ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

淡路の学習小学校で展示されていた懐かしいモノ

 

 13日(月)、県議会文教常任委員会の管内調査で、淡路市立学習小学校を訪問し、研究実践の取り組みや授業参観をしました。オープンな教室配置で、子供たちは元気に学習に取り組んでいました。

 校長先生から学習小学校という珍しい校名は、論語の「学びて時に之を習ふ」から付けられた名前と聞きました。明治の初めに地名ではなく論語の有名な言葉、しかも学び、習うという基本中の基本のことを校名にされたと聞いて、当時の人々の学校への熱い期待と思いに頭が下がる思いでした。

 校内の一角に、「むかしのくらしにタイムトリップ」と題された展示コーナーがありました。大きなブラウン管テレビ、ご飯のおひつ、足ふみミシンなど、懐かしいモノが並んでいました。みんな、私が子供だった頃、家の中にあったものばかりです。ふと「むかし」という言葉に引っかかってしまいました。今の子供たちにとって、昭和20年、30年代といえば、「昔」そのものなんだと気づいてしまいました。委員会の同僚県議も30代、40代の若い人がいます。そういう若い世代にとっては、同じように「むかし」なんでしょう。

 学習小の子供たちは、各自タブレットを使い、また、先生も電子黒板を駆使して学習していました。時代の変化、流れを感じながら、しかし、「学習小学校」という校名の由来が論語の「学んで時に之を習う また説ばしからずや」であることを大事にしていってほしいと思うところでした。

明治18年発行の『懐中重寶記』よりー難読苗字集

 明治18年発行の『懐中重寶記』(携帯便利帳のようなもの)から、第百十五項「難読苗字集」の中から、珍しい苗字を紹介しましょう。今でもテレビなどで話題になる珍しい苗字が挙げてあり、当時もやはり難しい読みだったんだんなあということがわかります。しかし、読み仮名が書いてないと、まず読めない苗字ですね。いくつか紹介しましょう。

〇百々(ドド) 〇月見里(ヤマナシ) 〇百貫木(トメギ) 〇五十子(イカコ)

〇八角島(ハカタ) 〇六人部(ムトベ) 〇四月一日(ワタヌキ) 〇四十住(ヨソズミ) 〇十時(イネヌキ) 〇十七夜月(カナフ) 〇一口(イモアラヒ)

地名でも見る苗字もありますが、まず普通には読めない苗字ばかりでした。挙げたのは一部ですが、あとは、写真で読んでみてください。

令和8年我が家で羽化クマゼミ第1号

 

 11日(土)の朝、日曜日の地域一斉クリーン作戦のために、家の周囲の草引きをしていると、生垣の下の笹の葉に何か黒いものが止まっているのに気づき、よく見るとクマゼミでした。

 この生垣では、毎年クマゼミが羽化します。そおっと手でセミをつかみ、カメラで撮りました。抜け殻がないかと探すと、すぐ近くの笹の葉に抜け殻がついていました。まだ新しい抜け殻でした。昨夜から羽化し、飛び立つ時を待っていたのでしょう。

 セミは、作業着の膝に乗せて写真を撮りました。そのあと、元気に飛んでいきました。抜け殻のついた笹の葉も写真に撮りました。令和8年夏、我が家の庭で羽化したクマゼミ第1号でした。いよいよ真夏到来ですね。ただ、まだクマゼミの鳴き声は聞こえてきませんが。

 



 

梅雨明けの庭に舞い降りたアゲハチョウ

 梅雨明けし、急に夏がやってきた感じがありますが、夕方には、昼間の暑さが和らぎ、夏の夕暮れの雰囲気が出てきました。昨日は、ナツアカネと思われるトンボの写真を紹介しましたが、今日は、夕方に庭の木の枝の先に止まったアゲハチョウの写真を紹介します。

 チョウチョウもよくやってきて、ひらひらと庭を飛び回りますが、目の前にやってきて、まるで写真に撮ってと言わんばかりのポーズをとられることは滅多にありません。撮った写真がこれです。よく見ると、きれいですね。貴婦人のような品も感じます。舞い降りたアゲハチョウでした。

 

 

梅雨明けの庭にトンボーナツアカネ?

 

 梅雨明けが発表された9日(木)の昼頃、庭には、まぶしい夏の日差しが降り注いでいました。ふと見ると、小さなトンボが葉に止まっていました。これまでコシアキトンボが飛び回っていた庭に、新しいトンボが来ていたので、カメラを持って静かに近寄ってみました。

 たしか去年も見たトンボのようでしたが、名前を思い出せません。全体の色は黄色、赤という印象で、コシアキトンボより一回り小さいトンボでした。調べてみると、ナツアカネではないかということでした。

 夕方、家に戻ってきて庭の水やりをする前にトンボはいないかと探してみると、いました。大きさも色合いも昼間見たトンボと同じだと思いましたが、これからこのトンボが庭の主役になるのでしょうか。

明治18年発行の『懐中重寶記』より-晴雨のしるし

 明治18年発行の携帯便利帳ともいうべき『懐中重寶記』から、当時の人々が天気の変化、晴雨の兆しをどのように判断していたかを知ることができる項目を紹介します。

 今では、衛星の観測等により、科学的な詳しい天気予報を知ることができますが、それでも、身体的な変化や、虫や鳥などの飛び方、山にかかる雲の高さや形などから晴雨を予想することもしています。今から140年ほど前の明治時代の半ばを生きていた人々はどのようなことで天気を予想していたのか、その一端を知ることができます。いくつか選んで紹介します。

二十一項 實験晴雨考

 

〇海ノ方ヨリ雲多ク来ル雨ナリ

〇夕虹ハ雨、朝虹ハ雨ノ兆シナリ

〇朝鳶鳴ケバ、雨ヲツカサドリ、夕カタニ鳴ケバ、晴ヲツカサドル

〇蟻オホク穴ヲイデテ行カヒ騒グハ大風ノシルシ、又穴ヲフサグハ雨ノシルシ

〇魚口ヲ上ヘムケテ游(オヨ)グトキハ雨ナリ

 

などなどです。今でもツバメが地上近くの高さを飛ぶときは、天気が悪いといいます。それは虫が低いところを飛ぶからだといいます。庭でアマガエルが鳴くときは雨が降る、もそうです。加東市の滝野地域の高齢者の方は、五峰山に雲がかかると雨が降るといいます。それぞれ、根拠がある験(しるし)ですが、結構役に立つ知識ですね。

「兵庫教育」7月号の表紙に社学園の空中写真が

 7日(火)、県庁の自席に、兵庫県教育委員会発行の「兵庫教育」7月号が届いていました。その表紙を飾っているのは、加東市社の社学園の空中写真でした。嬉野台地の西端の広大な敷地に建つ社学園小学校、中学校の校舎と運動場を空中から写したものですが、遠くには源平合戦の古戦場の三草山、日本遺産の三十三か所観音霊場の一つ、清水寺のある御嶽山も望む素晴らしい景色です。

 写真のキャプションには、「教育のまち加東~令和7年度加東市立社学園小中一貫校開校~」とあります。隣接する、県立社高校、県立総合教育センター、加東市立みらいこども園、兵庫教育大学附属幼稚園、小学校、中学校とともに一大教育ゾーンを形成しています。また、嬉野台地の東端には、国立大学法人兵庫教育大学キャンパスがあります。

 朝、登校見守りに立っていますが、社学園小学校へ歩いて通学する児童、自転車の中学生、高校生、そして、児童生徒が乗る神姫バス、社学園の通学バスが嬉野台地へと向かっていきます。