ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

2014-09-01から1ヶ月間の記事一覧

加東の仏像展より-天部立像(増長天)

写真は中古瀬地区の薬師堂の本尊、薬師如来の周囲に安置されている四天王像の一つで増長天とよばれる天部像(天の神)です。 腰に手をあて、鎧のようなものを身につけています。口を開いてにらみつけているようです。教育委員会の藤原さんが、その口から中が…

加東の仏像展より-2体の金銅仏

昨日に続いて、加東市滝野図書館ギャラリー「伝」で開催されている「加東の仏像展」の紹介をします。今回は市内の中古瀬地区にある薬師堂の仏像群が展示の中心ですが、この機会にと、市内の古い金銅仏2体が展示されています。 一つは加東市最古の金銅仏とさ…

加東の仏像展-加東市滝野図書館ギャラリー「伝」で

展示会場に入ってすぐに壁にずうっと並んだ仏像群が目に飛び込んできました。さまざまなポーズの仏像、頭部の頭頂部のかけた仏像など背丈は人間と同じくらいの仏像から、だんだん小さくなるように並べられていました。西洋美術館などで、ギリシャ彫刻の女神…

再掲-米田小の金次郎像

先日紹介した、加東市立米田小学校の二宮金次郎像は何度見てもイケメン金次郎です。秋の青く高い空と白い雲を背景に子供達に勤勉の大切さを教え示しているようです。台座には「昭和八年九月建之 寄贈者 米田村廻渕 赤坂柳太郎」と刻まれた銅板が埋め込まれて…

9月の空の下-社高校101年目

兵庫県立社高校は創立101年目。今月18日には、9月の明るく高い青空の下、体育大会が行われました。 空の青、天を衝くようなメタセコイヤの緑、白亜の校舎、そして、創立百周年を記念して旧社高等女学校時代の校門をモデルに新しく造られた校門の煉瓦色…

歩いて下校しているような金次郎-東条西小

昨日に続いて小学校の二宮金次郎像をもう一つ紹介します。 以前にもこの歴史ブログで紹介したことがありますが、加東市立東条西小学校(加東市吉井)の二宮金次郎像です。写真のように、この学校の金次郎は台座に据えられておらず、校門脇の植栽の中の低い石…

イケメン金次郎-米田小学校の二宮金次郎像

加東市立米田小学校の二宮金次郎像は写真のように男前です。今風に言うとイケメン金次郎です。その端正な顔と遠く理想を見ているような目が印象的です。以前にもこのブログで照会したことがありますが、その時は松の木の枝が金次郎の頭上にかかっていたので…

上鴨川の道標-公民館に3本

丹波と播磨を結ぶ、加東市上鴨川の国道372号と県道との交差点近くに上鴨川地区の公民館が建っています。この公民館の南側に3本の道標が立っているのが目に止まりました。地区内の街道沿いに建っていたものを移設して保存されているのでしょう。 真ん中の…

鴨川の彼岸花

今年は少し開花が早いかなと思っていた彼岸花。彼岸の入りとともに加東市の田圃の畦や水路の法面、そして河川の岸にも真っ赤な花を咲かせて目をひいています。 21日(日)、鴨川小学校からの帰り道、鴨川の岸や上鴨川の公民館近くで車を止めて彼岸花を撮り…

天地の間-やしろ中央公園で望む朝の空

寒いなと感じるような朝が続いています。そして、ここ2日間、朝の空に東西に雲の帯が出ています。写真は19日(金)の朝、やしろ中央公園の金屋谷池の堤から五峰山方向すなわち北の方を向いて撮った写真ですが、厚い雲の海が西から東へと広い空に帯のよう…

昭和3年-社小学校で蔬菜品評会

昭和3年(1928)、社小学校(現加東市立社小学校)で社町農会主催の蔬菜品評会が開催されています。大正時代から行われているもので、農家が蔬菜類、家禽類、農手芸類を出品し、販売も行われていたようです。その出品依頼が区長宛てに出されています。…

昭和4年-社高等女学校講堂で農会主催刺米品評会

昨日のテレビニュースで、福島県で新米の等級検査の模様が報じられていました。今年は水分も粒揃いもよく一等米ということでした。昭和3年(1928)の社町社の雑書綴には昭和4年の社町農会主催の米の品評会についての通知が綴じられています。品評会や…

昭和3年-80歳以上の高齢者調査の依頼

満100歳以上の高齢者は兵庫県には3400人余りおられるそうです。私の叔母も今年満100歳を迎えました。加東市には100歳以上の方が20人余りおられると聞いています。まさに超長寿社会に入っているんですね。 昭和3年(1928)、社町役場から…

