ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

2018-02-01から1ヶ月間の記事一覧

新町歳時記より③-牛がいた時代の農業

『新町歳時記-昭和25年(1950)の思い出ー』は、加東市新町の大久保利政さんが5年がかりでまとめた過去の記録であり、貴重な民俗資料です。 191頁から50頁にわたり、「第6章 我が家の農業」が記され、昭和20年代から機械化される以前の農業…

間近の地面にヒヨドリ-朝のオリンピア道路

25日(日)の朝、加東市役所とJAみのりの本所ビルの間のオリンピア道路を歩いていると、一羽のヒヨドリがすぐ目の前の歩道の植え込みの縁石の上にいるのが目にとまりました。 立ち止まって、すぐにカメラをポケットから取り出すと、驚きもせずじっとして…

新町歳時記より-昭和20年代の小学校生活

昨日紹介した『新町歳時記-昭和25年(1950)の思い出-』から、終戦から占領下の小学校生活のようすを紹介します。 97頁に当時のエピソードとして、木炭バスのことが語られています。筆者である大久保利政さんのお母さんがこの木炭バスに乗って社の…

『新町歳時記』に記された昭和25年の暮らし①

加東市新町の大久保利政さんから『新町歳時記-昭和25年(1950)の思い出』をいただきました。5年がかりで執筆されたものでA4判380頁の分厚い冊子になっています(写真)。 早速読み始めると、68年前の新町の暮らしがいきいきと描かれ、自分の…

今日も元気に鳴いています-庭にヒヨドリ

20日(土)の昼過ぎ、庭の方からまたピーという鳴き声が聞こえました。やってきているなと、カメラを持って庭に下りました。 鳴き声の主はヒヨドリです。電線にとまって連れを呼んでいるのか、風に羽を逆立てながらピーと大きな声で鳴いています。カメラを…

春が地上に降りてきた

日一日と春の到来を実感する毎日ですが、明るい日の光に誘われて庭に出ると、水仙の花が開いていたり蕾が膨らんでいます。また、梅の蕾が膨らんで、白い花びらの一部が見えています。枇杷の実が千生り瓢箪のように小さな実をつけています。枯葉が積もる地面…

ステラの夕景色

20日(火)の6時少し前に、加東市社、市役所の南隣にある社中央公園のステラパークに立ち寄りました。 ちょうど、西の空に日が沈もうとしている時で、ステラパークから雄大な夕景を見ることができました。ステラパークは嬉野台地の西端にあり、西側には播…

佐保神社と「社」交差点-街の起点

加東市社は佐保神社の門前に発達した町であり、西国巡礼の宿場として、古くから賑わってきたことで知られています。 「社」の地名が「佐保社村」、すなわち佐保神社に由来することからも、佐保神社と深い関わりをもっていることがわかります。 そのことを一…

社警察署が銀座通りにあった頃-昭和54年空中写真

昨日に続いて、昭和54年(1979)の社市街の空中写真から当時のようすを見てみます。 社市街の銀座通りに社警察署があった頃のようすが写っています。現在はみなと銀行の社支店になっていますが、その位置に懐かしい白亜の庁舎がありました。 この庁舎…

空から見た昭和54年の社小-木造本館や西校舎も

昭和54年(1979)に社市街地を空から撮した写真の一部に社小学校とその周辺が写っていました。まだ、木造の本館や西校舎が建っており、一部が鉄筋コンクリート造に建て替えられています。 この木造校舎は昭和10年代に建てられたもので、私たちが学ん…

神戸元町バル-北播磨の山田錦の日本酒で賑わう

16日(金)、神戸市の元町6丁目商店街にある「北播磨おいしんぼ館」周辺で、「新酒で乾杯”山田錦発祥の地 北播磨”神戸元町バル」が開催されました。この催しは北播磨県民局が主催するイベントで回を重ねる度に人気が出てきています。 今回は、日本酒発祥…

加東の冬景色-千鳥川から五峰山を望む

兵庫県最長の河川は加古川です。加東市は、加古川の中流域にあたり、千鳥川や東条川などの支流が注ぎ込んでいます。 千鳥川は米田地域を西に向かって流れ、木梨で三草川と合流します。この辺りは桜の名所として知られ、なかでも桜堤は枝垂れ桜の美しさで多く…

八城学校新築落成式に参列した県令森岡昌純

今年は明治維新150年、兵庫県政150年にあたります。初代県知事は伊藤博文。4代は陸奥宗光といった、後に明治時代を代表する政治家が知事を務めています。8代目は薩摩藩出身の森岡昌純で、明治9年9月9日に権令、同11年5月29日県令となり18…

