ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

2014-02-01から1ヶ月間の記事一覧

東条川疎水ネットワーク博物館の道標-依藤野

加東市のほぼ中心に広がる台地、嬉野台地の東部は依藤野とよばれています。兵教大の附属小に勤務していた昭和56年に「東条ダムと台地の開発」という授業づくりに取り組んだ時、依藤野の松田さんから開拓当時の苦労話をお聞きしたことがありました。ダムか…

ろうばい、水仙、小学生

2月もあと3日。春の足音が聞こえてくるように日は長くなり日差しは明るく、植物が動き出す。 登校見守りに立ちました。加東市社の消防会館の交差点。社小学校へ通じる学校道を子供達が通学班で列を組んで通り過ぎて行きます。ふとろうばいに目がいきました…

加東市新庁舎が竣工-ライオンズC寄贈のモニュメントも

24日(月)、待望の加東市新庁舎の竣工式典が行われ、業務がスタートしました。平成18年3月の社町、滝野町、東条町の加東郡3町の合併から8年にして合併のシンボル新庁舎が竣工し、加東市の新たな歴史の幕が開きました。玄関前には加東ライオンズクラ…

冬から春へ

2月も最終週に入って春が近くなってきたと感じることも多くなりました。関東では大雪の影響で困難な状況が続いているようですが、あらためて雪の怖さを知らされました。 わが家の庭は冬から春へ、と季節が変わりつつあることを花が知らせてくれます。鮮やか…

昭和12年-海軍志願兵入団奉告祭

NHK朝の連ドラ「ごちそうさん」で西門家の次男活男が海軍に志願しました。西門家の人々に見送られて活男は家を出て行きました。 さて、この歴史ブログでは戦前の陸軍への入営、海軍への入団の通知などを数多く紹介してきましたが、ドラマでそうした場面が…

昭和18年-家庭用砂糖の配給

NHKの朝の連ドラの「ごちそうさん」で、戦時下の食料品配給シーンがよく出てきます。この歴史ブログでは、当時の配給に関する通知などを多く紹介してきましたが、ドラマで配給の場面を映像でみることができ、実際はああいう風にしていたのかなあと、当時…

大畑の地蔵堂

県道神戸加東線は北播磨の中心部、社と神戸を結ぶ主要道です。三木市との市境の桃坂に向かって車を走らせていくと、大畑川が流れる大きな谷の両側に続くなだらかな山の風景が心を和ませてくれます。 薮へ抜ける三叉路から少し行ったところの左手(東側)の山…

厳寒に梅の蕾ふくらむ

関東では大雪のために孤立集落が相当数にのぼっていることが伝えられています。また、交通が各所で遮断され物流にも大きな影響が出ています。 この春先の南岸低気圧と寒気が組み合わさると太平洋側でも大雪になるということはこれまでにもよく経験してきまし…

昭和初期の社の町-父の創作から

昨日に続いて、今日も父の創作ブックの作品を紹介します。以前にもこの詩を紹介したことがあるのですが、再度読んでみると、昭和初期の社の町のようすが描かれているなと思います。 「窓から」とは、父が住み込みで働き、創作に取り組んでいた市場の2階の窓…

父のブックより-昭和4年の音楽会

父が19歳の青年だった頃、文学を志し、小説や詩を書き込んだ創作ノートを時々開いて読むことがあります。手帳大のノートに小さな字でぎっしり書き込んであります。 音楽会でのニヒルな青年を表現しているのだと思いますが、会場は社小学校の講堂でしょうか…

社の裁判所-今昔

社の裁判所の今昔を写真で紹介します。上の写真は昭和10年代のもので、今、法務局の建物がある場所にあったものです。 2段目の写真は県立社高等女学校跡に建てられた裁判所、その下が構内に建てられていた高女跡の石碑です。4段目の写真は昭和10年代の…

