2018-06-01から1ヶ月間の記事一覧
『滝野つたえぐさ』(滝野町老連編、平成5年刊)には、今ではなくなってしまった貴重な昔の話が掲載されています。自分自身の小さい頃の思い出と重なるところがあったりして懐かしく読むことがあります。 「お彼岸の行事について」という題で、河高地区の大…
写真は、この夏休みに企画されている「かとうの歴史発見!~ふるさとの歴史博士になろう~」を紹介します。 この企画は、加東市の「まちの拠点づくりコンソーシアム」が進めているもので、7月21日(土)から8月5日(日)までの期間に、加東市内の歴史を…
うっとうしい梅雨空の下、庭の木々は緑色を増しています。そこへトンボが2匹飛んできました。ホバリングしながら、すっと竹の先に止まり、羽をおろして休んでいるようでした。 子供の頃、同じ庭に大きなオニヤンマが飛んできたことや、イトトンボが飛ぶのを…
26日(火)、加東市窪田地区の竹藪の中に道標があるので見に来ないか、という連絡をいただき、県庁からの帰りにわくわくしながら向かいました。 千鳥川に架かる平安橋から左岸の堤防を数十メートル下流に歩き、堤防下の田圃へ下りる細い道を歩いていくと、…
25日(月)は梅雨が明けたかと思うような晴れの暑い一日でした。6時30分頃、加東市の中心部に横たわる嬉野台地を西に向かって県道を走っていると、西の空にまだ高い夕日が雲間に見えました。 この位置は加古川の河岸段丘の一番高いところで、標高は10…
梅雨の晴れ間の一日。近くの学校道の家の庭にあじさいの花が咲いています。何という名前なのかわかりませんが、晴れた朝は、白い花がまぶしく光っています。朝の登校見守りで通学班が通過する合間の楽しみの一つがこの花を見ることです。 もう一つ。わが家の…
ここ何回か、加東市上滝野の闘龍灘を訪れる機会がありました。梅雨の雨で水量は増えて、ドドーと大きな音をたてて落ちる滝の音と対岸、下流まで続く奇岩の風景が広がっています。 鮎の筧漁で使われる魚道のたもとで一人の男性が岩に腰をかけ、激流となって流…
22日(金)は梅雨の晴れ間で、気温も上がりました。加東市社の市役所の隣のみのりJAで開かれた会議に出席したおり、5階と6階の階段踊り場からの眺望が開けていました。嬉野台地の西端に位置するJAビル5階の標高はおよそ100メートル。北東の方向…
6月梅雨の晴れ間となった21日の朝、登校見守りに立つときにクルミの実を見上げると、見た目にも大きくなっているのがわかるほど成長していました。 裏庭の柿の木も去年はさっぱり生りませんでしたが、今年は生り年のようです。稔りの秋が楽しみな梅雨の晴…
20日(水)の朝、事務所に行くと、先日咲いたサボテンにまた一つ花が咲いていました。花に雨粒がついて重くなったのか、花は垂れていましたが、6月の梅雨の朝に咲いた薄いピンクの花と雨粒に瑞々しさを感じました。
大阪北部地震で小学生が倒壊したブロック塀の下敷きになって亡くなってしまいました。最初は上空のヘリからの映像で、なぜあんな所にブロック塀があるのか分からなかったのですが、あとでプール側のものだとわかり愕然としました。鉄筋や支え塀のないブロッ…
昨日に続いて、爽やかな空気に包まれた6月17日(日)の朝の景色を紹介します。嬉野台地の西端、社市街地の東にある百旗(立)(ひゃくはた、ひゃくはったい)は、源平合戦の三草合戦に由来する古い地名ですが、この百旗墓地を通して西北を望むと、播磨高…
17日(日)の朝、朝のウォーキングで社中央公園周辺を歩きました。大陸の高気圧に覆われ、空気も澄んで朝の光と緑がまぶしく光っていました。 この公園はため池の金屋谷池と周囲の田圃だった一帯を公園化したもので、池の堤を活かして傾斜のある公園となっ…
16日(土)は、梅雨とは思えないような爽やかな空気と青空が広がる天気でした。朝から社小PTAのリサイクル運動で廃品を運んだあと、田圃の水を入れに行きました。 田圃の畦に立って西南を望むと、広々とした平地の中に田中地区の集落があり、その中にお…
兵庫県立社高校の文化祭を参観しました。美術部では、写真かと見間違う写実的な絵が目に止まりました。傘入れに並んだ雨傘を描いたもの、街の酒屋さんの看板とビール箱などです。酒の看板のある酒屋さんはよく知っている酒屋さんだとすぐ気づきました。3年…