社の朝の秋色

例年より彼岸花が早く咲いています。毎年決まったように彼岸の頃になると真っ赤な花をさかせるのに今年は一週間早く咲きはじめました。やはり、この一週間ほどの涼しさのせいでしょうか。朝歩いていると、社市街地の南端、明治館の近くで咲いている彼岸花が…

敬老の日の朝-社商店街のゲートと日の丸の小旗

9月15日(月)は敬老の日。素晴らしい秋晴れの朝でした。朝のウォーキングで佐保神社から若宮神社を通って大師殿へ向かう途中、神姫バス社営業所のりばから商店街に上る坂道にあるゲートと日の丸の小旗が朝の光に映えていました。社の市街地では、社町時…

昭和21年-火災予防週間の繰り上げ実施

昭和21年(1946)の10月末、社警防団長から各区長宛てに火災予防週間の実施についての通知が出されています。昭和21年は火災の損害が大きかったため、火災予防週間を早めて実施するというものです。まだ警防団という名称だったんですね。そして、…

昭和20年-敗戦から戦災復興に向け建築工養成

昭和20年(1945)11月、戦災復興に向けて建築工の養成所が開設され、その募集に関する通知が社町役場から各区長に出されています。この通知は当時の社区(加東市社)の雑書綴にとじられていたものです。8月15日の終戦、そして、連合軍による占領…

昭和20年-終戦直前の戦災者救護品配給

昭和20年(1945)8月15日の終戦直前の7月30日付で、社区長(現加東市社)から各組長宛に手書きの通知が回覧されています。これは当時の社区の「参考綴」に綴じられているものですが、通知には各組長の印が押してあります。内容は表題の通り、戦…

昭和20年-終戦直前の勝札売捌依頼

終戦直前の昭和20年(1945)7月、社町(現加東市社地域)では農業会の勝札が行われ、終戦をはさんで8月末には当籤への支払いが行われています。このことについてはブログで照会してきましたが、農業会から社区長に対して、勝札の売捌きを依頼する文…

昭和21年-敗戦直後も乳幼児体力検査

敗戦直後の昭和21年(1946)、社町では21年度の乳幼児検査が実施されています。昭和19年4月1日から21年3月31日までの間に生まれた者が対象で、会場は社区公会堂になっています。5月末の2日間にわたり、各地区毎に時間が割り振られていま…

昭和21年冬-衣料品の配給

敗戦後の昭和21年(1946)の冬、衣料品の配給に関する委員会開催の通知が社町から各区長宛てに出されています。これは社区(現加東市社)の参考綴の中に綴じられている通知ですが、敗戦後の国民生活で物資不足が続いていたなか、年末には配給が行われ…

山田錦の里に中秋の名月

8日(月)、中秋の名月は秋の夕空、東南の空低く白く光っていました。ちょうど神戸からの帰り道、加東市吉井の県道を走っているとその光景が目に入り、車を止めてシャッターを押しました。 東条は酒米の王様、山田錦の特A地区。その里の稲田に上る中秋の名…

三草藩陣屋跡から望む緑の三草山

7日(日)、久しぶりに晴れ渡った青空に野山の緑がまぶしく光っています。加東市上三草のやしろ国際学習塾の3階では上福田地区ふれあい敬老会が開かれました。その窓から北東の方向に三草山を望むことができます。この建物は旧三草小学校の跡地に建てられ…

昭和4年-新年の入営奉告祭・見送り

昭和4年(1929)の年のはじめ、社町長から社区長宛てに入営奉告祭と見送りについての通知が出されています。当時の社町社(現加東市社)の雑書綴に綴じられた通知の書き出しは「新年ノ吉兆千里同風芽出度申納候」でした。いい言葉ですね。佐保神社(加…

昭和3年-農会が原動機使用講習会開催

昭和3年(1928)、元加東郡公会堂(現加東市明治館)で、社町農会が主催する原動機使用講習会が開催されることになり、その案内通知が当時の社町社区の書類綴に綴じられています。 わが国では、1920年代に農業用原動機を使用した機械化が普及しはじ…

嬉野台地にかかる虹-背景に三草山

9月1日(月)、県庁からの帰り道。いつもなら神戸加東線で帰ってくるところですが、加東市大畑から薮、厚利へと抜け、県道小野藍本線から嬉野へのコースで帰りました。出雲大社教やしろ殿に参拝し、帰ろうとしたところ、東の空に大きな虹がかかっていまし…

昭和3年-佐保座で衛生思想普及劇

昭和3年(1928)の社町社(現加東市社)の雑書綴の中に、当時、社にあった劇場、佐保座で開催される衛生思想普及劇の案内が綴じられています。佐保座は加東市社の市街地、銀座通りにありました。戦前は演劇、活動写真会など娯楽の殿堂として賑わったそ…