2015-01-01から1ヶ月間の記事一覧
昭和11年(1936)、郷土出身の政治家、小林絹治農林参与官の帰郷を歓迎する会の開催が企画され、その案内状が当時の社町社区(現加東市社)の文書綴に綴じられています。小林絹治は戦前戦後、代議士として活躍した政治家で、当時は広田内閣で農林参与…
昨日に続いて、昭和12年(1937)の帝国在郷軍人会社町分会社斑規約の続きを紹介します。15条に規定された分会の社斑の事業として、家族の慰問、入営や退営の歓送迎、宿営の接待などが挙げられていますが、この歴史ブログでは、こうした分会の取り組…
昭和12年(1937)の帝国在郷軍人会社町分会社斑規約が当時の社町社区の文書綴に綴じられています。在郷軍人会については、この歴史ブログでその趣旨や経緯、活動などについてこれまでにも取り上げてきましたが、今日は規約を紹介します。 昭和十二年二…
昨日のブログで、昭和11年(1936)当時の社区の文書綴りに綴じられていた区の評議員を永年勤めた人への感謝状の文案を紹介しましたが、同じ文書綴にその人の辞職届が綴じられていましたので紹介します。文中の社中田町(やしろなかたまち)とは、社区…
昭和11年(1936)当時の社町社区(現加東市社)の文書綴を読んでいると、地区の評議員を永年勤めてきた人への感謝状の原文案が綴じられていました。前後40余年とあったのには驚きました。また、区長さんの肩書きに「正七位」とあるのにもびっくりで…
24日(土)午後、社公民館でやしろ歴史民俗研究会の1月例会が開催されました。今回のテーマは「加東市の指定文化財」で、講師は加東市教育委員会の文化財担当の森下大輔氏。加東市にはどのような文化財があるのかを全体的に知る機会でもあり、会員の出席…
県道西脇三田線の加東市藤田地区内を車で走っていると、道路の南側の田圃で工事が行われているのが目に入りました。重機が入り、田圃の土を動かしているように見え、何本かの管が置かれていました。車を止めてよく見ると、この工事現場の南側、すなわち嬉野…
昭和12年(1937)、社土木出張所長と主任書記の異動で歓送迎会が開催されることになり、その案内状が当時の社区(現加東市社)の文書綴に綴じられています。会場は元加東郡公会堂(現加東市明治館)。発起人裁判所判事や県会議員、郡内町村長会長、社…
21日(水)、加東市社にある善龍院で360年の伝統を持つ初庚申祭りが行われました。予報に反して、朝から日も差して穏やかな天気の下、寺の境内には9時前から参詣の人が次々と訪れていました。 善龍院は、涌羅野山慈眼寺善龍院の寺号をもつ真言宗のお寺…
昨日は、昭和11年(1936)の社区事務所(現加東市社)の文書綴に綴じられていた社警察署長の異動の歓送迎会の案内を紹介しましたが、今日は、同年の秋の社区裁判所判事の異動歓送迎会の案内状を紹介します。写真は昭和10年代の社区裁判所です。 拝啓…
昭和11年(1936)の社区事務所(現加東市社)の文書綴に社警察署長の異動に関して、署長の歓送迎会の案内が綴じられています。写真は昭和10年代の社警察署です(加東市社、今はみなと銀行社支店がある) 拝啓 時下初秋之候貴下ますます御清祥之段奉…
昭和10年(1935)7月31日に開催された社町社区(現加東市社)の正副評議員会の記録が残っています。開会は午後8時30分、閉会は10時30分の2時間。場所は、西浦倶楽部(加東市社二区の西浦にあった)。出席者は区長、副区長、会計部長、正副…
加東市天神の東条文化会館コスミックホールの図書館の入口の庭の脇に石が置いてあるのに気づきました。はじめは庭石かと思っていましたが、気になってよく見ると、どうも道標のようです。近寄ってさらによく見ると、上部が割れたかどうかして無くなった道標…
昭和4年(1929)の元旦、社小学校(現加東市立社小学校)で社町(旧社町、今の社小学校区)の新年交礼会が行われています。その案内状が当時の区長文書綴に綴じられています。当時は元旦、紀元節、天長節、明治節などに小学校で拝賀式などが行われてい…
