ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

2013-06-01から1ヶ月間の記事一覧

かたつむりの横断

加東市社の佐保神社から若宮神社を過ぎ、持寶院大師殿へと続く道を歩いていると、新池の手前で足元にカタツムリを発見し足を止めました。よく見ると、アスファルトの道を横断中のようでした。早朝の人通りのない時間を選んでの横断なのでしょうか。踏まれな…

世界に一つ!加東遺産

富士山が世界文化遺産に登録されました。富士山の美しい姿、信仰のようすなどが映像で紹介され、あらためて富士山のすばらしさに感動しました。日本遺産の創設についての新聞報道もありました。世界遺産の国内候補などを日本遺産として登録し日本の自然や文…

闘龍灘の水神様-宝暦の石灯籠

加東市上滝野の闘龍灘を見下ろす広場に水神様を祀る社があります。かつて加古川舟運で栄えたこの地で多くの人が安全を祈ったことでしょう。玉垣の傍らにどっしりとした石灯籠がたっています。台座には深々と「龍神水神」「奉献夜燈」と刻まれています。建立…

昭和5年-社町婦人会主催の敬老会

今から83年前の昭和5年(1930)3月、社小学校の学芸会にあわせて社町婦人会が主催して敬老会が開催されることになり、その準備が行われています。各部落の出席人数の報告が既になされていたようですが、社区のみ報告が届いておらず、至急知らせてほ…

昭和18年-佐保座で軍人遺家族慰安会

今から70年前の昭和18年(1943)、加東郡社町社(現加東市社)の佐保座で軍人遺家族の慰安会が新聞社主催で行われています。その入場券等の配布依頼が当時の文書綴に綴じられていました。銃後奉公会から各区の軍事援護委員に宛てたもので、私の父も…

昭和18年-元郡公会堂で軍人援護精神昂揚映写会

昭和18年(1943)、社町銃後奉公会長名で各区長宛てに軍人遺家族や傷痍軍人の慰安と軍人精神昂揚の映写会開催の案内が出されています。毎日新聞社主催で兵庫県後援の映画会で、一般国民の観覧促進を依頼しています。また、出征軍人への慰問文(手紙)…

昭和7年-紀元節に天理教で祈願祭

昭和7年(1932)、天理教社分教会が主催して、「皇軍戦捷在満支出征軍人の健康と献功並に在留同胞安全祈願祭」が行われています。その案内が当時の社区長雑書綴に綴じられています。天理教の社の教会は、明治25年(1892)に社に設けられ、昭和1…

昭和9年-函館大火の義捐金に関するお願い

昭和9年(1934)3月21日に発生した函館市の大火災は2000戸、1万人を超える被災者を出しています。この函館大火の義捐金支出に関する社町長から区長への依頼文が当時の区長雑書綴に綴じられています。地震や台風に加えてこうした大火災に対する…

昭和8年-佐保座で出動軍人家族の慰安会

昭和8年(1933)、前年7月に勃発した北支事変で郷土から出動した兵士の家族を慰安する活動写真会が2月11日の紀元節の日に開催されています。会場の佐保座は今はもうありませんが、加東市社の銀座通にあった劇場です。その案内文が当時の雑書綴に綴…

昭和12年-持宝院で出征軍人祈願

昭和12年(1937)、7月に勃発した日支事変によって郷土から多くの兵士が出動していきましたが、十一月に社町(現在の加東市社)の持宝院で出征軍人の祈願祭が行われています。その案内文が当時の文書綴に綴じられていますので紹介します。 毎朝のウォ…

昭和12年-出征軍人家族慰安会

社区事務所の昭和12年7月から14年2月までの軍事関係往復文書綴には、7月に北京郊外の盧溝橋で日本軍と中国軍が衝突し始まった支那事変以降の軍事関係文書が綴られています。その中に郷土から出征していった兵士の家族の慰安会の案内が綴じられていま…

大正12年-社税務署新築の議案

大正12年(1923)6月17日の日付で、町有建物建築に関する議案が町長から提出されています。当時の社区長の綴に綴じられているものですが、町費で税務署を新築し、大阪税務署監督局に有料貸付をしようとする提案です。 税務署の新庁舎は社の田町通り…

