2015-07-01から1ヶ月間の記事一覧
写真は、社国民学校の封筒です。タテ20.5㎝、ヨコ8.3㎝の大きさ。下部に、「兵庫縣加東郡 社国民學校 電話社四番」と印刷してあります。 この封筒は昭和18年(1943)当時の社地区の文書綴に挟んであったものです。今年は終戦70年の節目の年で…
毎日猛暑が続いています。我が家のゴーヤの緑のカーテンも程良く生長し、ゴーヤもなっています。クマゼミも羽化ラッシュで、今年も朝早くからシャブシャブと耳が痛くなるほどにぎやかに鳴いています。 玄関側の庭では生垣の辺りの土中からはい出てきた幼虫が…
28日(火)、曇り空の下、加東市社の明治館の広場にある忠魂碑の前で加東市遺族会社支部の皆さんによる慰霊祭が行われました。 この慰霊祭は今年が終戦70年の節目にあたるため、遺族会として戦没者の慰霊、感謝と平和への祈りをこめて行ったものです。 …
23日(木)、県議会の文教常任委員会で県立豊岡高校を視察しました。グランドを見下ろす掲揚台には国旗、県旗、校旗が掲揚されていました。校長先生に「今日は視察に合わせて掲揚してあるのですか?」と尋ねると、「いえ、毎日掲揚しています」との答えが…
▲観正寺庭園正面より 24日(金)、豊岡市気比の観正寺庭園を見学しました。 県議会の文教常任委員会の調査で訪れたものですが、県指定名勝に登録されています。庭園として作庭者、年代がはっきりしている例は全国的にも珍しいということで、観正寺役員の田…
25日(土)の午後7時前、佐保神社境内は涼風が吹き、大けやきからヒグラシの声が聞こえてきます。そして、西の地平線に雄大な夕空が広がっていました。 境内西側に並ぶ小宮さんの列の真ん中辺り、御大神宮さんを祀る祠があります。この祠は、元は加東市社…
22日(水)から24日(金)の3日間、視察で但馬丹波地区を訪れ、県立高校や教育事務所などを訪問し調査を行いました。 豊岡市内に宿泊した24日の早朝、近くの神社や公園を散歩していると、幼稚園の敷地の中に一本の石柱が立っているのに気づきました。…
21日(火)、今日から加東市内の小中学校は夏休みが始まりました。ちょうど梅雨も明けて、本格的な夏到来です。 夏休みといえばラジオ体操。加東市社3区のうち、田町通り辺りの子供は3区集会所の前の路地でラジオ体操を行っています。今日が今夏休み第一…
加東市上滝野に滝野最古の道標が立っています。解説によると、建立は天和2年(1682)で、330年余り前の古いもので加古川流域最古の道標とされています。上滝野の庚申講の人々によって建立されたものです。 道標には「右たんは」「左のま谷」と刻まれ…
加東市下滝野の加古川流域滝野歴史民俗資料館が7月18日(土)から9月30日(水)までの約2ヶ月半、無料開放となっています。 同資料館には、加古川舟運に関する展示を中心として、滝野、加東の歴史や昔の生活品の展示などが行われており、夏休みの子供…
18日(土)、加東市の夏まつりシーズンの到来を告げる「平池まつり」が平池公園を会場として行われました。台風11号の大雨で開催が心配されましたが、地元の皆さんを中心とした実行委員会によって準備が行われ、夕方には盛大に始めることができました。 …
台風11号は四国から中国地方を縦断し日本海に抜けました。この台風による雨は、7日未明から8日朝までの長い時間にわたって強く降り続き、加古川をはじめ、加東市内の東条川や三草川、千鳥川などでも増水し、加古川流域の油谷川との合流点では道路や水田…
昭和13年(1938)の6月、郷土社町(現在の加東市立社小学校区)から30余名の兵士が召集され、佐保神社で奉告祭が執り行われることになり、その通知が出されています。「勇士ノ壮途ヲ盛ナラシメルタメ」という文言に召集され出発する郷土兵を見送る…
