2013-02-01から1ヶ月間の記事一覧
「孝女ふさ」の話もいよいよ最終章です。 四 後の幸福(しあわせ) 父は随分手を尽くして養生もし、またおふさも為(で)きるだけ慰めもし、神仏も祈りましたが、とても助かる見込みのない病気という事が分かりましたので、父はある日おふさを枕許(まくらも…
今日は「孝女ふさ」の第三章を紹介します。 三 孝女の奉公振り 孝に厚い者は忠にも厚いと云いますが、全くその通りで、おふさは主人大事とよく勤めました。朝も、夜も、星を戴いて野仕事を致します。雨でも降って家に居りますと、草鞋を作ったり、繩を綯(な…
昨日紹介した、『孝子物語』に書かれたの「孝女ふさ」の続きです。 二 悲しい別れ 斯(こ)うした状態(ありさま)が二、三年も続きました。親は子を思い、子は親を思う親身の真情(まごころ)を基礎(もと)にした家の内ほど、平和で清く美しいものはありま…
「孝女ふさ」は、18世紀半ば、江戸時代に播磨国加東郡上三草村(現在の加東市上三草)で親に孝行を尽くした人として知られ、戦前には修身教科書にも取りあげられていました。上三草の旧京街道沿いにふさの孝行を讃える「彰孝碑」が建てられており、今も地…
昭和4年(1929)の社町社の雑書綴の中に社町消防組の出初式の案内状が綴じられていました。 昭和4年も年末の12月30日付で、社町消防組頭、黒石丑吉の名で各区長と町会議員宛てに出されています。当時の案内や通知は直前に出されている文書が多く見…
昭和4年(1929)、社青年団の経費概略が当時の雑書綴に綴じられています。当時の青年団は父等の世代が担っており、日記や写真があります。この経費概略は社町社区への青年団補助金のために作成されたものと思われます。昭和5年の予算では190円の補…
昭和2年(1927)、社小学校(現加東市立社小学校)を会場にして農業品評会が開催されています。その案内が当時の区事務所の雑書綴に綴じられています。 4回目となっていますから、大正時代からの行事でしょう。蔬菜や家禽が出品されていますが、小学校…
社町社(現加東市社)の昭和九年十一月~昭和十年十月の「往復文書綴」には入営、退営兵の奉告祭の通知が多く綴じられています。その中に昭和10年4月、無事軍務を終えて帰郷する兵士を迎え佐保神社で奉告祭を行うとの通知がありました。退営兵の一人、藤…
社町社区事務所(現在の加東市社)の昭和9年~10年「往復文書綴」の中に加東郡畜産組合の薬局規程が綴じられています。大動物が牛馬、小動物が豚とされており、診察料、薬、証明書等の料金が決められています。 加東郡畜産組合薬局規程 診察料 一、診察料…
先日紹介した加東市上久米の東光寺で行われた伝統の祭り、大日たん(大日如来祭)の山伏による法弓作法の様子を写真で紹介します。 護摩焚きのようすは煙や火渡りの写真がよく紹介されますが、焚き上げの前に行われる山伏による諸作法のようすの写真を見るこ…
2月11日(月)、加東市河高では八幡神社で厄除け祭りが行われました。県立播磨中央公園の中にあるこの八幡さんには毎年参拝していますが、今年もそのようすを紹介します。 河高八幡神社は、今から約470年前の天文4年の創立とされており、「厄除けの霊…
2月11日(月)、建国記念の日には市内各所で伝統の祭りが行われました。加東市上久米の東光寺でも大日如来祭、通称大日たん(だいにったん)が行われました。 大日ったんについて、「広報やしろ」第10号(昭和35年3月5日発行)では次のように紹介し…
2月11日、加東市上久米の東光寺では大日如来祭、通称大日たん(だいにったん)が盛大に行われました。この祭りでは寺の前の田圃で山伏による護摩焚きが行われ、参拝者が無病息災を願って火渡りをします。護摩焚きが始まると、寺の前の道にはそれを見守る…
昨日紹介した加東市下三草(しもみくさ)の諏訪八幡神社の境内には、古い石灯籠があります。天明4年(1784)に建立されたもので、約230年前のことです。 この諏訪八幡神社の創建年代は不明だということですが、戦国時代に上月という武士が戦に敗れ、…
加東市下三草、国道372号線を北へ向かって走っていると、中国自動車のボックスを抜けてすぐの信号を過ぎた右手の山へ向かう参道があります。気をつけていないと通り過ぎてしまいます。そこに下三草の氏神様である諏訪八幡神社の石鳥居があり、階段を上っ…
昭和40年(1965)、私が加東郡社町立社小学校(現加東市立社小学校)の6年生だった時の加東郡国語研究会発行の「友垣」29号(40年12月発行)を紹介します。前回は28号で私の作文も掲載されていました。今回も懐かしい名前が出てきました。 ま…
高校の同窓会の準備会で、古い写真(昨日のブログで紹介)と一緒に文集を2冊見せてもらいました。昭和40年(1965)6月発行の加東郡小学校国語研究会発行の作文集「友垣」の第28号と29号でした。研究会の代表者は田中好雄。友人によると国語の先…
今年は伊勢神宮の式年遷宮が行われる年です。1300年にわたって行われてきた神宮式年遷宮ですが、今年は第62回です。昭和4年(1929)に第58回式年遷宮が行われていますが、昭和4年の社町社の雑書綴には、町長から区長宛てに出された式年遷宮に…
高校時代の同級生が古い写真をもって来てくれました。「社町役場」の看板が掛かっている木造の建物の立派な門の前で着物姿のご婦人方が記念撮影をしたようです。 真ん中に初代社町長の高瀬栄一氏の姿が見えます。昭和30年代初めのものではないかと思います…
昨日は昭和13年(1938)7月8日に開催された加東郡社町社区(現在の加東市社)の評議員会の議事録を紹介しました。今日はその続き、協議内容の記録を掲載します。防空計画、報国貯金や武運長久祈願祭など戦時色が濃くなる当時のようすがうかがえます…
昭和13年(1938)7月8日に開催された加東郡社町社区(現在の加東市社)の評議員会の議事録があります。これまでにもこのブログで紹介したことがありますが、当時の社区の自治がどのように行われていたかを知る上で貴重な資料だと思います。 昭和十三…
昨日、大正14年(1925)に加東郡仏心協会による部落講話の協力依頼状を紹介しましたが、今日はその日割、講師について紹介します。 12月10日から14日までの5日間にわたって、加東郡(現在の加東市と小野市域)を北部、南部、東部の3地区に分け…