2014-07-01から1ヶ月間の記事一覧
昭和18年(1943)、3月分の家庭用の清酒の配給に関する通知が社町長から各区長に出されています。昨日は精肉の配給がきびしくなっている状況を紹介しましたが、清酒も1ヶ月に世帯当たり約4合となっており、戦時下とはいえ、こうした食料や物資の配…
戦時下の昭和18年(1943)、精肉の配給もきびしさが増してきていることが通知の中に表れています。当時の社町社区の配給関係文書綴に精肉の配給に関する通知が綴じられており、その中に全戸分の配給が出来ないので残りは次回に回すという一文がありま…
戦時中の配給について、今日は家庭用焼酎の配給に関する通知を紹介します。昭和18年(1943)、社町長から各区長に対して出された、一般家庭用焼酎の配給に関する通知です。指定販売店の名前も欄外に書かれています。山本酒店、肥田酒店、三木商店の3…
小さい頃、母親の実家では牛を飼っていて、農作業に使っていました。大人が村の中の道を牛を追って歩く光景や庭に繋がれた牛が尻尾でハエを追い払っている姿を妙に鮮やかに記憶しています。また、我が家のすぐ近くに牛市場があり、毎月4のつく日だったか、…
25日(金)の夜、加東市社の佐保神社の境内にある小宮の一つ、御大神宮さんの祭りが行われました。毎年7月25日に加東市社の田町筋の中田町(なかたまち)町内会が御大神宮さんのお祭りを行っています。田町筋は社市街地の中央から東に延びる道筋で、か…
加東市上田地区で天神祭りが行われました。朝から地区内を子供御輿が巡行し、夕方5時前には、子供達があらためて天満宮に集合しました。 天満宮は加東市上田の正覚院の境内にあり、菅原道真公の自画像をお祀りするお宮さんです。石鳥居のそばに「御自画像天…
昭和5年(1930)の秋、陸軍が演習のために社町に宿営することになり、そのために使用する木炭の購入に関する通知が社町役場から各区長に出されています。その数は、将校92名、下士卒1463名、馬300頭とあります。 兵隊は各家の土間などに蓆をな…
昭和16年(1941)12月19日、12月8日の大東亜戦争開戦から10日ほど後の日付で、社町長から各区長宛てに「アルミ・アルマイド製品購入券送付」に関する通知が出されています。 昭和十六年十二月十九日 加東郡社町長 合 田 常 蔵 各区長 殿 「ア…
また戦時中の配給に関する資料を紹介します。社町社区(現加東市社)の昭和15年12月から18年3月までの購入券配給関係書類綴です。その中に昭和17年(1942)の新巻サケの配給に関する通知が綴じられています。塩サケの配給割当は1戸当たり役1…
20日(日)午後1時から、加東市社の明治館で県下播州音頭踊保存会の第21回研究発表会が開催されました。この歴史ブログでは、旧加東郡公会堂時代にこの建物で開催された各種会議や催し物を紹介してきましたが、今日はいつもとちがい、明治館と改名され…
昭和13年(1938)の年末、郷土出身兵が遺骨となって無言の凱旋をするため、その出迎えに関する通知が出されています。凱旋するのは隣の上福田村(今の加東市上福田地区)出身兵ですが、社町駅から社町の市街地を通過していくために、その沿道、社町三…
夏休みが始まる。合わせるかのように今年も前の庭の生垣辺りにクマゼミが羽化し始めました。夏の夕方、地中から幼虫がごそごそとはい出してきます。やがて、木やブロック塀、家の壁などによじ登り始めます。暗くなる頃には、枝の先や塀の上、軒下辺りまで登…
先日、地元の遺族会の皆さんと話をする機会がありました。皆さんは兵役経験のある方や遺児の方々ですが、戦死の年月日や戦死の地、葬儀の記憶などをお互いに語り合っておられました。遺児の皆さんも高齢になり、そうした体験談を聞かせていただく機会も少な…
連日にわたり、戦時中の配給に関する資料を紹介していますが、今日は昭和18年(1943)の秋、油揚げの配給に関する通知が出されています。一九〇〇枚が町内の21組、計560戸に配当されています。私の住む中田町(なかたまち)は32戸で、117枚…