柿の木の枝のヒヨドリ

2月7日(水)の朝、またヒヨドリが庭にやってきて鳴いていました。毎日のようにやってくるのですが、この日は柿の木の枝にとまって朝日を浴びていました。 ベランダから庭におりて近づいても逃げようとしません。静かにゆっくりとカメラを構えてズームにし…

山氏神社に朝日が昇る

11日(日)、建国記念の日の朝、社の市街地を歩いて、ちょうど山氏神社の参道にさしかかったとき、参道の奧の社殿の屋根の上にまばゆい朝日が昇っていました。山氏神社は西向きに社殿が建っているので、朝日を背に受ける形になるのです。 入口の大木の枝が…

河高八幡神社の厄神祭-山上での祭りも

2月11日(日)、建国記念の日に、加東市河高の八幡神社では恒例の厄神祭が行われました。昨日は久しぶりの本降りの雨でしたが、今日は雨も上がり、日が射す明るい天気となりました。9時30分頃に参拝すると、境内は多くの参拝者で賑わっていました。 拝…

楠木正成公と加東-くすのき伝説

10日(土)、湊川神社の垣田宗彦宮司の講演を聴きました。「楠木正成公の魅力-日本人と楠公精神-」の演題で、楠木正成公の出現、湊川の合戦、楠木一族、末裔の奮戦、後世の楠公崇拝思想の広がり、湊川神社創建という内容で、日本史の流れの中で日本人と…

冬の日に映える山王神社

4日(日)、加東市厚利の県道小野藍本線、松沢に近いあたりの山側に入る道があります。屋根型の大きな鳥居と山王神社に続く参道です。 以前にこの歴史ブログで紹介したことがありますが、冬の明るい日ざしに映えて、鳥居と神社がくっきりと浮かび上がってい…

伊藤博文奉納の石燈籠-湊川神社

8日(木)、湊川神社の垣田宮司のご案内で、境内奧の一角にある伊藤博文奉納の石燈籠を見学させていただきました。 伊藤博文が初代兵庫県知事に任命されたのが慶応4年(1868)5月23日、新暦では7月12日です。明治天皇の湊川神社創建の御沙汰書が…

明治の教育者・寺本武の頌徳碑-社の百旗の地に

加東市社の市街の東、環状線と田町通りが交差する道池交差点から大きくカーブしながらゆるやかな坂道をのぼったところ、百旗墓地の向かい側に大きな石碑が立っています。社郵便局の北側に下る細い坂道との分かれ道にあり、周辺には墓地やお地蔵さま、社こど…

寒波の庭にヒヨドリと梅の蕾

数年に一度という強い寒波に覆われ、日本海側では大雪が続いています。しかし、瀬戸内海に面した播磨平野のこの地域ではよく晴れています。ただし、中国山地にぶつかって雪を落とし、山を越えてきた風はとても冷たいのです。これが典型的な播磨の冬の天気で…

適塾の村上代三郎②-加東の人物

昨日に続いて、村上代三郎のついて紹介します。 緒方洪庵の適塾の「姓名録」(全部で636名)には門下生の氏名が記されています。兵庫県域からは33人が名を連ね、その中に加東郡木梨村(現加東市木梨)の村上代三郎の名もありました。初期の門下生で全体…

適塾で学んだ村上代三郎①-加東の人

今年は明治維新150年にあたり、同時に兵庫県政150年の節目の年です。慶応4年(1868)の5月23日(旧暦、新暦では7月12日)、初代県知事に任命されたのが26歳の伊藤博文でした。 今の兵庫県の形、県域になるのは明治9年のことで、150年…

庭のテラスにやってきたヒヨドリ

2日(金)の朝、妻が小声で「ヒヨドリ、ヒヨドリ」と窓の外を指さしました。その指の先は柿の木ではありません。テラスの縁の所にヒヨドリがとまっていました。近くで見るとハトぐらいに大きく見えます。なにやら数十センチ下の地面を見ながら、時々首をひ…

1億1千万年前の地層が露出-篠山太古の生きもの館

2月1日(木)、県議会産業労働常任委員会の調査で「篠山市立太古のいきもの館」を調査しました。3日間にわたる但馬丹波地域の調査の最後の調査地だったのですが、県立丹波並木道中央公園の一角にある同館では、1億1千万年前の地球史的な地層である篠山…