日露戦争従軍記念碑ー東光寺境内

加東市上久米の東光寺では2月11日に伝統の祭り「大日たん」(だいにったん)が行われました。山伏による護摩焚きが始まる前、本堂では僧侶による大般若経の転読法要が行われました。その様子を境内の東の少し高いところから拝観しておりますと、墓地の一…

大日たん(だいにったん)-加東市上久米の東光寺で

2月11日(火)、建国記念の日。加東市市では2つの伝統の祭りが行われました。一つは昨日紹介した河高八幡神社の厄除け祭り。そしてもう一つが、上久米の東光寺の大日如来祭、通称大日たん(だいにったん)です。 「大日ったん」についてはこれまでにもこ…

河高八幡さんの厄除け祭-山上で伝統の行事

2月11日(火)、建国記念の日、冷たい風が吹いているものの好天に恵まれて、加東市河高の八幡神社で厄除け祭が行われました。 この歴史ブログでも毎年紹介してきましたが、祭では、地元出身の成功者や厄年の人たちがお金(硬貨)をまいて、それを子供たち…

雪のやしろステラパーク-12星座モニュメント

雪が降りました。子供のように嬉しくなって車でやしろステラパークへ。12星座のモニュメントが雪をかぶっていました。誰の足跡もありません。モニュメントの一つ。きっと牡牛座でしょう。角が雪をかぶっています。隣は双子座でしょうか。真っ白な雪の公園…

加東郡公会堂-今昔

上の写真は、昭和10年代のもので加東郡社町公会堂です。下の写真は現在の加東市明治館です。同じ建物ですが、改修されて現在に継承されています。 さて、この建物は約百年前に加東郡公会堂として建設されたものです。 明治22年(1889)、町村制が実…

「学校道」のろう梅-加東市社

ほぼ毎朝、自宅のすぐ近くの交差点で社小学校へ登校する児童の見守りに立っています。加東市社の田町通りから北へ、社小学校に向かってのびる道、通称「学校道」のほぼ真ん中あたり、昔の社町役場跡、現在の社連合区消防会館・消防団社分団詰所前の交差点で…

社の円妙寺-300年ぶりの改築

加東市社の市街地、通称銀座通りのほぼ真ん中に円妙寺があります。山門入口に「浄土真宗 圓妙寺」と刻まれた大きな標柱が立っています。山門への4段の石段のところで小さい頃に撮した写真がアルバムにありますが、今も変わりません。しかし、山門、本堂の屋…

加東四国霊場十九番長谷地蔵堂の道標

加東市長谷を走る県道が大きくカーブするあたりの右手の高い所に地蔵堂が見えます。カーブから少し行ったところから山の向かって細い道路があり、ゆっくり車を走らせると、お堂の下に出ました。 お堂からは街道と集落を見下ろすことができ、桜の木が数本植わ…

社の裁判所跡ー今昔

加東市社に裁判所があります。新庁舎は前の庁舎を壊して新築されたものですが、現在の場所に裁判所が新築されたのは昭和38年(1963)のことで、元の県立社高等学校、その前は高等女学校があった場所です。 それ以前はというと、今の銀座通りから東に向…

加東郡役所跡-今昔

今日紹介するのは、明治32年(1899)に加東市社の上町に新築移転した加東郡役所の写真(上)です。この写真は昭和10年代のものですが、かつて社の古老に見てもらったところ、「間違いない、これは郡役所や」とのお墨付きをいただいています。 『加東…

屋台太鼓と老松のある風景-今昔

上の写真は、佐保神社の秋祭の社上組屋台の記念撮影で、昭和初期のものと思われます。飾りなどが今と違うのでどこの地区の屋台か判断がつかなかったのですが、マニアの方が彫り物や布団屋根の反り具合など間違いなく上組だと教えてもらいました。また、佐保…

社の市街地展望ー今昔

今日は昭和10年代の加東市社(加東郡社町)の市街地を嬉野台地の西端の高台から展望した景色と現在の景色を比較してみました。 瓦屋根が光る当時の社の市街地は家屋が密集してます。左に白く光っている大きな建物は県立社高等女学校の校舎です。中央の白い…