ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

2014-10-01から1ヶ月間の記事一覧

大正末の米田小学校の写真

10月16日(木)、加東市立米田小学校でオープンスクールが行われました。校長室や学校の廊下などには学校の歴史を伝える古い写真などが掲げられていることが多いものですが、米田小学校にも古い校舎の写真がありました。 キャプションには「大正15年の…

郷土の特産「山田錦」や偉人を学ぶ-東条西小

10月17日(金)、加東市立東条西小学校の学校オープンが行われ、授業を参観したり、校内を見てまわる機会がありました。市内の小学校では10月頃にこうしたオープンスクールが行われ、保護者はもちろん、学校評議員や見守り隊、地域の住民に広く学校を…

加東の秋の空高く-東条おもちゃ王国

10月18日(土)、加東市の空は雲一つない秋晴れでした。まぶしい日差しに皮膚が痛く感じるほどでした。その秋空に向かって伸びるクレーン車のアーム。これは、東条湖おもちゃ王国前の駐車場で開催された「はたらくくるま大集合inかとう」(東日本大震…

永福(長谷)の交差点を見守る道標

中国自動車道の東条インターから東条湖へつながる道路と県道が交差する加東市永福の信号のインター側西側の斜面に赤いよだれ掛けがつけられた石柱が立っています。花が供えてあり、地蔵さんかなとも思いましたが、車を止めてよくみると、道標のようでした。…

昭和初期の社町の地図から-神姫自動車や中国合同電気など

中国合同電気(今は関西電力社営業所) 社税務署(後に社町役場、今は消防会館) 神姫自動車営業所(現在は宅地など) 八志路幼稚園(今は宅地) 昭和初期の社町(中心部)の地図から、当時の懐かしい商店の名前を紹介しています。今回は社の中心部から北の…

昭和初期の社町の地図-郵便局や銀行、検番も

昭和初期の社町(中心部)の地図に見える商店を紹介してきています。今日は社商店街のほぼ中心部の店を紹介します。地図を見ると、現在、加東市商工会館になっているあたりに元は銀行と郵便局があったことが分かります。また、今年亡くなられた明治43年生…

昭和初期の社町の地図より-公会堂、三階、梶原書店辺り

昭和初期の社町(中心部)の地図には、多くの商店と役所などが記されており、当時の繁栄ぶりを知ることができます。これまで、田町通り、警察署や裁判所辺りを地図と写真で紹介してきましたが、今日は商店街の南にあたる辺り、元加東郡公会堂、社町役場、佐…

昭和初期の社町の地図よりー裁判所・警察署・佐保座辺り

昭和初期の社町(現在の加東市社)の中心部の地図から、当時の商店の名前を紹介していますが、今日は裁判所辺りから銀座通りの商店や事務所などを紹介します。東条町(とうじょうまち)と呼ばれている辺りで、社区裁判所や社警察署、佐保座などがあり、また…

昭和初期の社・田町の商店

昨日のブログで、昭和初期の社町(現加東市社)の商店名が記入された地図を紹介しましたが、今日はその中から、田町通りの商店名を紹介します。田町通りは社でも古くから栄えた通りで、店が軒を連ねて大いに賑わったと聞いています。現在は商店も少なくなり…

昭和初期の社町の地図にみる懐かしい名前

先日、近所の方から昭和初期(昭和4)発行の地図のコピーを頂きました。昔、郷土史研究会で資料として配布されたものだということでした。発行は東京交通社で、社町社(現在の加東市社)の市街地の地図で、官公庁や寺社と商店が記されており、警察署、役場…

コスモスまつり-五峰山を望む河高地区で

19日(日)、雲一つない秋晴れの下、加東市河高地区でコスモスまつりが開かれtました。コスモスは加東市の市花。河高地区の集落と加古川の間に広がる田圃にコスモスの花畑が広がり、まぶしい朝日に光っていました。背景には播磨高野と呼ばれる五峰山が横…

旧社中学校跡-今、兵教大附属幼・小に

真っ青な秋の空、そしてまぶしい日差しの下、加東市山国の兵庫教育大学附属幼稚園では運動会が開かれました。運動場では3歳から5歳の園児たちが歓声をあげながら元気一杯に走りまわっていました。 今から30数年前の昭和41年から44年までの3年間、私…

東条西小で見つけた小沢城の立体模型

17日(金)、加東市立東条西小学校で行われたオープンスクールで校内を移動しているとき、英語活動のための教室の隅に見慣れないものがあるのに気づき、中に入ってよく見てみると、それは立体模型でした。さらに近寄ってみると、山城の復元模型、大日堂の…

嬉野学徒錬成場の一日

県立嬉野公民研修所(現県立生涯教育センターの前身)の20周年記念誌(1963)には、大東亜戦争中に青年学徒の錬成場として設けられた嬉野学徒錬成場のようすを知る上で貴重な寄稿文が掲載されています。その中で、「錬成場の思い出」と題した多田正一…

