2021-08-01から1ヶ月間の記事一覧
30日(月)、午後4時頃、加東市の中央に広がる嬉野台地を車で西に走っていると、北の方角にもくもくと湧き上がる雲が見えました。 車を止めてしばらく眺めました。あの雲の下はおそらく激しい雨が降っているのだろう、などと想像しながら。あとで知ったの…
今日も昨日に続いて、尋常小学校生徒用修身書巻四から、第十三課「養生」を紹介します。この課では、肥前唐津城主であった寺澤廣高を取り上げ、藩主自らが、その行動で示した「養生」の大切さを教えています。 第十三課 養生寺澤廣高は、肥前の國唐津の城主…
修身教科書では、まず「孝行」が一番最初に出てきます。孝行は、道徳の基本であるとされています。次に「兄弟」、そして「朋友」と続きます。身近な人間関係について大切なことを学んでいくようになっています。 今日は尋常小学校三年生が使っていた巻四から…
26日の夕方、日が西に沈んだ午後6時40分過ぎ、外に出てみると、空の雲が夕日の光を受けて茜色に染まっていました。真上の雲も、東の雲も、そして、西の空にたなびく雲も。 隣の駐車場から西の方角に見える関電タワーが空にたなびく茜雲を背にひとり立っ…
昨日に続いて、明治26年発行の修身教科書(巻五)より、細川藤孝のエピソードを紹介します。 細川藤孝(のち幽斎)は、NHK大河ドラマの明智光秀で、光秀と足利将軍との間にあって光秀の頼れる存在だったように描かれていました。光秀の娘は藤孝の子忠興…
今日は明治時代の尋常小学校生徒用の修身書から剣豪塚原卜伝のエピソードを紹介します。塚原卜伝といえば、小さい頃、修行中の若い宮本武蔵がすきを狙って切り込んだところ、鍋の蓋で受け止めた話が思い浮かんできます。剣豪とはすごいものだと思ったもので…
昨日紹介した修身書は、尋常小学校用ではなく、高等小学校用でした。正しくは『實験 日本修新書 巻六 高等小学生徒』(渡邊政吉著、金港堂書籍株式会社、明治26年10月13日発行)で、8銭4厘となっています。 今日は、その第二十課「兵役の義務」を紹…
今日も明治26年発行の修身教科書の記述を紹介します。旧家のご先祖が八城(※社)尋常小学校で使っていたものです。「巻六」ともなると、明朝体の活字になっています。その第一課は「孝行」です。すべての道徳の基本は「孝行」であると言われる通り、「孝行…
昨日の続きで、今日は第二十課「勤勉」を紹介します。昔京都に、圓山應擧(※円山応挙:まるやまおうきょ)といへる畫工(がこう・えかき)あり、「生き物の姿を写すは、手ぢかの物より始むるにしかず、」とて、一年余りの間、日日祇園の社にゆきて、雞(にわ…
今日は、明治26年発行の尋常小学生徒用修身教科書「日本修身書巻三」から、第十四課「縝密」を紹介します。野田文蔵(※のだぶんぞう)は、算術の達人なり。或るとき大岡忠相(※おおおかただすけ)、まねきよせて、百を二つにわれといひけるに、かろがろし…
近隣の旧家のご先祖が使った古い教科書を見せていただきました。このブログで、兵庫県の地誌の教科書の記述を紹介してきましたが、今日は、修身の教科書を紹介します。明治26年発行の『實験 日本修身書入門巻一 尋常小学生徒用』(金港堂書籍株式会社刊)…
昨日の続きを掲載します。中央ニ曠原アリ、嬉野ト云フ、南ハ東條川ノ北岸松澤村ヨリ、北ハ下久米村ニ至リ、東ハ天神町村ヨリ、西は社村ニ亘リ、東西二里、南北一十四丁余。社村ハ一小市場ニシテ、郡役所ノ在ル処ナリ、佐保神社アリ、郡中ノ大祠トス小野ハ郡…
①に続き、加東郡の記述の続きを掲載します。 五峰山、加古川(滝野川)の記述に続いて、三草山、御嶽(岳)山、三草川、東條川について記述されています。 「元暦ノ戦」とは源平合戦の三草合戦のことをさしています。「土井村」の名が出ています。鴨川が流れ…
お盆の間の晴れた15日の午後3時過ぎ、庭の木々で鳴くセミの声の中に「ミーンミンミンミンミン」というミンミンゼミの鳴き声が聞こえてきました。この声を聞くと、夏休みも後半という感覚があります。夏の終わりを告げるのはホイツク(ツクツクボウシ)の…
降り続く雨。セミたちも幹にしがみついてじっと待っています。すだれにも何匹ものアブラゼミが止まって雨をしのいでいます。 ふと、目に飛び込んできたのは、網戸に止まった2匹のアブラゼミが交尾中の姿でした。短い命の期間に子孫を残す努力をしているその…
