ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

2016-10-01から1ヶ月間の記事一覧

加東市制10周年で太鼓屋台が集合

加東市の誕生10周年を記念して、30日(日)、秋のフェスティバルが開催されている市役所広場(南駐車場)に市内7地区から太鼓屋台8台が集合しました。 各地区で保存され、秋祭りなどに出る太鼓屋台が一箇所に集合するとあって、会場には多くの見物の人…

昭和18年-特別指定酒配給の申請方法

戦時中の昭和18年(1943)当時、酒やビールも配給になっていましたが、冠婚葬祭や入退営の際には特別に配給が行われていました。その申請方法が常会徹底事項の一項目として挙げられています。 それまで口頭でよかったものが申請書類提出へ変わっていま…

昭和15年-応召、現役軍人送迎の申し合わせ

昭和15年(1940)年、社町長から各区長に対して、郷土から出征る兵士の見送りや帰還の際の歓迎などの方法についての申し合わせについての通知が出されています。 町や駅で、幟や旗を立てて隊列を組んで見送る光景などをテレビや映画のシーンで見慣れて…

三笠宮崇仁殿下薨去-オリエントのご本

27日(木)、朝、三笠宮崇仁親王殿下が薨去されたことを知りました。百歳というご長寿でした。 三笠宮様といえば、古代オリエントのご研究、という印象があります。中学校の社会の教師をしていた頃、歴史の授業の教材研究で、宮様の『帝王と墓と民衆-オリ…

昭和18年-鶉野飛行場工事人夫供出要請

兵庫県加西市にある旧日本海軍鶉野飛行場跡の戦争史蹟整備が進められています。 鶉野飛行場について、このブログでも何度か取り上げてきましたが、戦時中に飛行場の工事には、社町からも割当に従い勤労動員が行われていました。 昭和18年(1943)の8…

加東市の花-コスモスが一面に

23日(日)、加東市河高地区では恒例のコスモスまつりが行われました。今年は地区の約1.6ヘクタールの田圃にコスモスが植えられ、見事な花を咲かせました。地区の人も今年が最高と話すほど見事なコスモス畑が広がっていました。 踏切の音とともにJR加…

加東の秋-朝雲、夕焼け雲

23日(日)、すっきりと晴れ渡るということがなかった一日でした。しかし、朝と夕焼け空はきれいな雲が光って美しい秋の空でした。 雲は一瞬です。朝、歩き始めた時にはまだ白みはじめた東の空に黒く浮かんでいた雲の群れに、やがて、高い雲から順に昇る朝…

昭和19年-空襲警報発令下の行動を徹底

今日も戦時中の地区文書を紹介します。昭和19年(1944)8月、社町長と警防団長の連名で各区長に対し、警報発令下の待避行動などについての通知が出されています。警報発令下の行動が徹底されていないというもので、隣保、家族での監視人を出して服装…

昭和18年-佐保神社祈願祭の時刻の通知

戦時中の昭和18年(1943)、郷土兵の応召や帰還には佐保神社前で奉告祭が行われていました。また、戦勝祈願をはじめ戦地の兵士の武運や戦傷平癒など、さまざまな祈願が行われていました。 今日紹介するのは、毎月八日の定例祈願祭の時刻の通知です。佐…

昭和18年-9月分の牛肉の配給

戦時中の配給についての資料を紹介します。社町社区(現加東市社)の当時の配給関係文書綴に綴じられているもので、昭和18年(1943)9月の牛肉の配給に関する通知です。人口を基礎に五〇匁包654包分が配当されています。ちなみに100匁で約37…

庭の山椒を食べるキジバト

朝の庭にはさまざまな鳥がやってきますが、山椒の赤くなった実を食べにやってくるのがキジバトです。 庭には小さな鳥がよくやってくるのですが、ふと見ると大きな鳥が柿の木の下にはえている山椒の木にとまって動いているのが目に入りました。 カメラを通し…

昭和18年-乳児用石鹸購入券の配当

戦時中の昭和18年(1943)、配給物資の中には石鹸もありました。浴用石鹸、洗濯石鹸などの配給についてはこのブログでも紹介してきましたが、当時の社町社区(現加東市社)の配給関係書類綴の中に乳児用の石鹸購入券の送付に関する役場からの手書きの…

加東の秋の空-武家屋敷、鯉のぼり、カエデ

16,17日の土日は好天に恵まれ、秋の青空が広がりました。澄み切った秋の空はどこまでも青く、高く、そして、この空をバックに加東の秋の到来を感じさせる光景が輝きました。 まず、上三草の加東市やしろ国際学習塾の建っている場所は、江戸時代には三草…

秋の日の播州平野-播磨高野五峰山からの展望

16日(日)の朝、9時前に加東市上滝野の体育センターで行われるバレーボールの大会に出席しようと車を走らせ、赤信号で止まったときに、ふと正面に見える五峰山の中腹の駐車場へ行ってみたくなりました。 天気もよく、秋の日に包まれた播磨平野の景色を眺…

ほぼ満月-東の空に大きな月が光る

15日(土)の夕方、庭の柿を穫って布で磨いていると、表の方で何やら賑やかな会話が聞こえてきました。「大きな月・・・」という言葉が聞こえたので、カメラを持って表に出てみました。 東の空低く、大きな円い月が出ていました。明日が満月。見た目にはも…

