ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

2021-02-01から1ヶ月間の記事一覧

古民家マルシェ-社のおにわ亭(6回目)

27日(土)、加東市社の商店街で古民家マルシェ「社のおにわ亭」が開催されました。今回で6回目を数えるこの「おにわ亭」ですが、「おにわ亭」の会場となってきた上月邸が4月からコワーキング&レンタルスペースとして活用され、社の商店街の活性化の新…

佐保神社の大けやきと河津桜

23日(火)の朝、佐保神社(加東市社)の大けやきを見に行きましたが、その時、県道に面した参道下の小さな公園の河津桜が開花しているのに気づきました。ピンク色の花が咲き始めていました。まだ、若く小さな木で、大けやきと対照的ですが、やがてこの木…

夕暮れの景色を眺めるハクセキレイ

21日(日)の夕暮れ、孫と近所の住宅建築現場の辺りを散歩していると、地面を動き回っていたハクセキレイが私達が近づくのに気づき、3階建ての家の屋根の縁に飛び上がりました。ちょうど、夕日が西に傾き、その景色を眺めているようでした。 この現場は、…

ヒヨドリの背中

天気のよい日の朝、何気なく庭を見ていると、柿の木の枝にヒヨドリが止まり、日を浴びていました。背中を見せながら、時折りくるっと首を回して辺りを見回します。カメラでズームして見ていると、その表情まで見えてくるようです。この日のヒヨドリの背中と…

佐保神社-枝が伐られた大ケヤキにアオサギ一羽

23日(火)の朝、まだ7時前の頃、加東市社の市街を自転車で走っていると、街の屋根の向こうに佐保神社参道の大ケヤキの枝が伐られているのが目に入りました。 路地を抜け、門前からケヤキの方を見ると、アオサギの巣がかかっていた高いところの枝が伐られ…

ヒヨドリー柿の木のスキマから

21日(日)の夕方、5時前に庭の柿の木あたりに動くものが目に入りました。よく見ると、ヒヨドリでした。西に傾いた春の日を受けて、いつもより低い位置の幹や太い枝のスキマから覗いているように見えました。撮れたのはこの一枚だけでした。 コロナ禍でス…

庭の梅の木にメジロが

21日(日)は春の陽気に包まれ、ステイホームで静かに過ごしました。 時折り、庭に出て気分転換をしましたが、家の中にいて、ふと視界の中に動くものがあるのに気がつきます。小さな鳥が梅の木にきています。カメラを持って窓のところまで行き、動きを追い…

春の日が沈む-青野原台地の向こうに

20日(土)の夕方、午後5時40分過ぎ、加東市社の持寶院に立ち寄り、大師殿の西に広がるゆら野とその向こうの青野原台地の地平線に沈む夕日を眺めました。 もう半分以上沈んでいましたが、地平線にこぶのようにつき出ている加西市の善坊山から少し北の低…

柿の木の枝の一部のように-ヒヨドリ

寒波が再びやってきた先日、ヒヨドリがまた庭の柿の木の枝にやってきました。しかし、どこだか見つけられません。妻が指をさして教えてくれるのですが、遠くからでは、わかりません。動きがあって気がつきました。それは、まるで枝にできた木の瘤のように丸…

寒気再来の中で-佐保神社の大ケヤキのアオサギの巣

18日(木)の朝もよく冷えました。真冬並みの寒気に包まれて、中国山地の南側の内陸にあたるこの地域は青空が広がりました。 加東市社の佐保神社前の交差点(「社」)のガソリンスタンドから神社の大ケヤキがよく見えます。季節を通じてその景色をブログで…

郷土史クラブ-兵教大附属中の友嬉祭展示で

この写真は、昭和57年4月に第1期生を迎えた兵庫教育大学附属中学校(加東市山国・当時は加東郡社町山国)で初めて開催された文化祭「友嬉祭」の文化クラブの展示の記念写真です。 社会科を担当していたので、郷土史クラブをつくり、生徒と地域に残る遺跡…

寒気再び-皿池の桜と三日月

16日(火)の夕方6時頃、加東市社の皿池の駐車場で南の空に光る三日月が見えました。駐車場には桜の古木が何本も植わっており、春には見事な花を咲かせてくれます。ここ数日は春のような陽気でしたが、再び寒気が下りてくるとの予報通り、冬の空のように…

昭和57年ー兵庫教育大附属中の第1回体育祭

昭和57年(1982)、加東市の嬉野台地に開校した兵庫教育大学附属中学校(当時の名称は学校教育学部附属中学校、加東郡社町山国)の第1回体育祭が行われました。生徒数は1学年のみの75名だったと思います。25名の3クラス。 国旗掲揚柱はこの日に…

庭の春-梅の蕾と花

14日(日)も春のような暖かい一日でした。福島・宮城県では震度6弱の地震が起き、各地で被害が出ています。3.11東日本大地震の余震だということですが、10年は地球時間では瞬きより短いとのこと、あの大地震で動いたプレートの周辺にはまだ動いて…

