2015-03-01から1ヶ月間の記事一覧
30日(月)、昨日の雨とはうってかわり春の陽気に包まれて桜が一気に開き、家の裏庭に隣接する駐車場の桜も五分咲きぐらいになったでしょうか。 午後、ちょっと家に戻った際、桜の開き具合を眺めていると、野鳥が来ていました。一羽はハトより少し小さめで…
29日(日)、雨になりましたが、加東市高岡の高岡育児園で新園舎の竣工式が行われました。同園は4月から認定こども園高岡育児園として新しい出発をすることになっています。 同園は戦後まもなく小学校の一部を譲り受けて創立され、もうすぐ70年になろう…
各地で花見の便りが聞こえてきます。加東市社でも今日の陽気で開花を確認しました。我が家の西側の連合区の駐車場(元社町役場)には2本の桜の木があり、毎年楽しませてくれますが、今朝はもう蕾が弾けんばかりに膨らんでいました。丁度昼すぎに家に戻った…
もうすぐ4月。朝はまだ寒い日もありますが、日中は気温も上がり春の明るい日差しに桜のつぼみも膨らんできました。 朝のウォーキングで社のパワースポットを巡りますが、佐保神社から持寶院大師堂へ向かう途中、新池の堤を通ります。7時前には日もだいぶ昇…
26日(木)の午前10時30分頃、加東市新定の公民館に行きました。公民館は東条川沿いにあり、その駐車場に植わっている桜の木に近寄って枝を見ると、花のつぼみが大きく膨らんでいました。対岸の堤には何キロにもわたって桜が植わっており、満開の頃に…
25日(水)、加東市東古瀬の保育園の卒園式に出席した帰り、水が張られた田圃の中に日を浴びながら一羽のアオサギが立っているのを見つけシャッターを押しました。 アオサギは田圃や水路などでよく見かけますが、近づいても動じることなく立っていることが…
24日(火)の朝、空気は冷たく感じますが、昇る朝日の色は確かに濃くなりました。 朝のウォーキングで佐保神社に参拝します。境内の清澄な空気の中に泰然として存在を示す大けやきに惹きつけられます。 昨日も紹介したアオサギの営巣する参道の大けやき、…
昨日、佐保神社(加東市社)の境内の大けやきの枝にアオサギが戻ってきたという話題を紹介しました。 今朝、ウォーキングで参道を歩いていると、見上げた大けやきの樹上高く、昨日より多くのアオサギが巣にとまっていました。時折り、羽を大きく広げて巣から…
22日(日)の朝、佐保神社近くのガソリンスタンドに給油のために寄りました。そこから見える佐保神社の大けやきの枝高く、いくつものアオサギの巣が見えていましたが、今日はその近くに9羽のアオサギが留まっていました。ガー、ガーというあの美しくない…
大正13年(1924)の1月26日は、皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)のご成婚の日でした。当時の社区長(現加東市社)の文書綴に筆書きの文書が綴じられています。 当時は祝賀式といえば小学校、そして神社参拝が行われ、各戸…
昭和5年(1930)の3月、当時の社町社(現加東市社)の文書綴に社農会から小麦の病気予防に関する通知が出され、綴じられています。 栄養不足などが原因で発生する病気で、施肥を行うよう通知していますが、その中に人糞尿もあり、小さい頃の肥溜の記憶…
今年も卒業式シーズン真っ最中ですが、23日には加東市内の小学校でも卒業式が行われます。 今から85年前の昭和5年(1930)、社尋常高等小学校の卒業証書授与式の案内状が当時の社町社(現加東市社)の文書綴に綴じられています。 式は3月26日に…
16日のブログで、佐保神社(加東市社)の参道に道標が復元建立されたことを紹介しましたが、以前から立っている道標と合わせて2本の道標が立っている霧の朝の風景を紹介します。 交差点に近い方、以前から立っている道標には、「右 きよみず」「左 ほっけ…
17日(火)の朝は霧が出て、加東市社の市街地も霧に包まれ幻想的な景色が見られました。 朝のウォーキングで市街地南端にある明治館(元加東郡公会堂)前の広場にある忠魂碑の前に立つと、白くかすんだ林を背景に中央の忠魂碑と両側に英霊尊名碑の3本の石…
朝のウォーキングで、佐保神社を参拝します。明治館の広場の忠魂碑、そして参道をまっすぐ歩いて佐保神社の瑞神門へと向かいます。参道のけやきの大樹の天辺あたりにはアオサギの巣がいくつも見えます。 瑞神門は3年前の平成24年8月に修復工事が完成、竣…
