2011-12-01から1ヶ月間の記事一覧
昨日に続いて県立社高校を紹介します。24日のシリウスカップ(ジュニアバレー大会)の会場となった社高校の体育館の2階テラスから校舎の方を見た景色がこの写真です。 耐震工事等で校舎はきれいになっています。40年前に学んだ校舎。当時は、この高さ、…
県立社高校は我が母校です。昭和44年入学の47年卒。第24回生です。 校舎の西、グラウンドとの間に高くそびえる木が一筋に並んでいます。木の名は分かりませんが、幹がまっすぐに空に向かって伸びています。そして枝と茶色くなった葉がまるでロウソクの…
加東四国霊場三十九番は野村(小部野:おべの)の西之堂です。本尊は阿弥陀如来。 小部野は今から千二百五十年以上前に編纂された播磨風土記の穂積里に出てくる「小目野」に由来する古い地名です。かつては国土地理院の地形図にも小部野の地名がありました。…
加東四国霊場三十七番野村の極楽堂です。ご本尊は阿弥如来。野村のお堂と呼ばれ親しまれています。かつては境内を取り巻くように廊下があったそうです。北播磨一円からのお参りの人も多く、賑わったといいます。 お堂に掲げられた額には、本尊阿弥陀佛 延寿…
加東市野村のお堂(極楽堂)の境内には、道標や加東四国霊場の成立記念碑などの歴史を伝える貴重なものがありますが、東側に西向きに13の地蔵さんが並んでいます。 地元の方の話によると、元は境内の南側にあって、北向きに並んでいたそうです。境内の整備…
昨日に続いて加東市野村の「お堂」の境内にある記念碑を紹介します。 石碑には「加東四国成立記念」と刻まれています。建立されたのは大正7年(1918)で、この極楽堂が加東四国八十八ヶ所霊場の三十七番霊場として多くの巡礼者のお参りがあったことを物…
加東市野村に「野村のお堂」と呼ばれて親しまれている加東四国霊場の第三十七番極楽堂があります。 この境内に大きな道標が立っています。(写真)地元の方の話では元の場所から移したということでした。「左 きよみず、右 ほつけ山」と刻まれており、建立年…
23日は天皇誕生日。早朝ウォーキングから帰り玄関に国旗を掲げました。78歳になられた今上陛下の誕生日をお祝いする大切な日です。今年は東日本大震災に際して、国民に対して異例のビデオを通してお言葉を出されました。そして、被災地を見舞われ、被災…
佐保神社(加東市社)の参道の脇の公園の中に道標が倒れているという話を聞いて、朝のウォーキングの時に捜してみました。毎朝歩いているのに参道から外れているのでまったく気が付きませんでした。そこには無造作に2つに折れた道標が横たわっていました。…
昨日、加東市野村の加古川堤防の下にある福田橋之記の石碑のことを紹介しましたが、『新修加東郡誌』を読んでみると現在の福田橋は三代目のものということを知りました。 一代目が明治16年(1883)年、二代目が大正3年(1914)、三代目は昭和31…
昨日、郷土史に詳しい佐保神社宮司の神崎さんから福田橋の碑文のことを聞き、早速石碑を見に行きました。加東市野村の加古川の堤防のすぐ下に石碑はありました。「福田橋之記」との題と碑文が刻まれていました。 『加東郡誌』に碑文が記されているということ…
しばらく投稿を休んでしまいました。さて、今年もあと10日ばかりを残すのみとなりましたが、この度、平成24年の佐保神社暦ができあがりました。秋祭りに出る神輿と4台の太鼓屋台、獅子舞の写真が載せられています。今年の秋祭りのポスターが好評だった…
遅い山々の紅葉、そして嬉野台地に朝霧が立つようになって、ようやく秋の終わりを感じ始めたと思ったら、早や師走。今年も最後の月を迎えました。 加東市社の市街地に「義士祭」の幟が立てられました。毎年12月14日には、家原赤岸の観音寺で義士祭が行わ…