庭の春ーコロナ禍の癒しの一時

13日(土)は、春のような暖かい一日でした。庭の梅の木にメジロがやってきたのですが、カメラが間に合わず収めることができませんでした。 地面にはラッパスイセンが芽を出し伸びてきました。白い花のスイセン(日本水仙)は今年はよく咲き、今も楽しませ…

40年前の東条川疎水3景ーダム、水路橋、隧道入口

昭7和56年(1981)、40年前の東条川疎水の写真です。鴨川ダム、幹線水路隧道入口、水路橋です。まさに疎水の起点、大動脈にあたる幹線水路の出発点です。 当時、社会科の教材づくりで鴨川ダムを訪れ、ダム下の隧道、谷を渡る水路橋に圧倒されながら…

東条川疎水の起点ー鴨川ダムを見上げる

この写真は昭和56年(1981)に撮ったものです。鴨川ダムと幹線水路を追って社会科の教材づくりに熱中していた当時、スズキの50ccバイクでダムサイトのすぐ近くまで行って撮りました。東条川に注ぐ鴨川を堰き止めて造られた鴨川ダムの威容は圧倒的…

台地を潤す東条川疎水の豊かな水-40年前も今も

この2枚の写真は、今から約40年前に撮ったもので、嬉野台地の東端に近い、依藤野の県道脇の水路、分水施設です。5月の水になると、この一見井戸のような丸いコンクリート製の穴から水が噴き出し、2本の水路に分かれて台地を走り、田植えを待つ田圃へと…

東条川疎水ー昭和56年銀色に光る曽根サイフォン管

東条川疎水は鴨川ダムや昭和池を起点として、幹線水路が延び、山や谷を渡り、あるいは台地へポンプアップされながら、さらにため池を経由して、水路網で加東市、小野市、三木市の広大な農地を潤す水が送られています。また、今では水道水にも利用されていま…

いつもの指定席で夕日を浴びるヒヨドリ

寒い日もありますが、庭に差し込む日の明るさが日に日に増してくるのを実感しています。日が西に傾く頃、また、一羽のヒヨドリが柿の木にやってきました。まるで指定席のように同じ枝に止まります。しばらくの間、その枝に止まってあちこち見回したり、体の…

昭和池から嬉野台地へーサイフォンで千鳥川の谷を渡る

昭和56年(1981)に昭和池から嬉野台地へと水が送られていた水路について、社会科の教材づくりのために調査しました。 その調査で、昭和池のある台地から嬉野台地の間にある千鳥川(久米川)の流れる藤田地区の大きな谷を(逆)サイフォンで水を送って…

昭和池の水が台地を潤す-水の路を追って

昭和56年(1981)、私は兵庫教育大学附属小学校に勤務していました。4年の社会科の授業づくりのために東条ダム(鴨川ダム)や昭和池と嬉野台地や稲尾の台地を結ぶ水路を辿って、実地調査に駆け回っていました。当時はスズキの50ccバイクに乗り、…

東条川疎水の景色ー水路橋で谷を渡り

この写真は約40年前に鴨川ダムから延びる幹線水路が谷を渡る水路橋を撮ったものです。第一号幹線水路はダムから旅をはじめ、すぐに隧道(トンネル)に入ります。そして、黒谷の谷をこの水路橋で渡るのです。ダム湖畔に通じる県道からも見えます。 当時は、…

今日も庭にヒヨドリが-夕日を受けて

4日(木)、午前中は曇って雪も舞うような天気でしたが、午後はよく晴れ、冷たい風が吹きました。夕方、庭の柿の木の枝にいつものように一羽のヒヨドリがやってきました。 カメラをズームして見ると、風で羽毛が逆立っています。その目に西に傾いた日が点と…

昭和50年代半ばの大川瀬取水堰ー東条ダムの水を追って

昭和50年代半ば、鴨川ダム(東条ダム・兵庫県加東市)への水の路を探り、鴨川導水路の取り入れ口、大川瀬取水堰(兵庫県三田市)を訪れた時の写真を紹介します。 白黒の写真は昭和56年(1981)に兵庫教育大学附属小の教員だった時に教材研究で現地調…

昭和56年-ダムの語りべ藤原栄さん

この写真は、昭和56年(1981)に兵庫教育大学附属小学校の教員だった時に東条ダムの湖畔の食堂を訪れ、ダム建設の由来を経営者の藤原栄さんから聞いた時のものです。もう40年前のことです。藤原栄さんはダムの湖底に沈んだ土井部落の方で、立ち退き…

昭和50年代半ばの東条湖と鴨川ダム

この写真は、昭和50年代半ばの頃の東条湖と鴨川ダムの写真です。ちょうどその頃、兵庫教育大学の附属小学校、中学校に勤務しており、生徒と一緒に学校のある嬉野台地の田圃を潤している水の旅を探究する学習を行っていました。 その頃の写真です。ついこの…

今日もヒヨドリが柿の木の枝に

1月が終わる31日(日)も庭の柿の木にヒヨドリがやってきました。昼過ぎにやってきた一羽のヒヨドリは30分以上同じ枝に止まっていました。こんなに長い時間、止まっているのを見たのは初めてでした。体をまん丸くし、辺りを見回しながらじいっと止まっ…