昭和18年(1943)の年末、家庭用の金物類の購入券の配当が行われています。この年の8月にも行われており、当時貴重だった金属製の日用品が配給となっていたことをあらためて知ることができます。新しく家庭を持ったもの、必要な順位をつけて配当する…
探し物をしていると、昔の書類や手紙などが入った菓子箱の中から、ボーイスカウトの通知文が出てきました。懐かしいので読んでみると、45年前の昭和44年(1969)の夏の野営の実施計画書でした。 小学校5年の時に社にボーイスカウトが結成され、高校…
今日も昭和18年(1943)の配給に関する資料を紹介します。この配給に関する通知や書類を綴じた社町社区(現加東市社)の「購入券配給書類」を読んでいると、戦時中の物資の不足していた当時のようすがよく伝わってきます。遠い昔のように思いますが、…
今日も戦時中の配給に関する飼料を紹介します。社町社区(現加東市社)の購入券配給書類の中に家庭用のビール配当に関する役場の通知が綴じられています。 通知は簡潔です。配当数は297枚で、配当基数は戸数となっており、一戸当たり0.5本となっていま…
昨日に続いて、昭和18年(1943)の年末に行われた牛肉の配給についての通知を紹介します。 私は戦後生まれ、しかも28年生まれですから占領が終わり講和独立後の生まれです。ですから戦中の物資不足、配給制度を体験していません。ドラマなどでその様…
昨日に続いて、昭和18年(1943)の社町社区(現加東市社)の購入券配給書類に綴じられている配給関係の通知のうち、家庭用の塩の配給に関する文書を紹介します。 昔から味噌や醤油、漬物づくりは各家で行っており、塩はそのために欠かせないものでした…
71年前の昭和18年(1943)、戦時の物資統制下、さまざまなものが配給となっていました。このブログでは当時の区文書から事例を紹介してきましたが、今日は一般家庭用の乾苔や卵などの配給についての通知を紹介します。 昭和十八年四月二十三日 各区…
昭和6年(1931)の秋、満州派遣軍に対する慰問について、一戸当たり3銭を醵出することになり、社町長から区長に対して依頼が出されています。この年の9月に満州事変が起こり、わが郷土からも多くの兵士が出動しています。満州派遣軍への慰問はそうし…
昭和6年(1931)の秋、社町消防組(現在の加東市社地域)が社警察署前(現在の加東市社のみなと銀行社支店)で秋季演習を行っています。社警察署(写真)は昭和3年に新築されたばかり。その案内状が当時の社町社の区長雑書綴に綴じられています。 昭和…
昭和7年(1932)の年明け、在郷軍人会社町分会では恒例の寒稽古が実施されています。その通知が当時の社町社(現加東市社)の区長雑書綴に綴じられています。科目は銃剣術や軍刀術など、戦後生まれの私には縁の無かった科目です。元加東郡公会堂(現加…
昭和6年(1931)の社町社(現加東市社)の区長雑書綴には、役場をはじめ各団体等からの通知などが綴じられていますが、農会関係のものも少なくありません。今日は、種子の斡旋取り纏めの依頼文を紹介します。いろいろな野菜の種と価格が紹介されていま…
昭和6年(1931)の秋、元加東郡公会堂(現在の明治館)に於いて、在郷軍人会による国防・時局講演会が開催されています。その案内状が当時の社町社(現加東市社)の区長雑書綴に綴じられています。当時は、このように現役軍人による講演会も開催されて…
昭和18年(1943)の秋、戦時の配給制度の下、さまざまな物資、食糧が配給となっていましたが、今は店に溢れている菓子類も配給されていました。 当時の社町社区(今の加東市社)の配給に関する文書綴の中に子供用菓子の特配に関する通知が綴じられてい…
昭和6年(1931)、当時の社町社(現在の加東市社)の区長雑書綴に種痘通知書配布に関する通知が綴じられています。日本では明治から天然痘の予防として種痘の接種が義務づけられていました。通知文によると、黒石先生宅で行うとあり、田町筋にあった黒…