昭和18年-農林用地下足袋購入券4枚の配当通知

戦時中の配給制度の下にあっては、乏しい物資を公平に配当するために人口や戸数、年令、業種など細かい基準にしたがって数量を決めていたことが当時の社町社区(現加東市社)の配給関係書類綴に綴じられている通知から読み取ることができます。また、添付さ…

昭和18年ー配給書類は裏紙使用

今、NHKの朝の連続ドラマは神戸を舞台にした「べっぴんさん」が放送されています。時代は昭和18年。きょう、紹介する配給関係資料はその昭和18年(1943)当時のものです。 「購入券配給書類」と表紙に書かれており、昭和18年4月から翌19年3…

明治館からの夕日、そして不死鳥が・・・

12日(火)の夕方、用事を済ませ加東市社の市街地の南、三階辺りを車で通っていると、西の空が夕日で真っ赤に染まっているのが視界いっぱいに広がりました。 近くの明治館へと車を向かい、飛び降りてカメラを向けると、ちょうど夕日が西の地平線に沈もうと…

加東の夜明け-やしろ中央公園金屋谷池の堤から

11日(火)の朝、ウォーキングへと玄関を出ると、東の空に赤く輝く雲がたなびいていました。もうすぐ朝日が昇る。急いでやしろ中央公園へと歩き、金屋谷池の堤に上りました。 日が昇る前、東の地平線の下から朝日が射し、雲の下の部分に光が当たり、赤く、…

実りの秋-稲刈り

10日(日)、今朝はぐっと冷えました。朝から空は晴れ渡り、高いところに雲が出てまさに秋晴れのまぶしい光に満ちていました。 長雨で延びていた稲刈りを突然やることになり、鎌だけを持って田圃へ向かいました。田植え、稲刈りなどの作業は隣の専業農家の…

秋晴れの下、佐保神社秋祭本宮で屋台練り

9日(日)、宵宮から降り始めた雨は明け方まで残りましたが、太鼓屋台の巡行を始める頃には雨の心配もなくなっていました。 8時30分に加東市社の上組屋台倉には約90人の担ぎ手が集合し、9時には巡行を開始しました。「よーいとさのね」の声、「どんで…

合羽は着ても見事な上組太鼓屋台-佐保神社秋祭宵宮

8日(土)、今にも雨が落ちてきそうな空模様でしたが、加東市社の佐保神社秋祭り宵宮の太鼓屋台巡行が行われました。修理したばかりということもあって、雨対策の透明合羽を着ての巡行になりました。 午後3時、上組の法被姿の担ぎ手が揃い、佐保神社宮司さ…

修理成った上組屋台を披露-佐保神社秋祭を前に

7日(土)夜、加東市社の一区にある上組屋台倉で佐保神社秋祭り上組前夜祭が行われました。明日8日の宵宮、9日の本宮を前に、屋台を披露する催しです。今年は、2年がかりで行ってきた屋台の修理ができ、見違えるようにきれいになった金具や垂木、高欄な…

昭和17年-家庭用金物購入券の配給

昭和17年(1942)の夏、戦時中の物資不足のなか、特に金属は貴重なものとなっていました。家庭用の金物、鍋や弁当函なども配給となっており、社区(現加東市社)の21組562戸に対して合わせて72個の配給でした。各組長さんは必要な金物の購入券…

昭和17年-乳児菓子購入通帳

この歴史ブログでは、戦時中の配給に関する資料を紹介してきていますが、今日は、昭和17年(1942)に社町長から区長に対して出された乳児菓子購入通帳の交付に関する通知を紹介します。 当時、子供用の菓子、キャラメルやボーロなどは配給となっており…

佐保神社秋祭り近づく-社上組の準備

4日(火)、明日5日は台風18号が接近、通過が心配されるなか、夜、加東市社の上組(かみぐみ)の屋台倉で行われている屋台の飾り付けと太鼓の練習を見に行きました。 佐保神社の秋祭りは、今週末の8日が宵宮、9日(日)が本宮です。伊勢音頭にのって豪…

昭和14年-国威宣揚皇軍武運長久祈願祭

昭和14年(1939)の1月末、社町(旧の社町、現在の加東市立社小学校区域) では、支那事変勃発以来、多くの郷土兵が出征していきました。当時の社区書類綴には、入営兵士の出発や帰還に際し佐保神社前で執行される奉告祭の案内通知が綴じられています…

春日神社の秋祭り-勇壮な屋台練り上げ

2日(日)、加東市内各地で神社の秋祭りが行われました。 加東市上滝野の春日神社では、祭礼の儀式で氏子地区の中学1年生の女子が巫女姿で豊栄の舞を奉納し、舞殿では下滝野地区の獅子神楽で子供達が囃子として演じるなど伝統の祭りを若者が盛り立てました…

木梨神社、上鴨川住吉神社で宵宮

1日(土)、心配されていた雨も朝には上がり、市内各地では保育園や幼稚園の運動会、神社の秋祭りの宵宮などが行われました。 加東市藤田の木梨神社では、宵宮の行事が境内で盛大に行われました。木梨神社は藤田地区、下三草地区、木梨地区が氏子の神社で延…

昭和17年-うどん・そうめんの配給

昭和17年(1942)、戦時中の社町社区(現加東市社)の配給関係書類綴には、当時の物資や食糧の配給に関する通知や配給一覧表などが綴じられています。 70数年前の戦争中の暮らしがどのようなものであったかを知る貴重な資料だと思い、紹介しています…