14日(水)の夜、昨日のブログで紹介した加東市藤田地区のとんど大会が行われました。今年で35回目を迎える藤田地区の伝統行事です。地元の方が、元は子供会の行事だったが、当時の若い親も35年経った今は老人会。そのままパワーを発揮してとんどの準…
12日(月)、加東市内を車で走っていると、藤田地区の田圃の中に組まれた巨大なとんどのが目に飛び込んできました。そういえば、10日(土)や11日(日)も市内を車で走っていると、竹を積んだ軽トラが目立っていましたが、各地区でとんどの準備をして…
昭和4年(1929)、加東郡農会主催で農業改善指導の映画会が開催されています。当時の社町社(現加東市社)の文書綴に社町農会から区長宛てに出された案内通知が綴じられています。10月24日はあのニューヨーク株式取引所で株の大暴落が起き、世界恐…
昭和7年(1932)、海軍を満期退団する郷土出身兵の出迎えに関する通知が社町長から区長あてに出されています。海軍の満期は3年。松尾と社の出身兵の名前が記されています。播鉄社駅の到着後、佐保神社で奉告を行ったのでしょう。 昭和七年十一月二十六…
12月23日は今上陛下の誕生日です。天皇誕生日として国民がお祝いする日ですが、戦前は天長節といっていました。十一月三日は現在「文化の日」となっていますが、戦前は明治節、すなわち明治天皇の誕生日を明治節としてお祝いしていました(昭和2年制定…
昭和8年(1933)の1月末、社町長から区長宛てに、姫路の部隊にいる社町出身兵の満州出動が決まり、出動日、面会日などが通知されています。昭和6年に満州事変が勃発し、7年には満州国が建国されましたが、その後も満州では戦闘が続いていました。そ…
昭和7年(1932)の夏は社町で腸チフスが多く発生し、伝染病予防注射実施の通知などを紹介してきましたが、この年の秋の秋期清潔法の実施については、特に伝染病の発生源となる井戸や便所、下水溝の修繕などを強く指摘した通知が出されています。 昭和七…
昭和7年(1932)の夏、腸チフスが発生し、予防注射が行われることになり、その通知が当時の社町社区(現加東市社)の文書綴に綴じられています。この歴史ブログでは、伝染病予防ポスター配布などの通知も紹介してきましたが、この昭和7年は例年に比べ…
「春ノ一匹秋ノ万匹」は昭和7年(1932)の社町社区の「雑書綴」に綴じられている「稲苗代標札」に「虫ヲ恐レヨ」に続いて印刷されている言葉です。 標札には、害虫駆除日の日付が4回分書かれています。1回目は6月7,8日、2回目は6月13,14日…
昭和7年(1932)の5月、上海事変に出動していた郷土出身の海軍水兵が満期退営となり、帰郷する兵士を社駅に迎えるよう伝える依頼文が社町長から区長に出されています。 もう80年余り前のことになりますが、今年は終戦70周年の節目の年です。もう先…
JR加古川線は加古川駅と谷川駅を結び、加古川沿線を走っています。朝と晩の通勤通学の時間帯は1時間に2本、その他の時間帯は1本というローカル線です。帰省していた末娘が電車で帰るというので、見送りました。電車を待つ間、駅のホームを歩いていて、…
3日(土)の朝、昨夜の大雪(といったら雪国の人から笑われるかもしれませんが、当地では滅多にないことなので)で、一面真っ白になりました。 忠魂碑のある明治館の広場まで来ると、東の空の一角が朱色に輝き始めました。忠魂碑はいつもの朝にもまして荘厳…
正月2日の朝、加東市社の市街は前夜に降った雪で白く薄化粧をしていました。今年初めての朝のウォーキングをしましたが、夜明け前の静寂の中を歩いていると、心身ともに新生していくような引き締まった心地になります。 コースは自宅から社中央公園へ。そし…
平成27年の元旦。新年の朝日を浴びて輝く加東市社の市街と五峰山や青野原を望みました。山国の王子ヶ池で初日の出を拝んだあと、市役所、そしてJAみのり農協の駐車場から市街を展望しました。 朝日には生命力の源泉といわれます。人間や自然はもちろん、…
新年あけましておめでとうございます。 大晦日は雨。しかし、除夜の鐘を撞く頃には空に星がまたたいていました。そして、新年の初日の出は、今年も加東市山国の王子ヶ池の堤から拝みました。 空は雲一つなく晴れ渡っています。冷たい風が吹き、池面には波が…