15日(日)、曇り空の下、加東ライオンズクラブの清掃奉仕活動に参加し、ボーイスカウト社第一団のスカウトたちと一緒にゴミ拾いをしました。4斑にわかれて市内の主要道路沿いに捨てられた空き缶やペットボトルなどを拾って歩いたのですが、私は国道37…
14日(土)、加東市東条公民館で加東市子どもチャレンジ教室の茶道教室のありがとう茶会が開かれました。 子ども茶道教室には40人の子どもが参加し、月1回の茶道教室でお点前やおもてなしの心を学んできました。夏にはゆかた茶会、そして、今回は仕上げ…
朝、小学生の登校見守りを終えて家に帰ろうとしたとき、ホーホケキョの鳴き声が聞こえました。ふと、足を止め、耳をそばだてましたが、そのあとは続きませんでした。そういえば、一緒に見守りに立っている方が2,3日前に「ウグイスが鳴いたね」と話してお…
昭和11年(1936)、当時の社町(現加東市立社小学校区域)町長から、社区長に宛てて、道路や橋梁、財政などの報告文書が出され、それが文書綴に綴じられています。当時の町長は大橋實次氏。のち、日本運送の社長として活躍した人物です。また、社区長…
昭和12年(1937)の7月19日の社町社(現加東市社)の参与員正副評議員会の協議事項の項目を書いた文書が当時の社区事務所の諸綴に綴じられています。 今から78年前のふるさとの役員会ではどんなことが話し合われていたのかを知る資料となります。…
今から75年前の昭和15年(1940)の11月、社町長から各区長宛てに区長会開催の通知が出されています。当時の社町は、現在の加東市立社小学校区域にあたりますが、部落組織に関する協議が予定されています。部落会、常会、部、隣保、組などの組織強…
昭和18年(1943)3月、応召軍人に関するマル秘扱いの文書が出され、当時の社部落(現加東市社)の常会協議事項綴に綴じられています。 この文書の余白に鉛筆書きで「召集時ノ人数等ノ話ヲセサルコト」と書き込まれています。「近々多数の応召」がある…
この歴史ブログでは、戦前戦中の軍隊に入営応召、帰還する郷土兵の歓送迎について当時の文書を紹介してきました。佐保神社での奉告祭、遺骨の出迎えなどがどのように行われていたのかを知ることができました。 今日紹介するのは、昭和17年(1942)1月…
昭和18年(1943)の夏、当時の社町社(現加東市社)の部落常会の文書綴の中に「金属非常回収」についての文書が綴じられています。 当時、戦局が厳しくなるなか、物資不足のために金属回収が行われていましたが、官公署、神社仏閣などを対象として金属…
加東市下三草の、木梨、稲尾との境に近いところ、圃場整備された田圃の中を通る道脇に背の低い道標が立っていました。下三草の方から昔の街道の話を聞かせていただいていたとき、この道標の存在を知り、近くを通り掛かったので探してみました。 正面は、仏像…
昭和18年(1944)、社町(現在の加東市社小学校区)の9月常会で電球や真空管の回収に関する決定がなされています。当時はこうしたものの入手も困難な状況にあったことが分かります。時代は変わって、今はLEDの時代になりました。 その決定事項を紹…
昭和18年(1943)、社町(現加東市立社小学校区)の常会徹底事項の項目の中に「耕地改良事業施行ニ関スル件」が挙げられています。9月の常会徹底事項では、この他に古弾丸回収、納税施設法、大日本翼賛壮年団、鶉野勤労奉仕、配給などに関する件が説…
戦局が厳しさを増す昭和19年(1944)の夏、ちょうど終戦の約一年前に兵庫県知事名の告諭が出されています。これは地方長官に対して天皇陛下のお言葉が下され、これを受けて県民に向けて出されたものです。社町の常会では、告諭の朗読がなされていたよ…
昭和20年(1945)の4月、社町(現在の加東市立社小学校区域)から区長会開催の通知が出されています。終戦4ヶ月前の頃ですが、防空対策や海軍への協力などが内容として挙げられています。今年は終戦70年の節目にあたりますが、長い日本の歴史から…
平成25年7月11日投稿の「昭和20年-戦没者公葬について」を再度読んだあと、この通知が綴じられている当時の文書綴をもう一度よく見てみると、余白に鉛筆書きのメモがありました。協議中の口頭での指示などをメモしたものでしょう。戦局が厳しさを増…