ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

2022-08-01から1ヶ月間の記事一覧

夏の終わりに カメムシとセミの抜け殻

台風11号が本州の南の海を西進しています。猛烈な勢力に発達しつつあるということで、今は沖縄方面に向かっていますが、いずれ進路を北へ向け、九州から日本海へと進んでくるのではないかとの予報です。 その影響か、当面の天気予報では、傘マークが続いて…

たんば道の松並木ー「社町歴史遊歩道」(昭和47年刊)

『社町歴史遊歩道』(社町中央公民館発行、昭和47年)に、「街道の松並木」が写真とともに紹介されています。 この街道について「この道は、たんば道とよばれ、西の国から都(京都)へ行く街道としてたいせつな役割をはたしてきました」と書かれています。…

庭のハグロトンボ-忍者のように息をこらして

夏休み最後の日曜日。子供達は、宿題の追い込み日になっているかもしれません。私もそんな気分になってしまいます。過ぎゆく夏にやり残したことが次々と浮かんできます。 心地よい風が吹く庭に出てみると、草が伸び放題になっています。蚊を追い払いながら,…

源平合戦三草山合戦の伝承ー「かなし池」(「社町歴史遊歩道」より)

昭和47年(1972)発行の『社町歴史遊歩道』-ふるさと研究シリーズ1ー(社町中央公民館内ふるさと研究会編集、20頁)を開いてみると、源平合戦の古戦場となった三草あたりの歴史を訪ねて歩くルートが紹介されていました。 今から50年前の発行です…

8月の終わりのアブラゼミ

26日(金)の昼頃、見上げる高い秋の空でした。日差しも和らいできたように感じます。テレビのニュースではもう二学期が始まった学校もあるようですが、ホイツクの鳴き声を聞きながら夏休みの宿題を仕上げるのが8月の終わりという記憶が張り付いています…

41年前の嬉野台地でー用水路の水を追って学ぶ

昭和57年(1984)9月30日発行の兵庫教育大学附属小学校の研究紀要の第2集に、「嬉野台地の開拓と東条ダム」の学習ー4年生児童を対象としてーの題名の論文が掲載されています。 これは、昭和56年度1年間でしたが、附属小学校に勤務し、4年生の…

柏原八幡宮の参道玉垣に加東郡の寄進者

24日(水)、県議会建設常任委員会の管内調査で但馬丹波地区の調査の3日目。丹波春日町での現場調査を終えて、午後一番の丹波県民局・丹波土木事務所の事務調査の前、昼食後の時間に散策をしました。 樹齢千年の大けやきの「木の根橋」を見たあと、目の前…

上福田村の忠魂碑ーやしろ国際学習塾の一角に

21日(日)、ふれあい合唱の祭典が加東市上三草の「やしろ国際学習塾」で開催されました。昼食後、開会までの間に、敷地の旧街道沿いの一角にある上福田村の忠魂碑にお参りしました。この地は元三草小学校、さらに江戸時代は三草藩の陣屋があった場所です…

朝、事務所を開けようとするとドアノブに・・・

20日(土)の朝、8時30分頃、自宅近くの事務所に寄って、シャッターを開け、さあ、ドアを開けようとして鍵を持つ手を伸ばしたその時、はっとしてたじろぎ手を引きました。ドアノブに何か異物がくっついていたのです。見ると、蛙でした。一晩中こうして…

義士の墓に手を合わせるー65年前の保育園児

加東市家原の観音寺は、赤穂義士の寺として知られています。この歴史ブログでは、何度も紹介してきましたが、この地で育った私にとっては、小さい頃からなじみの深い寺です。 境内には浅野の殿様を仰ぐように配置された大石親子、そして義士の墓(墓碑)が配…

佐保神社境内の小宮さんの今昔写真

加東市社の佐保神社の広い境内の西側に小宮が並んでいます。この歴史ブログで紹介した、元は田町通りにあった御大神宮さんも昭和の始め頃に境内に遷されて、一緒に並んでいます。大正12年に発行された『佐保神社誌』の境内図には、5つの小宮が記載されて…

8月15日の社の朝の景色

終戦の日、8月15日の朝、社の商店街から忠魂碑、佐保神社、大師殿のコースを歩きました。静かな街でした。 本町通りと銀座通りの三叉路から東を見ると、中央公園まで人も車もない道が見通せました。佐保神社の境内にも人影はなく、静かに祈りを捧げました…