ここ3日ほど真夏のような強い日差しが続いています。セミの鳴き声も聞こえるようになりました。毎年玄関まわりの生垣の地面からクマゼミがはい出て植木や塀をよじ登り羽化していきます。 11日の夕方、庭のチリトリの中でもぞもぞ動いている幼虫を見つけま…
佐保神社(加東市社)の本殿の北側から若宮町へ抜ける境内の通路のヒラドツツジがきれいに剪定され、境内の風景がすっきりしました。同時に通路の玉垣がよく見えるようになり、ここに刻まれている寄贈者の名や地名が読めるようになりました。 以前にもこのブ…
昨日のブログで加東市出身の美人画家、三木翠山の展覧会を紹介しましたが、三木翠山は加東郡社村の田町の生まれであることも紹介しました。服部壽七の四男として生まれ、幼い頃から絵を描くことが好きだったということでした。 ところで、翠山が生まれた社の…
12日(日)午後、姫路市立美術館で開催中の三木翠山展に行ってきました。6月20日から開催されていたのですが、やっと時間がとれました。 図録の解説によれば、三木翠山は明治16年(1883)、兵庫県加東郡社村の田町(たまち)生まれで、現在の加東…
10日(金)の早朝、福島県の県庁所在地である福島市の街を歩いていると、目に入ったのがこの道路元票でした。道路元票は大正8年(1919)に道路法で各市町の道路の基点となる目印(石碑)が設置されました。加東市内にも旧町村の道路元票があり、この…
昭和13年(1938)5月、応召・入営する兵士の奉告祭が佐保神社(加東市社)で執り行われることになり、その通知が社町長から各区長等に出されています。早朝の奉告祭、見送りを受け、郷土を出発していったのです。 昭和十三年五月二十一日 社 町 長 区…
昭和13年(1938)の夏7月、社町長から各区長に対して姫路陸軍病院からの入院患者見舞品に関する申し出が通知されています。 夏を迎え、伝染病予防のために飲料品は禁止という内容です。文書から、当時は入院患者への見舞品として、菓子や果物、鶏卵な…
昭和13年(1938)の5月、郷土社町から12名の兵士が召集され、その奉告祭(佐保神社)の通知が出されています。 このブログで支那事変勃発以降、こうした郷土兵の応召、凱旋に関する通知類を紹介していますが、通知に記された兵士の氏名を忠魂碑の英…
昭和13年(1938)6月、郷土から応召される兵士の奉告祭が執り行われることになり、その知らせが社町長から各区長らに出されています。 6月15日付の「兵至急」と記され、奉告祭は翌16日の早朝5時からとなっています。 兵至急 昭和十三年六月十五…
加東市吉井にある加東市立東条西小学校のオープンスクールが行われ、授業を参観しました。 児童数が減り、現在は96名と100人を割っています。この西小の中にはヤギの飼育小屋があり、教室からヤギのようすがよく見えます。子供達の授業を参観しながら、…
朝、静かな市街を歩いていると、ふと足を止めることがあります。 このブログでも以前に紹介しましたが、忠魂碑のある明治館(加東市社にある元加東郡公会堂)の西側の林の木の上にアオサギの巣があります。ギャオという鳴き声にふと見ると、木の天辺に親サギ…
毎年、加東市花と緑のまつり・花き盆栽展で、加東エコ隊のブースで緑のカーテン、ゴーヤの苗をいただきます。今年も5月30日に4本の苗をいただき、我が家でカーテンづくりに取り組んでいます。 一ヶ月経った6月30日、4本のゴーヤは順調に生長し、軒下…
昭和13年(1938)の2月、郷土から大陸の北京に入営する兵士を見送るべく、歓送依頼の通知が出されています。社区(現加東市社)の当時の軍事関係文書綴に綴じられていました。通常は佐保神社で奉告祭が行われていましたが、この通知では、直接部落か…