大正12年-農事奨励委員会の協議

大正12年(1923)といえば、今から90年前にあたります。当時の社区長の雑書綴にはさまざまな文書類が綴じられていますが、その中に農事奨励委員会の協議事項があります。 農事奨励委員会協議事項 大正十二年十月十二日 一、小作問題ニ関スル件 近年…

大正12年-区長会で生活改善協議③

つづき 大正12年(1923)の社町の区長会の協議の内容を紹介してきていますが、今日はその3回目、残りの分に関する事項です。お産、節句、年賀、棟上げ、講、軍隊への入退営等、村の生活の全般にわたって饗応や贈答などの慣習を廃止あるいは質素にする…

大正12年-区長会で生活改善を協議②

つづき- 昨日に続いて、大正12年(1923)の社町の区長会の協議の内容を紹介しますが、今日は婚姻に関する事項です。 ニ、婚姻ノ場合ニ於ケル冗費節約ヲ図ルコト 嫁入リ婿入リノ場合ニ於ケル衣裳其他持物ハ現今尤モ奢侈ニ流レ弊害ヲ助長スル嫌アルヲ以…

大正12年-区長会で生活改善を協議

昨日紹介した大正12年の社町の区長会の協議事項の中に、太陽暦の励行に関することの他に生活改善に関することも協議されていました。葬儀や婚姻などの慣習を改めようというもので、まずは葬儀に関する部分を紹介します。 二、消費節約及陋習改善ニ関スル件…

大正12年-区長会で太陽暦励行を協議

今から90年前の大正12年(1923)、社町の区長会の協議事項が当時の区長の諸綴の中に綴じられています。内容は翌大正13年から太陽暦を用いるようにというもので、この内容についてはこの歴史ブログの平成18年(2006)9月28日付の投稿で紹…

昭和20年-結核予防に関する通知(社町)

終戦直前の昭和20年6月(1945)、社町長から各区長、組長へ結核予防に関する通知が出されています。終戦2ヶ月前のことですが、当時結核患者が増えていることに対する対策として、結核療養者調査が行われています。 社町長 合田常蔵 社区長 組長 殿 …

福田の忠魂碑

久しぶりに加東市福田地区の第3グラウンドの東の角にある忠魂碑の前で車を止めました。 この忠魂碑は以前にもこの歴史ブログで紹介しましたが、明治二七八役、すなわち日清戦争の戦死病没者の忠魂碑として建てられたもので、後に郡制の廃止に伴って大正11…

昭和8年-愛国婦人会の講習会

昭和8年(1933)、元加東郡公会堂(現加東市明治館)で愛国婦人会主催の切干作りの講習会が開催されています。その案内通知が当時の社町社区長の雑書綴に綴じられています。 昭和八年十一月七日 愛国婦人会社町委員区長 各区長殿 講習会開催ノ件通知 首…

昭和20年終戦直後の枕崎台風で災害地免租申請

昭和20年(1945)前後の文書などが綴られた「参考綴」社区に、昭和20年10月に町長から区長宛て出された「災害地免租申請ニ関スル件」の通知が綴じられています。この風水害は枕崎台風による被害のことで、9月17日に鹿児島県の枕崎に上陸し、瀬…

昭和8年-社町消防組の請願書

昭和8年(1933)当時の社町社区長の雑書綴の中に消防組の請願書が綴じられています。内容は、消防器具庫の建設、警鐘台の移転改築、用水池設置の3点です。どれをとっても消防には重要事項であり、その文面からも地域の安全を守る消防の責任と気概が伝…

昭和8年-児童栄養週間に活動写真会開催

昭和8年(1933)の社町社区事務所(現加東市社)の雑書綴の中に「全国児童栄養週間」に関する講演会と活動写真会の開催に関する案内が綴じられています。元郡公会堂で県担当者の講演と活動写真会が開催されています。 昭和八年十一月十四日 社 町 長 各…