2017-01-01から1ヶ月間の記事一覧
この写真は、国宝朝光寺(加東市畑)のすぐ下を流れる鹿野川にかかる「つくばねの滝」です。昭和40年代の末に撮影したものです。山門の階段下の道から滝壺へと下り、下から滝を見上げたものと、中段の岩に立つ私を撮したものです。 つくばねの滝の名は、周…
9年前の平成21年(2008)の1月30日に投稿した昭和11年度の社町防空演習の要項の冊子の表紙を再掲します。 前回の投稿では、表紙の空襲の絵だけを掲載しましたが、今日は表紙全体を紹介します。サーチライトに照らされる敵機の機影。絵には「強襲…
社町(旧社町)の道路元標を明治館の庭に設置したとの報せを受け、さっそく見に行きました。 明治館(加東市社)の前庭の一角、旧加東郡公民館時代の門が建てられている横に設置されていました。 正面には「社町道路元標」と刻まれています。表面はきれいに…
加東市の中央部には嬉野台地が広がっています。標高は100メートルから150メートルの高原で、広々とした景色が望めます。 加古川の河岸段丘が西に向かって高位、中位、低位と広がっており、一番高い面からは、遠く多可町の雪の山々が見通せます。 また…
写真は半鐘の上でホース干しの作業をしているようすを穫ったものです。昭和50年代半ばでしょうか。 この半鐘は元社町役場の敷地の南西の隅にありました。役場は移転し現在は駐車場と消防会館になっています。場所は今の加東市社市街地、学校道の途中で、市…
この写真は今から40年ほど前の昭和50年頃の佐保神社境内を撮したものだと思います。 境内から北の方角を向いていますが、今も変わらないのは大ケヤキと根元の日露戦争戦勝記念碑、そして、正面と向かって左手に並ぶ小宮です。ただ、恵比寿神社は建て替え…
戦時債券等の町別割当について紹介してきましたが、今日は昭和20年の国民貯蓄割当額の決定通知を紹介します。 敗戦3ヶ月前の通知ですが、前年度より5割増しの「巨額に有之」とあり、それでも完遂を目指しての「一段の御力添え」を依頼しています。 この…
昨日に続いて、兵庫教育大学附属中(加東市山国)の草創期の懐かしい写真を紹介します。 昭和57年(1982)、第1期生75名でスタートした附属中。赤土の校庭に造られた前方後円墳。郷土史研究クラブの作品で、葺石も見えます。記念撮影の背景に県立社…
この写真は加東市山国にある兵庫教育大学附属中学校の創立間もない頃の写真です。昭和57年(1882)に第1期生が入学しましたが、まだ校舎があるばかりで、郷土史研究クラブで、校庭に前方後円墳を造ったように思います。表面に葺石まで置いてあるので…
この写真は、加東市社の環状線から嬉野、中三昧墓地へ上がる坂道を坂の下から撮影したものです。おそらく今から40年ほど前の昭和50年前後の風景だと思います。 現在は、坂道の右手は社中央公園になっていますが、当時はこの辺りは田圃と店、町営住宅があ…
今日は昭和18年(1943)4月に社町長から各部落会長宛てに出された戦時国債消化割当に関する通知を紹介します。「高度国防政策の確立のため」の財源とする目的で国債が発行され、その消化が各地区每に割当てされたものです。(1月15日付投稿で昭和…
加東市大門から加古川を跨ぎ小野市へと通じる大門橋。先日、加古川の河川改修工事の現場説明会が行われた際、その親柱に埋め込まれた銘板を見る機会がありました。 銘板には「知事 岡田周造」を筆頭に、土木部長、道路課長、主任技師など大門橋架橋工事関係…
16日(月)、まだ雪がちらつく朝、いつものように登校見守りに立ちました。 昨日は近所の子供達が駐車場に降った雪で雪だるまをつくって遊んでいました。朝になると、その雪だるまが、深々と頭を下げておじぎをしていました。 ちょうど社小学校へ通じる学…
15日(日)は、一日中、断続的に雪が降りました。朝方は大したことはないな、という感じでしたが、8時を過ぎる頃には本格的な降りになり、道路も田圃も真っ白な雪景色となりました。午前中、市内を車で走る用事があり、ところどころで停車して写真を撮り…
