2016-05-01から1ヶ月間の記事一覧
30日(月)の午後、用事で加東市立福田小学校を訪れると、シルバー人材センターの人が校庭の植木の剪定作業を行っていました。 用事を済ませ、校門を出たところで、道路の清掃活動を行っている友人を見つけ、しばらく立ち話をしていると、目の前の弥谷池の…
昭和19年(1944)の8月、社町長から各区長宛てに乳幼児体力検査に関する通知が出されています。会場は社区公会堂となっており、その建物は現存していますが、現在は作業所として使用されています。添付されている一覧表には、対象となる134名の乳…
28日(土)、加東市社の市役所隣の社中央公園ステラパークで花と緑のまつり-花き盆栽展が開幕しました。29日の日曜日の2日間開催されます。 ステラパークを取り巻くように見事なさつきの盆栽、山野草が展示され、訪れた人々は立ち止まって枝振りや花に…
朝のウォーキングでは、佐保神社に参拝します。この頃は、境内の大ケヤキの緑が濃くなり、営巣しているアオサギの鳴き声が賑やかになっています。 戦時中、佐保神社では、多くの郷土兵が出発の祈りを捧げ、また、帰還の報告を行いました。また、銃後の人々は…
先日、事務所に戻るとぱっと明るくなったような感じを受けました。その光源は事務所のテーブルの上に置かれた、さつきの花でした。 事務所には後援会長さんが育てた季節の草花が届きます。今度はさつきの盆栽でした。品種は寿光。うすいオレンジ色の花が木い…
25日(水)、昼頃、事務所から家に戻ろうと、路地に入ったところで、ブロック塀の下の溝のところにヘビがいました。 ヘビを見たのは久しぶりでした。1メートルぐらいの長さでじいっとして私のようすをうかがっているように見えました。シマヘビだと思いま…
佐保神社(加東市社)の瑞神門の脇の大ケヤキの辺りの玉垣に刻まれた寄進者の字を読んでみました。 「大正元年九月建立」と大きく刻まれており、今から104年前に建立されたものでした。外側には「高砂 米穀取扱商 (マーク)松本亀太郎」と寄進者の名が刻…
暑い日が続いていますが、用事で加東市の市役所を訪れました。新しい市役所庁舎の正面には緑の空間-メモリアルガーデンが広がっています。 この公園は社町時代につくられた沈降式公園で中央に噴水があります。ヨーロッパ風のこの公園は加東市の新庁舎を訪れ…
加東市にはJR加古川線が走っています。社町駅(加東市河高)の南側、国道372号は跨線橋になっていますが、北側の市道には踏切があります。ちょうど上り電車の通過で遮断機が下りました。 青色の電車が目の前を通過して駅に入っていきました。今は田植え…
21日(土)午後、やしろ歴史民俗研究会の28年度総会と研修が行われました。 今日の講師は、研究会の顧問であり、郷土史・文化財研究の大家である堀内和男先生でした。先生は91歳のご高齢ですが、歴史を語るお姿と声はびっくりするほどお元気でした。張…
以前、このブログで昭和30年(1955)版の県会手帳を紹介したことがありました。ボロボロになって破れたその手帳の表紙の裏の見開きに旧県会議事堂が描かれていました(写真)。3階建の塔のある堂々たる姿です。記録によれば、大正11年(1922)…
今日は、地区軍事関係文書綴に綴じられている、昭和13年(1938)の帰還兵の奉告祭の通知を紹介します。支那事変が長期化する中、郷土出身兵が帰還し、これを佐保神社(加東市社)において帰還を奉告する祭を行うため、急遽、通知が出されたものです。…
昨年は終戦70年という節目の年にあたり、この郷土史ブログに投稿してきた記事のうち、忠魂碑や戦没者の慰霊に関するものを小冊子にまとめて発刊しましたが、軍事関係の史料については、これからも継続して投稿していきたいと思っています。 今日は昭和13…
