ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

2018-09-01から1ヶ月間の記事一覧

和太鼓やマーチングなど元気に運動会

29日(土)、台風の影響なのか、朝から雨が降りました。加東市内のこども園や保育園では秋の運動会が予定されていましたが、延期になったり体育館に会場変更して行われました。 滝野総合運動公園の体育館スカイピアで行われた河高こども園のオープニングで…

日が暮れて、浮かぶお堂の屋根と携帯の鉄塔

27日(木)の夕暮れ、すでに日は暮れて、見に行った田圃もよく見えませんでした。西の地平線の上あたりがまだ光が残っていました。 日が暮れて、影絵のように浮かんでいるのはお堂の三角の屋根と携帯電話の基地局の鉄塔でした。車を止めてしばらく眺めてい…

「ふるさと加東の歴史再発見シリーズⅤ-加東の人物」発刊(県政資料)150年記念

県政資料シリーズの第Ⅴ集ができました。これまで、東条川疏水、終戦70年慰霊・忠魂碑、加東の道標・道路元標、加東四国八十八ヶ所霊場などをテーマに「ふるさと加東の歴史再発見」と、「議会改革の歩み」などの県政課題についてⅠ~Ⅳ集まで発刊してきました…

社のランドマークの化粧直し-関電タワー

26日(水)の朝、家の近くの通学路で登校見守りに立ちました。運動会明けの爽やかな秋の朝、子供達は元気に登校していきました。 見上げると、関西電力社営業所のビルの上に立っているタワー、遠くからも見えるこのタワーを私は社のランドマークと呼んでい…

とどろき荘の句碑-梅人

東条とどろき荘の中庭に句碑が建てられています。山田錦の里探訪ウォークの出発式が始まるまでの間、中庭に出て刻まれた句や裏面の碑文を読んでみました。 梅雨晴れて 温泉乃香懐し とゞろき荘 梅人 作者の梅人(梅花堂梅人・大西秀男)は、明治35年(19…

山田錦の里探訪ウォーク

24日(月)、山田錦の里探訪ウォークが開催されました。出発地点は東条とどろき荘。めざすゴールは乾杯まつり会場の社中央公園のステラパークで約11キロの道のりです。市内外から200名余りの参加者がありましたが、市外から6割、遠くは大阪からの参…

今年もきれいに咲きました-鴨川の彼岸花

23日(日)の秋分の日。加東市平木の鴨川小学校の運動会に出たあと、鴨川沿いに車を走らせていると、上鴨川住吉神社の手前、川の堤にまっ赤に咲いた彼岸花が目に飛び込んできました。 去年もこの美しい景色を見たような気がして、車を止めてシャッターを押…

50年前-社上組屋台が行く

今から50年前の昭和43年(1968)、佐保神社(現加東市社)の秋祭りでわが家の前の道を行く社上組(かみぐみ)の太鼓屋台の写真です。 秋晴れの下、稲穂が色づき頭を垂れる実りの中を上組屋台がドンデンドンの太鼓を響かせながら優雅にその壮麗な姿を…

昭和43年の社中学校運動会-広かった

この写真は、今から50年前の昭和43年(1968)の社町立社中学校の運動会の写真です。少しピントがぼやけていますが、運動場の広さがよく分かります。走っているのはおそらく私です。組み立て体操もありました。いつも土台でしたが、最後に一斉に崩れ…

旧社中学校の木造校舎と運動場-とにかく広かった

この写真は、昭和40年代末頃の社町立社中学校の校舎、野球場、運動場の風景で、帰省した時に撮したものだと思います。 当時の社中学校は、嬉野台地に広大な校地をもっていました。現在の兵庫教育大学附属小学校、幼稚園、給食センター、職員宿舎になってい…

稚児行列-昭和30年代後半頃?の社商店街で

この写真は、私が小さい頃、おそらく昭和30年代後半の頃のものではないか、と思いますが、社の町中での稚児行列風景です。 カッターシャツ姿で、手に愛用のカメラを持った父が写っています。場所はよく分かりませんが、社の商店街だろうと思います。持寶院…

昭和40年頃の闘龍灘-阿江与助像がない

今日紹介する写真は、加東市上滝野の闘龍灘の滝からの闘龍スクエアを見上げたものです。おそらく昭和40年前後のものだと思います。写真の右の岩の上に小さく写っているのが私と弟でしょう。 滝を見下ろす展望場には水神社と阿江与助像の台座が写っているの…

社おにわ亭-上月米屋旧店舗を会場に

15日(土)、加東市社の商店街のほぼ中心に位置する加東市商工会館の北隣にある上月米屋さんの旧店舗で「社おにわ亭inこうづき+広場」が開かれました。 この企画は、社商店連合会が社の街のにぎわいを取り戻そうと、空き家や開き店舗を活用してイベント…

懐かしい社小の木造校舎と運動会-昭和40年頃

昨日に続いて、昭和40年頃の社町立社小学校の運動会の写真を紹介します。 この写真は運動場の東側、柳の木のあった辺りから西に向かって撮った写真です。木造の本館校舎が写っています。左側の校舎は理科教室棟です。立派な特別教室でした。その間に黒々と…

