ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

谷を越えた昭和池からの水路-昭和8年


 加東市藤田地区の墓地がある嬉野台地の西端の山中に今は使われていない昭和池からの水路が残っています。「昭和池廃線水路」と書かれた説明看板が小雨の中ポツンと立っていました。
 この看板の背後の山中を水路が通っているのです。そして、今日は雨で視界が悪く見通せませんが、北の方角に三草山があり、その山麓の昭和池からの用水路が千鳥川の谷をサイフォンで渡ってこちらの嬉野台地まで繋がっています。サイフォンの長さは900メートル。向こうの呑口、こちらの吐口のコンクリート構造物は今も残っており、サイフォンの管が一部露出して見ることもできます。
 この水路が築造されたのが昭和8年(1933)で、もう80年ほど前のことです。戦後、鴨川ダム(東条ダム)が造られ、ダムからの水が嬉野台地にも引かれて、昭和池からの水に換わりました。
 この廃線水路の遺構が今も台地の各所に見ることができます。この歴史ブログでもそうした用水路、ため池、ダムといった施設を紹介してきていますが、これらを単に農業施設という狭い範疇にとどめず、この地域の特色ある風景として、あるいは産業遺産として、また、自然や風景にとけ込んだ私たちの貴重な財産、資源として見直していくことが大事だという思いがずっとあったからです。
 30年余り前、社会科教師としてこの嬉野台地の開発を題材として教材づくりに取り組みました。その時にこの昭和池から台地へと送られていた用水のことを知りました。子ども達を今看板の立っている場所に連れてきてサイフォン跡を見せてきましたが、こうして今は説明板も立てられているので、子どもの学習や地域、グループなどで見学会などをやってもいいのではないかと思うところです。