2018-05-01から1ヶ月間の記事一覧
以前、加東市河高地区の歴史をめぐるウォーキングに参加した折りに、加古川を跨ぐ中国自動車道の橋の辺りで、昔はここに渡舟があり、対岸へ渡っていたということを教えてもらいました。 『滝野つたえぐさ』(滝野町老連編、平成5年刊)に、「ここは河高、向…
梅雨入りも近づいた今日この頃、すでに田植えが終わった田圃が見られるようになりました。 『滝野つたえぐさ』(滝野老連編、平成5年刊)に、下滝野の大久保さんが「猫の手も借りたい二期の秋」の題で、田植えの頃、稲刈りの頃の農作業のこと、暮らしを詳し…
ここに2つの写真があります。昭和44年と現在の加東市社の社中央公園とその周辺の航空写真です。ほぼ半世紀の時が経っています。 中央の池が金屋谷池です。昭和44年の写真には、池と田圃、そして、北側(上)の中三昧墓地が見えます。この墓地の中を通る…
陸上自衛隊青野原駐屯地は、小野市、加東市、加西市にまたがる青野原台地にあります。戦前は陸軍の演習地、そして現在は自衛隊の駐屯地として、高射特科群が配置され、青野原といえば自衛隊というように親しまれています。 27日(日)に駐屯地創設42周年…
26,27日の2日にわたって、加東市社の社中央公園ステラパークを会場にして、加東市花と緑のまつり「花き盆栽展」が開催されています。 会場にはさつきの盆栽や山野草の寄せ植えが展示され、訪れる人々の目を楽しませてくれています。丹精込めてつくられ…
25日(金)の昼頃、事務所から自宅へ戻るとき、路地に入ったところで、トンボが飛んでいるのに気づきました。体は黒に黄色。何と呼んでいたのか思い出せません。ブロック塀に止まったので、しばらくじいっと眺めていましたが、ポケットからカメラを出して…
24日(木)、雨が上がって朝日がまぶしいなか、社中央公園の金屋谷池の遊歩道を歩くと、青い空に向かって飛び出していくような感じに包まれます。 雨上がりで、庭の木々の緑も朝日に映えていました。葉や花には水滴がつき、光っています。ブドウの小さな粒…
『滝野つたえぐさ』(滝野町老連編、平成5年刊)の第5章「思い出」の中に「四大節(祝日)」と題した思い出が掲載されています。 四大節とは、四方拝(1月1日)、紀元節(2月11日)、天長節(4月29日)、明治節(11月3日)をいい、その他の大祭…
『滝野つたえぐさ』(滝野町老連編、平成5年刊)に、河高地区の小字名についての一文が掲載されていました。河高地区は加古川の西岸にある歴史の古い地区ですが、小字が約90ほどあるそうです。投稿者の大久保さんは、子供の頃に古老から聞いた話と自分の…
『滝野つたえぐさ』(滝野町老連編、平成5年刊)に加東四国八十八ヶ所霊場巡りの思い出が掲載されています。 加東四国八十八ヶ所霊場とは、四国八十八か所霊場を加東郡内(旧の加東郡で現在の加東市と小野市域)に写したもので、大正7(1918)年につく…
『滝野つたえぐさ』(滝野老連編、平成5年刊)の348頁に「渡し舟」の題で、加古川沿いの新町の方が思い出を寄せています。 滝見橋ができる前は、新町と対岸の上滝野を結ぶ渡し舟があり、その操船の仕方や運賃、舟守の呼び方などがいきいきと書かれていま…
今日も『滝野つたえぐさ』(滝野町老連編、平成5年刊)から心に残った文を紹介します。大正時代の後半に少年期を過ごされた方の思い出で「家庭の絆」(第5章思い出、242頁)と題された一文です。 私の父も明治43年生まれで、同じ年代に少年期を過ごし…
昨日に続いて、『滝野つたえぐさ』(平成5年刊、滝野町老人クラブ連合会編)の中から紹介します。 頁をめくっていると、佐保神社(加東市社)の境内の日露戦役記念碑の前で撮影した記念写真が目に止まりました。昭和18年(1943)に神戸市の小泉製麻株…
滝野老人クラブ連合会編の『滝野つたえぐさ』(平成5年刊、380頁)は、滝野東小学校に勤務した平成17年度、3年生から6年生までの総合学習を担当したときに教材研究でずいぶん参考にさせてもらった冊子です。 8章から構成され、「神事・神社」「仏事…
自宅の書棚の奥に小冊子がありました。「加古川流域につたわる俗信」という表題で、たきの婦人学級の編によるものです。47頁にわたって、天然・自然、生活、冠婚葬祭、民間療法、農作業、動物・植物の各分野に分類された言い伝えが収録されています。 発行…
