2011-01-01から1年間の記事一覧
昨日に続いて県立社高校を紹介します。24日のシリウスカップ(ジュニアバレー大会)の会場となった社高校の体育館の2階テラスから校舎の方を見た景色がこの写真です。 耐震工事等で校舎はきれいになっています。40年前に学んだ校舎。当時は、この高さ、…
県立社高校は我が母校です。昭和44年入学の47年卒。第24回生です。 校舎の西、グラウンドとの間に高くそびえる木が一筋に並んでいます。木の名は分かりませんが、幹がまっすぐに空に向かって伸びています。そして枝と茶色くなった葉がまるでロウソクの…
加東四国霊場三十九番は野村(小部野:おべの)の西之堂です。本尊は阿弥陀如来。 小部野は今から千二百五十年以上前に編纂された播磨風土記の穂積里に出てくる「小目野」に由来する古い地名です。かつては国土地理院の地形図にも小部野の地名がありました。…
加東四国霊場三十七番野村の極楽堂です。ご本尊は阿弥如来。野村のお堂と呼ばれ親しまれています。かつては境内を取り巻くように廊下があったそうです。北播磨一円からのお参りの人も多く、賑わったといいます。 お堂に掲げられた額には、本尊阿弥陀佛 延寿…
加東市野村のお堂(極楽堂)の境内には、道標や加東四国霊場の成立記念碑などの歴史を伝える貴重なものがありますが、東側に西向きに13の地蔵さんが並んでいます。 地元の方の話によると、元は境内の南側にあって、北向きに並んでいたそうです。境内の整備…
昨日に続いて加東市野村の「お堂」の境内にある記念碑を紹介します。 石碑には「加東四国成立記念」と刻まれています。建立されたのは大正7年(1918)で、この極楽堂が加東四国八十八ヶ所霊場の三十七番霊場として多くの巡礼者のお参りがあったことを物…
加東市野村に「野村のお堂」と呼ばれて親しまれている加東四国霊場の第三十七番極楽堂があります。 この境内に大きな道標が立っています。(写真)地元の方の話では元の場所から移したということでした。「左 きよみず、右 ほつけ山」と刻まれており、建立年…
23日は天皇誕生日。早朝ウォーキングから帰り玄関に国旗を掲げました。78歳になられた今上陛下の誕生日をお祝いする大切な日です。今年は東日本大震災に際して、国民に対して異例のビデオを通してお言葉を出されました。そして、被災地を見舞われ、被災…
佐保神社(加東市社)の参道の脇の公園の中に道標が倒れているという話を聞いて、朝のウォーキングの時に捜してみました。毎朝歩いているのに参道から外れているのでまったく気が付きませんでした。そこには無造作に2つに折れた道標が横たわっていました。…
昨日、加東市野村の加古川堤防の下にある福田橋之記の石碑のことを紹介しましたが、『新修加東郡誌』を読んでみると現在の福田橋は三代目のものということを知りました。 一代目が明治16年(1883)年、二代目が大正3年(1914)、三代目は昭和31…
昨日、郷土史に詳しい佐保神社宮司の神崎さんから福田橋の碑文のことを聞き、早速石碑を見に行きました。加東市野村の加古川の堤防のすぐ下に石碑はありました。「福田橋之記」との題と碑文が刻まれていました。 『加東郡誌』に碑文が記されているということ…
しばらく投稿を休んでしまいました。さて、今年もあと10日ばかりを残すのみとなりましたが、この度、平成24年の佐保神社暦ができあがりました。秋祭りに出る神輿と4台の太鼓屋台、獅子舞の写真が載せられています。今年の秋祭りのポスターが好評だった…
遅い山々の紅葉、そして嬉野台地に朝霧が立つようになって、ようやく秋の終わりを感じ始めたと思ったら、早や師走。今年も最後の月を迎えました。 加東市社の市街地に「義士祭」の幟が立てられました。毎年12月14日には、家原赤岸の観音寺で義士祭が行わ…
源平合戦の一ノ谷の合戦の前哨戦として知られる三草山合戦(1184)の古戦場、三草山を加東市下三草の田圃の中から望んだ写真です。手前に圃場整備が行われ、きれいに区画された田圃が広がっていますが、義経の奇襲によって敗れた平氏がこのあたりまで逃…
佐保神社(加東市社)の境内、拝殿前の石燈籠に松尾新十郎の名が刻まれています。朝、参拝をすませて拝殿の階段を下り、西側に抜けるとき、必ず目に入ります。慶應四年九月と刻まれていますから、1868年(明治元年)、今から143年前のことです。 燈籠…
