2022-05-01から1ヶ月間の記事一覧
29日(日)の夕方午後7時前、会合に出るために、自転車で社の市街地を抜け、佐保神社の参道へと出ました。ちょうど、日が西の地平線近くに傾いて、神社の大欅や瑞神門を照らしていました。 まだ時間があったので、境内に入って西側に並ぶ小宮の祠を眺めま…
29日(日)の夕方、5時半頃、郵便局から事務所に戻るとき、どこからか、鳥の鳴き声が聞こえてきました。周囲を見回すと、アパートの屋根の上のアンテナに止まって鳴く鳥の姿がありました。カメラを取り出してズームすると、例の腹の赤い鳥、美しい声で鳴…
28日(火)の朝、社中央公園のステラパークから市役所前のメモリアル・パーク辺りを歩きました。嬉野台地の西端に位置するこの台地面は標高80メートルぐらいの加古川の河岸段丘面です。もう一段下に中位面の社市街地、さらに低位面が加古川まで広がって…
「婦人会」という名称を近頃は聞かなくなりました。女性部とか、女性会という名称に変わっていたり、無くなっていたりします。今あるのは、市単位の連合婦人会です。 日本に婦人会ができたのは、明治から大正時代にかけてだったということですが、地元の知人…
先日、このブログでツバメが巣に近づくカラスを撃退した話を紹介しましたが、26日(木)の朝もまた目撃しました。 いつものように登校見守りに立っていると、学校道の交差点にある消防団詰所の赤色外灯のツバメの巣のようすを見ていると、親ツバメが代わる…
ここ数日、美しい鳥の鳴き声がわが家の周辺で聞こえました。なんと表現していいのか難しいのですが、以前にも聞いた声でした。 声のする方角を見ても姿をとらえられませんでした。しかし、2日前、見つけたのです。家から50メートルほど離れたところに建っ…
24日(火)の朝、登校見守りに立とうと、消防団詰所の赤色外灯に近づいたところ、何やら雰囲気がおかしいことに気づきました。大きなカラスが消防会館の屋根に止まっており、そのカラスにツバメが急降下を繰り返しながら攻撃をしかけているのでした。巣を…
23日(月)、朝の登校見守りに立つために、いつもの学校道の交差点に向かいました。角には加東市消防団社分団詰所があります。その消防車庫の赤色外灯にツバメが巣をつくっていましたが、今日、その巣にツバメの子がいることを確認できました。2か3羽の…
21日(土)は、一日中曇りでした。時折り、小さな雨が落ちてきましたが、緑が濃くなってきています。 そんな庭に赤いタワシかブラシのような花が一斉に咲いて目立っています。ブラシノキというそうですが、金宝樹(キンポウジュ)という名前が馴染んでいま…
この時期、市内各地区では、田植え前の溝普請が行われています。ここに大正13年度の「溝普請人扣」があります。西暦1924年ですから98年前の社町(昭和の合併前の旧社町、現在の加東市立社小学校区域)のものです。 頁をめくると、各池の樋から田まで…
先日、よく晴れた日の朝の登校見守りの光景です。社小学校は遠足の日でした。子供達の背中にはランドセルではなくナップザックが背負われ、うきうき感のあふれる背中でした。 見守りに立つ私はマスク。そして、子供達もマスク姿でした。空気は爽やかですが、…
庭のクルミの実が日に日に大きくなっています。朝、登校見守りに出るときにクルミを見ます。枝の先に生っているクルミの重さか、少し垂れているようです。下の枝にも、上の枝にもクルミの実がついて、少しずつ大きくなっています。今年初めて花に実がついた…
17日(火)の朝、ウォーキングで佐保神社から大師殿へと歩き、新池の堤まで来ると、先日の日曜日に農会の皆さんが草刈りをし、きれいになっていました。何もなければ私も出るのですが、この日は東京での沖縄復帰式典出席のためでられませんでした。 ふと池…
去年からやってきて巣をつくるようになった消防団詰所の赤色外灯のツバメの巣。今年は去年の巣を使っているせいか、だいぶ早くからツバメが入居しています。 毎朝の登校見守りに立つ「学校道」の交差点に詰所があるため、朝はツバメと子供の観察タイムになり…
先日このブログで紹介した、加東市役所の南面のメモリアル・パークのミニバラ園のバラが満開で、5月のまぶしい日に美しく映えていました。 14日(土)の午後、社公民館で行われた会を終えて、メモリアル・パークに入ると、中央の噴水が日に輝いていました…