大東亜戦争開戦半年前の昭和16年(1941)6月、社町長代理助役の名で各区長宛ての「債券消化割当」に関する通知が出されています。 国債、貯蓄、報国債券の社町の消化割当を各部落每に割当てたものです。当時の社町社(現加東市社)の国債等に関する昭…
最強の寒波が襲来-という天気予報。冷たい空気に包まれていますが、空気は透明で瀬戸内気候の播州には冬の太陽の光がストレートに射し込んでいます。 庭の梅の木の枝に白い花が3輪、白く膨らんだ蕾も4つ、5つ。カメラを近づけると、白い花びらが透き通っ…
90年余り前の大正13年(1924)9月の社町(旧社町、現在の加東市立社小学校区域)の区長会の協議事項の記録の中に、伝染病の予防に関する事項が記されています。 腸チフスに関するもので、例年に比べて加東郡(現在の加東市、小野市域)の患者数は少…
11日(水)、午前7時20分頃、加東市社から県道神戸加東線を県庁に向かって走り始めたとき、ちょう進行方向の南東の嬉野台地に朝日が昇ろうとしていました。よく冷えて、透明な朝の空気の向こうに、ひときわ明るい光の柱が立ち昇っているのが見えました…
10日(火)、冬休みが終わり、3学期が始まりました。午前7時30分、今年最初の登校見守りに立ちました。 見守りに立つのは自宅近くの社小学校へ通じる「学校道」の交差点です。この角の家にロウバイの木が植えられており、黄色い花が咲いています。ふと…
加東市社の佐保神社では、境内の恵美須神社で社えびすの祭が行われ、宵えびすにあたる9日(月)には多くの人が福をもとめて参拝しました。 以前にも紹介しましたが、この恵美須神社は享保年間に山氏神社(加東市社)の鳥居前から移転されたものです(『佐保…
昨日に続いてボーイスカウトの写真を紹介します。これは昭和40年代前半、中学生の頃、中町牧野(現多可町中区牧野)の牧野大池周辺で1級訓練に参加したときの写真だと思います。 北播地区の各団から参加したスカウトが野営をしながら、野営技術を磨くとい…
この写真は昭和41年(1966)の8月に岡山県の日本原で開催されたボーイスカウトの日本ジャンボリーでの加東第2団(社)のキャンプサイト前で撮影されたものです。 今から51年前ということになりますが、当時私は中学1年生。夏休み中の野球部の練習…
加東市上三草の三草山の麓に巨大な溜池、昭和池があります。大正13年(1924)に東播地方が大干ばつに見舞われ、これをきっかけに、三草山山麓のカラクニ谷をせき止めて溜池を造ることになりました。 工事は昭和3年に始まり、9年に完成、昭和池と命名…
この写真は、昭和40年頃の社小学校の運動会の様子です。日の丸と校章の描かれた小旗を両手に持って全校ダンスをしている場面のようです。 「あれはぼくらの学校の印ぞ青の校章・・・」の歌に合わせて旗を上げ下げしていたことを憶えています。 先生も児童…
この2枚の写真は、昭和56年(1981)、兵庫教育大学の附属小学校に勤務していた頃、4年生の社会科の授業づくりのために鴨川ダムと用水路網を実地調査していた時に撮影した「曽根サイフォン」の姿です。 曽根サイフォンは日本最長クラスのサイフォンで…
この写真は昭和44年(1969)の晩秋に撮影された航空写真です。写っているのは現在の加東市役所がある辺りで、今は市役所、図書館、JAみのり本所、武道館、社こども園、公民館、福祉センター、税務署などが集中している市の中心部です。 約50年前は…
佐保神社(加東市社)には、酉年のシンボルである鶏がいました。 正月2日に家族で初詣をしました。拝殿の手前に大きな石燈籠が立っていますが、その燈籠に十二支の動物が刻まれています。巳年の蛇はすぐ見つけることができました。さて、鳥はどれかとさがし…
平成29年1月1日(日)、加東市内の地区では2地区で初総会が行われます。福吉地区と上田地区です。2つとも福田地域の地区で、福吉地区は午前9時から、上田地区は午後1時から。加東市の1年が「福吉」で明け、「上田」で運気が上がる、というめでたい…
平成28年の大晦日、持寶院(加東市社)で除夜の鐘を撞き、歩いて佐保神社へ初詣に回る。これが毎年の去く年、来る年の恒例の行事になっています。 大師殿では、住職がお勤め中でした。一年間、朝のウォーキングで大師像にお参りしていますが、大晦日は特別…