佐保神社の新しい景色

加東市社の佐保神社の境内にある倉庫が新しく建て替えられたために、これまでと少し違った位置から境内の景色を見ることができるようになりました。 倉庫は、元、大石燈籠に接して建っていたのですが、少し後ろへ引いた位置に建て替えられたために、石燈籠と…

77年目の8月15日-朝の忠魂碑前で祈りを捧げる

今日、8月15日は大東亜戦争終戦の日。ずいぶん昔のように思いがちですが、数えて77年前のことです。超高齢社会となった現在の日本では、当時10~20歳代だった方々で御健在の方が少なくありません。 加東市社の市街地の南端にある明治館(元加東郡中…

県の景観形成重要建造物に指定された社連合区公会堂

加東市社の銀座通りのちょうど真ん中あたりに古い木造の建物があります。これは、社連合区の公会堂と呼んでいますが、現在は公会堂としては使用されておらず、就労支援の作業所として使われています。 この社連合区公会堂が今年2月の兵庫県の景観形成重要建…

社の忠魂碑 終戦記念日を前に清掃

11日(木)、朝に墓掃除、夕方に社の忠魂碑の掃除をしました。 この忠魂碑は大正15年(1926)に建立されたものです。戦後の昭和28年(1953)に英霊尊名碑が建てられ整備されています。 加東市社の市街地の南端に位置し、元の加東郡中央公会堂…

昭和4年発刊の郷土の文芸誌「東播藝術」② 目次

先日紹介した昭和4年発刊の郷土の文芸誌「東播藝術」の目次をみてみます。 執筆者は、15人。これに「雑・後記」と「同人消息」「同人住所録」があります。詩は12頁になっています。 表装と「雑・後記」「同人消息」などは、編集兼発行人であった父、藤…

甲子園に轟く社高校校歌-夏の大会初出場初戦を突破

9日(火)、夏の高校野球全国大会で、兵庫県代表の県立社高校が初戦の県岐阜商を10対1の大差で破り、見事に初出場初戦を勝利で飾りました。 コロナ感染の不運に見舞われた県岐阜商でしたが、互いに県代表として、両チームの全力を尽くしてのプレーは、し…

昭和4年発刊の郷土の文芸誌「東播藝術」

以前にこのブログで紹介したことがありますが、ここに古い文芸誌の小冊子があります。表紙には、詩文誌「東播藝術」2とあり、東播藝術聯盟の「聯盟創立壹周年記念號」とあります。発行年は昭和4年(1929)7月20日、今から93年前です。 発行者の東…

8月の朝の佐保神社境内で

夏の朝の佐保神社はセミの鳴き声と時々聞こえるアオサギの決して美しいとはいえないギャーという鳴き声に包まれています。 広い境内に人影はほとんどありません。たまに参拝の人を見かけますが、犬の散歩コースにしている人と時々出会います。 境内の西には…

社高校から西に沈む夕日を見る

8月2日(火)の午後7時前、県立社高校で会議が行われました。本館から教室棟へ渡り廊下を歩いていると、ちょうど西の地平線に夕日が沈むところでした。 昭和44年入学の第24回生だった私の1年4組の教室はこの棟の1階西端の教室でした。入学式が始ま…

8月2日の朝と夕ートンボを見る

8月2日(月)の朝、ウォーキングで市役所から百旗墓地への坂道を歩いていると、用水路のコンクリートにトンボが止まりました。朝のまぶしい日に影がくっきり見えますが、翅や体の模様はよく分かりません。よく見かけるシオカラでもコシアキトンボでもあり…

社高校がんばれ!とステラパークのモニュメント 社中央公園の夏の朝

2日(火)の朝、ウォーキングで社中央公園を歩きました。クマゼミが公園の桜の木で一斉に鳴いています。坂道を上りきると、金屋谷池の堤から、朝日に映える社の市街と五峰山の山並みの眺望が広がり、しばし、足を止めて見渡しました。気持ちも大きく広がる…

ガラス戸のヤモリにドキッ

1日(月)の朝、ベランダへ出るガラス戸にヤモリがペタっとついていました。半透明のような肌色で、じっとしている間に写真を撮りました。 そっと戸を開けてみましたが、ヤモリはじっとしています。そのまま外側に出てさあ、もう一枚と思い、よく見ると、大…

昭和初期、田町通りにあった御大神宮さんの写真(再掲)

7月25日、佐保神社境内にある御大神宮さんのお祭りが行われたことをこのブログに紹介しました。御大神宮さんのお社は、元は社町社の田町通りにあったものですが、昭和初期に佐保神社に遷されました。 その田町から遷す際に行われたお祭りの時の写真です(…