ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

2012-03-01から1ヶ月間の記事一覧

生まれ変わった学校道

何日か前に加東市社の田町通りから社小学校に通じる「学校道」の舗装工事を紹介しましたが、22日の卒業式、23日の終業式を前に「文」の字のマークに緑の色が塗られて完成しました。これで、この道が「学校道」として新生したわけです。 私も通った、子供…

山国熊野神社-寛政五年の石燈籠

加東市山国の熊野神社境内の石燈籠は、寛政五年の建立です。今から219年前のことになります。寛政の改革で知られる松平定信が老中をやめた年です。ヨーロッパではフランス革命が起こり(1789)、ルイ16世がギロチンで処刑されたのが1793年です。…

卒業前に学校道装い新た

3月22日は加東市内の小学校では卒業式が行われます。その卒業の日の前に、子ども達が毎日通学で通る道がきれいに舗装されました。 私は、毎朝、7時30分から約20分間ほどの見守りに立っています。加東市社の市街地、田町通りから社小学校までほぼ一直…

天理教社大教会

17日(土)、天理教社大教会創立120周年記念の行事が開催されました。明治25年(1892)に社に天理教の教会ができてから120年という記念の年にあたります。昭和15年(1940)社大教会となっています。 大教会は社の市街地(社一区)にあり…

源平合戦ゆかりの地-義経お手植えの松

加東市社の市街地に山氏神社があります。「やまうじ」神社が正しい呼び名ですが、社の人々から「やもりさん」と呼ばれ親しまれています。境内は駐車場になっていますが、私が小さい頃はサーカス小屋が建ち、興業が行われていました。保育園から抜け出して小…

早春の三草山遠望

三草山(標高423メートル)は加東市のシンボル的な山です。この歴史ブログでも何度も紹介してきました。源平合戦の古戦場としても知られています。 この山は独立の山塊で、南西の平野部から見ると、屏風を立てたように中央に山頂部、両側に尾根が広がって…

皇紀2600年記念碑-山国青年団

加東市山国の熊野神社の境内に1本の石柱が立っています。この石碑には、「皇紀二千六百年記念碑」、側面に「昭和十五年十二月十一日 山国青年團建之」と刻まれています。 皇紀2600年は昭和15年(1940)のことです。今から72年前に山国の青年団…

山国熊野神社の手水石

加東市山国(やまくに)は加東市のほぼ中央、嬉野台地の西部に位置する広大な面積をもつ地区です。標高100メートルから120メートルぐらいの高台にあり、西を望むと、加古川の流れる平地、さらにその向こうには青野原台地、そして播磨平野の平坦な風景…

加東市の義経伝説が一目で

しばらく投稿をさぼってしまいました。投稿は早朝のいわば、「行」のようにやっているのですが、ここしばらくその時間がとれませんでした。 さて、先週の土曜日、やしろ歴史民俗研究会の役員会に出席しました。その折りに、メンバーの方から一枚のパンフレッ…