加東市下久米、嬉野台地の東部にある兵庫教育大学。昭和53年(1978)10月に開学し、国立の教員養成大学として大学院と学部をそなえ、これまで多くの現職教員や教師をめざす学生が全国から集まり、巣立っていきました。教員採用率では常に全国のトッ…
今から93年前の大正14年(1925)、兵庫県加東郡社町社(現加東市社)の区長から大阪逓信局長に対して「支障電柱移転願」が出されています。これは、葉煙草収納所の倉庫増築に伴い、支障となる電柱の移転を願い出たものです。 専売局の葉煙草収納所は…
今年2月8日投稿のブログで、「明治の教育者・寺本武の頌徳碑-社の百旗の地に」を紹介しましたが、朝、ウォーキングをしていて、その碑がきれいになっているのに気づきました。(写真は2月に撮したものと11日撮影のもの) 紹介した時には、通行量の多い…
11日(金)の朝6時半過ぎ、加東市社の社中央公園の金屋谷池の堤に上ってみると、池面から湯気が立ち上っていました。その光景はまるで春先のよく冷えた朝のようでした。こうした日には嬉野台地に霧がかかり、晴天になるという経験則がありますが、その通…
10日(木)の朝、いつものコースを歩きました。朝は鳥たちの時間でもあります。今朝も明治館(元加東郡公会堂)に附属している佐保庵の建物の屋根に小枝をくわえたアオサギがとまっていました。忙しく枝をくわえては巣へともどっていきます。 佐保神社の境…
5月4日(金)、「みどりの日」の朝は、空気が澄んで、朝日をうけて、遠くの山々までくっきりと見えました。 ウォーキングの立ち寄る明治館(元加東郡公会堂)の西側の木の上にアオサギが巣をつくっていますが、その一番高い木の天辺に一羽が朝日を浴びなが…
5月1日は、全国で一番早く鮎漁が解禁されることで知られる加東市滝野の加古川の闘龍灘。そして、3日には新1年生が稚鮎を川の放流する恒例の鮎まつりも行われました。 かつて、闘龍灘では、「筧漁」と呼ばれる伝統の鮎漁が行われていました。筧(樋)で滝…
加東市下滝野の五峰山光明寺の山腹の駐車場入口に一基の道標が立っています。この駐車場から山上の光明寺まで急坂の参道を歩いて上ります。(写真は道標と参道の入口) さて、道標には「左 たき清水 右 舟者高砂」と刻まれています。側面には「嘉永三歳 庚戌…
5日(土)、こどもの日に行われた朝光寺の鬼踊り。昨日に続いて、境内の景色をもう少し紹介します。 市指定の多宝塔の内部が公開されていました。2体の仏像が安置されており、正面からも横からも拝観できました。 その多宝塔の脇を山の中に下っていくと、…
5月5日(土)は「こどもの日」。子供の健やかな成長、五穀豊穣を祈ってこの日の恒例となっている伝統行事の鬼踊り法会が加東市畑の国宝朝光寺で行われました。 朝光寺には国宝の本堂、国の重要文化財の鐘楼、そして加東市の指定文化財の多宝塔が境内に隣り…
加東市下滝野の五峰山光明寺の参道は山腹の駐車場から急な坂を歩いて上って行きます。その参道に入ったすぐの脇に句碑が建てられています。 昨年の夏にこのブログでも紹介した五峰山の光明寺参道の句碑、「五峰の細道」の一番です。 「雨風に晒らし男の顔と…
3日(木)は、加東市の五峰山光明寺で花まつり法要が行われました。昨夜の雨も上がり、山上はまぶしいばかりの新緑と爽やかな風が吹き渡り、8時過ぎには花はじめの法要に参られた方や軽装でハイキングを楽しむ人などが訪れました。 五峰山には四ヶ寺の塔頭…
4月29日(日)、「昭和の日」を奉祝する祭りが行われた加東市秋津の住吉神社では、恒例の秋津百石踊りが奉納され、そのようすはこのブログで紹介(4月30日付)しました。その祭りの一つとして、踊りの前に湯立て神事が行われました。 祠の前に3基の釜…
4月29日の昭和の日、朝まだ薄暗い午前5時少し前、玄関に出てみると、西の空低く、住宅の上に今まさに沈まんとする満月が赤く光っていました。すぐにカメラを取りに戻ってシャッターを押しました。神秘的な赤い色にしばし見とれました。 その日の夕方午後…
朝、ウォーキングで歩くコースに加東市社の市街地の南端に明治館(元加東郡公会堂)があり、その広場の忠魂碑に参拝します。30日(月)の朝、明治館の辺りで、車が坂を下っていくのに気づき、よく見ると、長い間工事のために通行止めになっていた道路が開…