夜空に火の粉が舞い上がっています。 やがて、中世の武士のような装束で、鶏の兜と面をつ…
加東市東実の阿弥陀堂の境内の真ん中に手水の大きな手洗の石があります。水道の蛇口、石の上に置かれたやかんが、このお堂と墓にお参りする人々の動きを感じさせてくれます。 いつ頃のものだろうと石の側面を見てみると、「手洗水」と縁取られて刻まれた文字…
3日(日)、市内各地で秋祭りが行われました。昼前からぽつぽつと落ち始めた雨は、昼頃には本降りとなり、ちょうど神輿や太鼓屋台の宮入りの時間帯に生憎の雨となってしまいました。 2時過ぎ、加東市牧野の住吉神社では、境内に透明のビニール合羽をつけた…
加東市東実の集落の南側には、黄金色に色づいた田圃が広がっています。その中に阿弥陀堂があります。加東郡八十八ヶ所霊場の八十三番霊場で、お堂の入口には石柱が建てられています。その脇には、右八十四番と刻まれた道標も置かれています。八十四番霊場は…
明治15年(1882)2月26日付の「神戸新報」に、村上代三郎の物故記事が掲載されています。 ○彼の旧幕府弘化年間に蘭学を以て登用せられ名を海内に轟かせし播磨国加東郡木梨村平民村上大(ママ)三郎翁も予て病痾に罹られ居しが去る廿日終に物故せら…