昭和40年頃の社小運動会光景

もうすぐ中学校や小学校の運動会が行われます。時には練習の声が風に乗って聞こえてきます。 今から50年余り前の昭和40年頃の社町立社小学校の運動会の写真には、全校ダンスやフォークダンスでしょうか、演技が写っています。先生や男子生徒は上下白の体…

赤穂義士の墓碑-家原観音寺の絵はがき

今日も社町時代の絵はがきを紹介します。この一枚は、加東市家原の観音寺の一角にある赤穂義士の菩提所の墓碑の写真で、中央に浅野内匠頭長矩と赤穂藩主四代の碑、その前に大石良雄、主税父子の碑、これを仰ぐように回りをぐるりと四十七義士の石碑が囲んで…

佐保神社秋祭-社町時代の絵はがき

11日(火)の夜、加東市社の佐保神社秋祭に向けて、上組太鼓屋台保存会の会合が開かれました。社地区には上組、下組の2台の太鼓屋台があり、それぞれの組に属する地区が大切に守っています。秋祭には、社の2台と、新町、上中の屋台も出て、伊勢音頭にあ…

鴨川ダム-昭和56年の景色②

昨日に続いて、東条川疏水-昭和56年の景色を紹介します。東条川疏水の起点は鴨川ダムです。昭和26年(1951)に東条川の支流である鴨川に完成した、戦後国営ダム第1号のコンクリートダムです。東条ダムと親しまれ、ダムによってできた湖は東条湖と…

東条川疏水ー昭和56年の景色①

資料整理をしていると、兵庫教育大学附属小学校に勤務していた昭和56年(1981)、4年生の社会科授業で「東条ダム嬉野台地の開発」という授業づくりで教材研究のために鴨川ダムと水路網を実地調査していた時の写真が出てきました。 スズキの50ccに…

大正14年の佐保神社秋祭り案内

もうすぐ秋祭りのシーズンが始まりますが、加東市内の各神社、地区では10月の第一土日に集中して行われるようです。 佐保神社(加東市社)の秋祭も10月6日宵宮、7日本宮の予定で行われます。 今から88年前の大正8年(1925)、佐保神社秋祭の案…

東条川疏水三景

「東条川疏水」は、兵庫県の北播磨の農業地帯を潤す鴨川ダム、昭和池などを起点とし、ため池と田圃を結ぶ壮大な水路網です。平成18年には「全国疏水百選」に選ばれ、平成27年には、11月23日が「東条川疏水の日」に定められました。水路網と流域の豊…

庭のクルミの実が割れ始めました

台風21号でクルミの実が落ちてしまうのではと心配しましたが、1個落ちているのを見つけただけで、木を見上げると、割れ始めた実がいくつか見えました。 小さな青いリンゴのような実の底の部分が星印のように割れて、やがて、皮の部分が大きく割れて、中の…

ゆら野に立って夕焼けを見た

5日(水)の午後6時を過ぎた頃、加東市社のイオン社店の近くにある田圃を見に行ったのですが、西の空に夕日が落ち始めていました。雲の向こうから光が射して雲の縁が黄金色に輝いて、美しい光景でした。 イオンの屋上駐車場から見てみようと思い、青野原の…

台風一過の雲間から青空が

4日(水)の昼間、台風21号が兵庫県を通過しました。午後2時30分過ぎだったか、しばらく風が止んだ時があり、台風の目の中に入ったかと思うと、すぐにまた吹き始めました。 夕方、6時頃には空が明るくなり、用事で外へ出ると、西の空、五峰山の上に青…

昭和5年-忠魂碑前で招魂祭

加東市社の市街地南端にある元加東郡公会堂だった明治館の広場に旧社町(現加東市立社小学校区域)の忠魂碑があります。 今から88年前の昭和5年(1930)の秋、この忠魂碑前で英霊の御霊を慰めるための招魂祭が執り行われています。春と秋の皇霊祭の日…

大型紙芝居で郷土の民話を伝える-ふるさと民話会

2日(日)、加東市やしろ国際学習塾で行われた「上福田地区ふれあい敬老会」の余興の一つに「ふるさとみんわ会」の大型紙芝居が演じられました。 かとうケーブルテレビでも放映されていますが、やはり生で観る紙芝居は別物です。その語りと絵に引き込まれて…

もうすぐ運動会-昭和30年代後半の社小学校運動会

9月になりました。2学期が始まり、運動会の練習も始まります。私が小学生の頃は10月はじめにおこなわれていましたが、今は1学期に行う学校もあり、また、9月のまだ暑さが残る頃に行われています。 さて、この写真は昭和30年代の後半の社町立社小学校…

昭和20年-用箋に記入された勤労作業の氏名

昨日は、昭和20年終戦直前の勤労奉仕作業等の割当についての文書を紹介しましたが、社区の「参考綴」の末尾には、出役に出た人の名前や人数が記入された文書が綴じられています。 社町社区事務所の用箋に「うずら野渋谷隊への出役表」と標題があり、社区の…