県営嬉野学徒錬成場の草創の記録

兵庫県立嬉野公民研修所「創立20周年記念誌」1963には、学徒錬成場時代の頃の貴重な記録や体験談などが記されています。かつて公民研修所があった加東市山国2020番地辺りは、今では、県立社高校や県立教育研修所、さらには加東市市役所の新庁舎も…

山国の県道脇の北向き地蔵さん

加東市山国の集落の中心部を通っている県道神戸加東線を神戸方面に向かって走ると、出水川に架かる橋を過ぎて上り坂にさしかかった右側にお地蔵さんが祀られています。車が一台止められるぐらいの広さの砂利の敷かれた平地の隅に石造の祠と菅笠を被された小…

勇壮豪華屋台の宮入-佐保神社秋祭り本宮

12日(日)、佐保神社(加東市社)の秋祭り、本宮がおこなわれました。台風19号の影響で天気を心配しましたが、朝から青空も見える好天に恵まれ、屋台の飾りがまぶしく光っていました。 本宮には神輿と新町、上中、上組、下組の4台の太鼓屋台が宮入を…

佐保神社秋祭り宵宮-上組屋台巡行

11日(土)は、加東市社の佐保神社秋祭りの宵宮。社地区に2台ある太鼓屋台のうち、上組(かみぐみ)では、午後3時から倉前で安全祈願の倉出し神事が行われました。 宵宮の屋台巡行は昨年からコースが変わっており、市街地から新庁舎のある嬉野に上がり、…

嬉野学徒錬成場-公民研修所20周年記念誌より

書棚を整理していると、「嬉野」兵庫県立嬉野公民研修所の創立20周年記念誌(1963)が出てきました。昭和38年。私がちょうど10歳の時のものです。 記念誌に掲載された関係者の寄稿文の中に、公民研修所の前身、県立嬉野学徒錬成場の思い出が記され…

皆既月食の夜の月の出

8日(水)の夜は皆既月食が起きるということで、夕方からそわそわしていました。6時前には通りのあちこちで東の空に昇る満月を見る人の姿がありました。 ちょうど会議の時間帯と皆既月食の時間帯が重なるので、始まる前の月の出だけでも記録しておこうとカ…

忠魂碑の松-枯れて伐採

加東市社の市街地の南端にある明治館前にある忠魂碑の松が枯れて伐採されました。根元の太い幹の年輪を数えてみるとおよそ80年ぐらいありました。今年は佐保神社参道の大きな松も枯れて伐採されましたし、今回の18号台風で倒れた社公民館の赤松も伐採さ…

やしろの町の夕焼け

10月4日(土)の夕方、事務所から帰ろうと道に出たとたん、目の前に広がった光景に思わず息をのみ、すぐに30メートルほど走って自宅に帰りデジカメを持って表に出ました。 そして撮影したのがこの夕焼けです。きれいですね。西の空に赤く光る雲、その向…

牧野住吉神社の秋祭り-豪華屋台が境内で練る

5日(日)、加東市牧野の住吉神社の秋祭りが行われました。毎年、消防団からのご案内状をいただいており、今年も豪華な屋台の宮入りを見学にいきました。 いつもなら、午前中に地区内を巡行し、午後に宮入りという段取りになっていますが、今年は台風18号…

上鴨川住吉神社で神事舞の奉納

4日夜、加東市上鴨川の住吉神社で、秋祭の宵宮の行事が行われました。毎年10月4、5日にわたり祭礼が行われてきましたが、今では10月の第一土日に行われています。今年は第一土曜が4日になり、伝統の神事舞が奉納されました。 境内では、長床での儀式…

播磨高野の光明寺から三草山と六甲連山を望む

秋晴れの午後、加東市滝野地区にある五峰山(ごぶさん)の中腹にある駐車場に車を走らせました。澄み切った空気、広々とした播磨の丘陵地帯が望める絶好の地です。五峰山には光明寺の本堂や塔頭寺院があり、播磨高野と呼ばれています。 写真を見て下さい。駐…

秋祭りの準備-社の上組屋台太鼓

秋祭りのシーズンになりました。加東市社の佐保神社では、10月11日宵宮、12日本宮で秋祭りが行われます。呼び物は豪華屋台の宮入り、練りですが、社には上組、下組の2台の屋台があり、私は上組屋台を担ぎます。 社市街地にある上組屋台倉では、毎晩秋…

加東の仏像展より-珍しい出土螺髪

「加東の仏像展」には、中古瀬の薬師堂の仏像などの他に、加東市内の仏教遺跡から出土した瓦や螺髪(らほつ)なども展示されています。 その中で、土で造られた螺髪(仏像の頭部の髪を巻いたもの)は加東市喜田の清水遺跡から出土したもので、17点あまりあ…

加東の仏像展より-菩薩立像

今、加東市滝野図書館のギャラリー「伝」で開かれている特別展「加東の仏像」から、今日は菩薩立像を紹介します。ずらりと並べられた仏像の中で、頭頂部が欠けている仏像が目にとまりました。左の腕、右の手の先もありません。その顔付きと腰のあたりの全体…