『滝野つたえぐさ』(滝野町老連編、平成5年刊)に、「聖神池伝承」という題で、滝野町多井田(現加東市多井田)にある聖神池(ひじりがみ、ひじがみいけ)の築造と赤穂義士の一人、吉田忠左衛門との関係が語られていました。 吉田忠左衛門は、赤穂藩の領地…
加東四国八十八ヶ所霊場は大正時代に再興されてから100年が経ちます。この歴史ブログでも加東市内にある霊場を紹介してきましたし、市内の旧道に立つ巡礼の道標も合わせて紹介してきました。市の観光協会・観光ボランティアの皆さんが霊場巡りの催しも開…
12日は、早朝の雷鳴と激しい雨で目が覚めました。ウォーキングの時間帯は雨が上がっていたのですが、子供達が登校する頃にはまた降りはじめました。 見守りを終えて、ふと庭のくるみの木を見上げると、実がだいぶ大きくなっていました。りんごですか、と聞…
事務所の前に置いているサボテンに花が咲きました。雨が降った11日(月)の夜、神戸から帰って事務所に寄ると、なんとサボテンの淡いピンク色の花が咲いているではありませんか。しかも3つ同時に。花の芽が大きく伸びて、その先が膨らんでいたのですが、…
『滝野つたえぐさ』(滝野町老練編、平成5年刊)に「戦前戦中の兵庫県女子青年団歌」と題した一文が載せられています。 その歌詞は次の通りです。(「つたえぐさ」への投稿者は、伝え聞きと註記しておられます) 一、丹波津の国淡路島 播磨の国やはた但馬 …
9日の朝、わが家の田圃を見に行きました。昨日のうちに隣の専業農家の先輩が植えてくれたのですが、田植えがすんだ田圃を見てほっとしました。今年もこうして田植えがきました。品種はキヌムスメ。秋祭りの頃に稲刈りをします。それまでの間、水の管理と肥…
8日朝早く、家からすぐの事務所へ歩いていると、側溝の中に一輪の花が咲いているのに気づきました。細い体のダンサーが手を広げて踊っているようにも見えました。その紫色の小さな花がこちらを向いている顔のようでした。それにしても側溝のコンクリートの…
梅雨入りが発表され、水が張られた田圃に稲の苗が植えられていきます。代かきが終わって田植えを待つ田圃はまるで小さな池が出現したように見えます。 雨が降らなければ稲は育ちません。昔からこの地方では川に堰をつくり、水路をつくって水を引き、あるいは…
梅雨入りし、田植えの真っ最中ですが、『滝野つたえぐさ』(滝野町老連編、平成5年刊)に「50年前の田植え」と題した一文が寄せられています。今からだと75年前、すなわち大東亜戦争末期の頃の田植えのようすが書かれています。 夜の明けない間に苗代で…
4日(月)の朝、社中央公園から市街地を歩きました。梅雨入り間近の爽やかな6月の朝でした。公園の緑、金屋谷池の越水から流れ落ちる水、街角のあじさい。朝の光を浴びていきいきとしていました。
『滝野つたえぐさ』(滝野町老連編、平成5年刊)に、小学校1年生の担任をしていただいた先生が文を寄せておられました。 滝野町の北野と下滝野の間に架かっていた「大正橋」の思い出です。大正橋は加古川に架けられた全長97メートルのつり橋で、私もかす…
すっかり緑が濃くなった佐保神社の大ケヤキ。その樹上でアオサギが朝日を浴びながら毛づくろいをしているようでした。鳴き声をする方を見てみると、茂った葉の隙間に巣が見えました。下から見上げているのでアオサギのおしりが見えました。子供の世話なのか…
大正14年社町社区の「雑書綴」に、11月10日の評議員会の協議事項を記した文書が綴じられています。西暦1925年ですから、今から93年前のことです。 社町社区は、現在の加東市社にあたりますが、防火用水や墓地、太鼓倉などは現在も社地区が関わる…
『滝野つたえぐさ』(滝野町老連編、平成5年刊)に、大正14年(1925)の青野が原の思い出が寄せられていました。 青野が原は、加古川中流域の右岸、加東市、小野市、加西市にまたがっている広大な台地で、自衛隊青野原駐屯地があります。戦前は陸軍の…
『滝野つたえぐさ』(滝野町老連編、平成5年刊)に「電灯がついた頃」と題した一文が掲載されています。滝野町曽我の竹内さんは、村に電灯がともったのは大正9年の春だったと、その記憶をたどっておられます。今から98年前のことです。 電灯がつく前は、…