15日(日)、降り続いていた雨も上がり、久しぶりに青空が広がりまぶしい夏の日差しが戻りました。 今日は76回目の終戦の日。加東市社の明治館(元加東郡中央公会堂)の広場にある忠魂碑に参りました。この忠魂碑は大正15年(1926)に建立されたも…
14日(土)午前、雨の中を加東市下滝野の知人を訪ね、その足で五峰山への坂道を桜ヶ丘墓地に向かって車を走らせました。 明日は76回目の終戦の日を迎えます。神戸新聞では昭和20年7月にあった米軍機による下滝野空襲についての調査記事を連載していま…
明治12年(1879)発行の『兵庫縣管内地誌略』を市内の旧家の方に見せてもらいました。このブログで紹介した『兵庫縣管内地誌』(明治25年刊)より13年も前の発行です。表紙裏には「八城小学校生徒」と書き込んであります。「八城」は「社」小学校…
昨日に続いて、教科書の記述の続きを紹介します。府縣、郡、市町村についての記述です。次頁には「縣下各郡位置略図」が挿入されています。当時の加東郡は、現在の加東市と小野市の市域です。郡役所は社村(現加東市社)に置かれていました。村には其人民を…
昨日のブログで明治25年発行の加東郡社高等小学校(1年)で使用された教科書「兵庫縣管内地誌」を紹介しましたが、今日はその内容を引き続き紹介します。 総論の第五は「縣治の組織」。そのはじめに市町村の別と交通について記述がありました。説明がシン…
市内の旧家に保管されていた古い教科書を見せていただきました。ご先祖が使用されたもので、明治時代半ばのものでした。 その中に高等小学校の教科書「兵庫県管内地誌」があり目を惹きました。「播磨國」の章では、位置及区別、地勢、気候、山岳、川流、道路…
8日(土)の夜、ちょうど東京五輪の閉会式が始まる午後8時から約15分間加東市社の中央公園上空に花火があがりました。 これは、加東ライオンズクラブがコロナで鬱々とした生活が続くなか、みんなでコロナに打ち克とうとシークレット花火を企画したもので…
昭和20年(1945)の父の手帳の9月7日の項に戦死公報のことが書いてあります。 7日 臼井勇雄君ノ戦死公報在リ 8組会員祭壇作ル 臼井勇雄君とは同じ町内(8組、現在の加東市社3区中田町)の人。海軍の特務艦「間宮」(食料などの輸送にあたった給…
庭の一角に支柱として立てた竹の先端は、トンボの指定席。このブログでも紹介したことがありますが、その席をセミの抜け殻が占拠していました。 昼間に庭に出ると驚いて一斉に飛び回るアブラゼミ。その数は何十匹といっていいほどです。セミの抜け殻は低い草…
猛暑が続いています。そんな一日の終わり、日が沈んだあとの空には、残照に浮かび上がる雲が心を癒やしてくれます。 夏と言えばキャンプ。今時の格好いいキャンプではなく、ボーイスカウトが野営と言っていたキャンプのことを思い出します。飯盒炊さん、食器…
先日、胴体にハハの字のあるシラサギの写真を紹介しましたが、なんと反対側にもハハの字がありました。もちろん同じシラサギです。こんな偶然は滅多にないので、再投稿します。 緑の稲田に真っ白のシラサギは美しい夏の景色の一つ。しかし、ハハの字が両側に…
4日(水)は、昨日とは打って変わって猛烈な暑さの一日となりました。日中は、本能的に外に出るのは危険だと感じてしまいます。 昼過ぎ、ふと庭を見ると、ナンキンハゼの幹に点々とアブラゼミが止まっていました。朝日とともに鳴き始め、10時30分頃まで…
田圃の水を見にいくと、一面の緑の中に点々として映える真っ白のシラサギが目に入ります。 そして、用水路、排水路の水が流れるところには、ハクセキレイをよく見かけます。ハクセキレイの動きを目で追っていると、深い排水路の中に黒いものが動くのが目に止…
2日(月)の夕方、帰宅途中に田圃のようすを見に寄りました。今日も猛暑の一日でしたが、日中の暑さをさけて作業に出ている農家の姿も見られました。 緑一面の田圃の中に真っ白なシラサギの姿が目に止まりました。長い首を曲げては伸ばし、一歩一歩足をしの…
1日(日)、真夏の空の下、緑の田圃が広がっています。中干しでよく乾いた田圃に水を入れました。こんなに炎天の日が続いても水路にはため池からの水が流されてきます。ありがたいと思いながら水口を開けると水がひび割れた田にしみこむように流れて広がっ…