昨日紹介した教科書を保管していた旧家には、明治27年発行の「新撰髙等小學讀本」が数冊ありました。 その一冊、巻二の表紙をめくってみると、この教科書を使っていた同家の先祖の名前と時間割が筆で書き込んでありました。 「明治卅一年四月一日 社高等小…
知人の家にあった明治時代の教科書を見せてもらっていたところ、明治18年(1885)発行の小学読本がありました。表紙を開いてみると、「文部省編纂 小學讀本四 兵庫縣學務課翻刻」「定價金八銭」と印刷されています。そして、次の頁には、中央に大きな…
ここに町内の方からいただいた古い教科書があります。「新撰高等小学読本」育英舎編集巻七で、明治26年発行、27年検定済の本です。 尋常小学校4年の上に高等小学校があり、2=4年の年限だったようですから、中学1,2年というところでしょうか。 開…
沖縄地方は梅雨入りのようです。今週は兵庫県も雨の日が続くようで、緑が日に日に濃さをましてきました。 朝の登校見守りに出る際、庭のクルミの実を観察します。枝の先についた小さな実が少し膨らんできました。今年初めて小さな花を見つけ、そこに実がつい…
10日(火)の朝、ウォーキングで社中央公園ステラパークからや加東市市役所のオリンピアリンピ通りを歩いていると、ふとメモリアルパークのミニバラ園のことを思い出して、中に入ってみました。 このメモリアルパークは市庁舎の南面にあるヨーロッパ風庭園…
先日、明治末年の日本地図の中の兵庫県の私たちの住む東播磨地域を見てみましたが、今日は昭和8年(1933)発刊の「最新大日本地図」の中の同じ地域がどうなっているか、見てみました。 さすがに旧国名毎の色分けはなく、兵庫県は全域が緑一色でて表され…
連休中の4日、県立嬉野台生涯教育センターで開催された、「うれしのフェスティバル」で、うれしのビーツ広め隊のブースに立ち寄りました。 3年ぶりに開催された同フェスには、大勢の親子連れが訪れ大盛況でしたが、ビーツ広め隊のブースは以前と同じ場所で…
旧家に保存されていた古い日本地図(明治44年発刊)の兵庫県がどのように表されているかを見てみました。地図の正式名称は「地理研究会著作 海陸 帝国旅行新地図 附日本名勝案内」とあります。 地図を見てみると、県名より、旧国名の方が大きな文字になっ…
今日も昭和31年1月5日発光の「広報やしろ」8号より、社町成人式のニュースを紹介します。 記事によると、全町一斉に二十歳となり成人を迎える若者数百人が一堂に会して前途を祝う会にしたいとの願いが書かれています。 式は、1月15日(日)の午前9…
昨日に続いて、昭和31年1月5日発行の「広報やしろ」八号より、社町消防団の初めての出初式のニュースを紹介します。 写真は、当時の社町立社小学校(現加東市立社小学校)の本館東側と便所が写っています。運動場で式が行われ、社町発足(昭和30年4月…
知人の家にあった文書綴の中に社町時代の広報紙「広報やしろ」八号(昭和31年1月5日)がありました。紙は黄色く焼けてもろくなっています。 そうっと広げて記事を読んでみると、昭和の大合併で誕生したばかりの社町の躍進する姿が垣間見えました。 まず…
3日(火)、加東市社の商店街のほぼ中心にある「CATALYST~語り里~ゆらの」で日本酒の飲み比べと酒器の店が開かれました。この「ゆらの」は、元は上月米穀店で、築百年以上の古い建物で、店舗、住居の一部を活用して、様々な店が日替わりで店を出…
わが家の井戸に手押しポンプを設置しています。小さい時から電動ポンプだけだったのですが、停電や災害時のことを考えて手押しポンプを設置しています。井戸の深さは7,8メートルあり、その井戸に3メートルほど水が溜まっています。夏は冷たく、冬は温か…
5月1日(日)の朝、加東市上滝野の闘龍スクエアにある水神社で川開き神事が行われました。 神事は、地元の春日神社の長谷川宮司によって齊行され、主催者の澤野加東市観光協会会長はじめ、岩根加東市長、藤井衆議院議員、県会議員の私、小川市議会議長、渡…
昭和28年(1953)測図の社町三千分の一の地図から、今日は、社小学校、赤岸、千鳥川辺りの社市街の北部分を見てみます。 当時の社小学校は木造校舎です。私が学んだのは昭和30年代半ばですが、この地図にある建物配置は変わっていません。本館、講堂…