17日(火)、爽やかで、透明な空気に包まれ、空の青と野山の緑がまぶしいなか、加西市にある県立フラワーセンターを訪れました。 広々とした公園には芝生広場で憩う人や遊歩道をゆっくりと散策する人など、静かでゆったりとした午の時間が流れていました。…
この「ふるさと加東の歴史再発見」の郷土の歴史ブログで投稿してきた加東の道標と道路元標に関する記事を一冊にまとめました。 ちょうど加東市が市内の道標地図を発行しましたので、いいタイミングでした。市内に数多く残っている道標を通して、ふるさとの「…
北海道の玄関口函館市。坂道を下って、港に面した旧桟橋まで来ると、何と、そこに道路元標らしきものが立っていました。 さっそく近づいて表面に刻まれた字を読んでみると、読みづらくなってはいますが、たしかに「函館市道路元標」と刻まれていました。なん…
5月の連休は新緑がまぶしい。朝のウォーキングでも佐保神社の大ケヤキの若葉が朝日にまぶしく光っています。 その緑の中に白い姿を見せているのがアオサギです。枯れている小枝をくわえては旋回しながら巣に運んでいます。 明治館の木の天辺にとまって朝日…
昭和30年(1955)の父の手帳を5月4日付のこのブログに紹介しましたが、まさに昭和の大合併で新「社町」が誕生した、61年前のことが記されています。 保育園、消防団、議会委員会、県庁、各地区関係など細かな日程が父の字で書き込まれています。4…
5日のこどもの日、国宝朝光寺で行われた鬼踊り。その様子は6日のブログで紹介しましたが、今日はその主役の鬼の出番前の姿をお見せします。 国宝の本堂では午後1時から檀家の女性によるご詠歌に続いて、僧侶による大般若経の転読法要が始まりました。経を…
光明寺への登山道の入口から少し南に行ったところから住宅街を下っていくと、山麓に墓地があります。さらに細い道を下っていると、右手に木の鳥居と軍人墓が目に入ってきました。下滝野地区の戦没者墓地だと思い、車を止めて、墓地の中に入ってみました。 鳥…
北播磨城郭研究会の藤原孝三さんが講演の中で「寝仏、三草山」ということを言われました。聞き慣れない言葉だったので、調査報告書を読み直してみると、やはり「寝仏の姿の三草山」と書いてありました。 寝仏とは釈迦の涅槃の姿で、横たわるお釈迦様の寝姿の…
5月5日(木)、「こどもの日」の恒例の伝統行事、国宝朝光寺(加東市畑)の鬼踊り法会が行われました。 朝光寺には国宝の本堂、国の重要文化財の鐘楼、そして加東市の指定文化財の多宝塔が境内に隣り合って建てられていて、境内そのものがまるで宝物館のよ…
机の引き出しに古い手帳が入っていました。父のもので、表紙は一部が破れていますが、「1955」の数字、「HYOGO」「Prefechual Assembly」の文字が読めます。裏表紙には、「兵庫県会」「昭和三十年版」と記されています。 これは…
5月3日(火)、新緑の五峰山光明寺で花まつり法要が営まれ、多くの人が訪れました。朝から空は曇って、山上まで登ると強風が吹いて枝をゆすっていました。 五峰山には4ヶ寺の塔頭寺院があり、それぞれの寺院で甘茶の接待や寺宝の公開などが行われ、訪れた…
4月25日付投稿のこのブログに、24日に行われた北播磨城郭研究会の講演会について紹介しました。 中学生の頃から慣れ親しんだ三草山、源平合戦の三草合戦の伝承の授業づくりをした三草山でしたが、その山上に山城があったとは。藤原孝三さんの「三草山城…
5月1日(日)、まぶしい日射しの下、加東市上滝野の名勝闘龍灘は普段より水量も多く、岩場に白い波しぶきが轟音をたてて光っていました。 全国で一番早く鮎漁が解禁となるこの日、多くの釣り人達が岩場に陣取って釣竿を差し出して、若鮎をねらって糸を垂れ…
4月30日(土)の朝はよく冷えました。午前5時20分頃に家を出て、もうすぐ日の出で赤みを帯びた東の空につられて三草山がよく見える百旗(ひゃくはた)の方へ歩き始めました。 加東市役所から北へ国道372号を下り、視界が大きく広がる交差点まで来る…