加東市木梨の北の丘陵にある墓地に村上代三郎の墓碑があります。「村上木州翁之碑」と刻まれています。 木州村上代三郎は幕末の蘭学者で、全国にその名を知られた人物です。『新修加東郡誌』の人物編に代三郎のことが紹介されていますが、適塾の塾長をつとめ…
加東市の中央に広がる嬉野台地の東端から東条谷への長い坂道を下ると、その左前方に小高い山の張り出しが目に入ってきます。山々の紅葉が一気に進んで、いつもの晩秋の色に変わってきました。 この小高い山に中世の山城、小沢城址があったと聞いています。城…
18,19日の両日、加東市で忠臣蔵サミット(第23回義士友好都市交流会議)が開かれました。社町時代に第11回目のサミットが開かれ、早籠にちなんで社の商店街で籠かき競走が行われたこともありました。今回は、北は北海道の砂川市、岩手県の一関市、…
秋が深まり、冷え込んだ朝には嬉野台地に朝霧が出ます。写真は県道社東条線、通称学園道路です。けやきの並木が朝霧に差し込む朝日にシルエットとなって浮かんでいます。暖かい日が続き、色づく間もなく急に枯葉となってしまった今年のけやきでした。 嬉野台…
昨日紹介した県道社東条線の加東市小沢の道標から県道を嬉野台地へと走り、長い坂道を登り切ったカーブのその少し奥に冷泉為勝と依藤太郎左衛門の墓があります。今年の7月3日に投稿したこのブログで紹介しましたが、その手前の林の中にもう一本、石碑が立…
加東市のほぼ中央部には嬉野台地が広がっています。その台地を社と東条を結んで県道が走っています。この県道を東条川に沿って走る県道小野藍本線から西に向かって走ると、しばらくして小沢の公民館が右手に見えます。銀杏が色づいて秋の光にまぶしく輝いて…
加東市社の中心部から東に広がる嬉野台地に向かって学園道路が延びています。黄色く色づいた銀杏並木の道路の両サイドには、市立社中学校、そして県立社高校、さらに兵教大附属幼稚園、小学校、中学校、県立教育研修所などがあり、学園道路の名にふさわしく…
朝、ウォーキングの途中に持寶院(加東市社)の大師堂に参拝します。大師堂は加東四国八十八ヶ所霊場の根本道場で日本一木像大師像が安置されています。大師堂を出て朝日のさす方角を見ると、境内は静かな空気に包まれていました。光とともに生気が満ちてく…
秋の朝、鳥の一団が飛来して柿の木にとまり激しく鳴きながら色づいた柿の実をつついています。庭に出て大きな音を出しておどかすと、すぐ上の電線まで後退して鳴き続けます。もう一度大きな音をたてておどかすとどこかへ飛びび去っていきました。この朝は3…
佐保神社(加東市社)を参拝し、境内を北の方角に抜けると、その先に若宮神社があります。若宮神社には、佐保神社の御祭神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)の子である天押雲命(あめのおしくものみこと)、その子の天種子命(あめのたねこのみこと…
加東市家原の赤岸交差点にある観音寺は赤穂義士の寺として知られています。境内奥には、赤穂藩浅野氏四代の藩主と四十七義士の墓碑があります。東京の泉岳寺、赤穂の花岳寺ともう一つ、この観音寺の三ヶ所に四十七義士の墓碑があるのです。この墓碑は弘化4…
加東市秋のフェスティバルの企画の一つに市内の幼稚園から中学生までの絵や書道の作品の展示がありました。学校ごとに作品が展示されており、運動会や秋祭りなどの絵が多く、それぞれに躍動感が溢れていて鑑賞する者も楽しい気分になりました。 写真はそのう…
加東市秋のフェスティバルが市役所社庁舎やステラパークを会場に5,6日にわたって開催されています。初日は生憎の雨になりましたが、会場には多くの人が訪れ、菊花展や加東市の物産、味を楽しんでいました。 庁舎北側では釣り堀が特設され、あまごやますを…
とうとう佐保神社(加東市社)の瑞神門が工事用の足場に覆われ姿を隠しました。来年の夏まで解体修理が行われる予定です。 姫路城も工事中ですが、こうしてすっぽりと覆ってしまうとその大きさに驚かされます。瑞神門と石燈籠の間を通って境内に入ることがで…
今年の6月、闘龍灘の風景を撮したものです。滝野の地名の由来にもなったこの滝は、その奇岩のつくる風景によって加古川中流の名所として知られています。 この写真は滝寺荘(加東市上滝野)の部屋から滝と下流の方角を見たものですが、空の青さ、そして流れ…