ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

2008-04-01から1ヶ月間の記事一覧

講和記念の国旗掲揚柱石柱

4月28日は昭和27年(1952)、サンフランシスコ講和条約が発効し、7年にわたる連合国の占領が終わって、日本が独立主権を回復した日です。 早朝、加東市立社小学校の校門前を歩いていて、一本の石柱が目に入ってきました。その石柱は国旗掲揚柱の基…

昭和5年-社小学校部落少年団実習地

昭和5年(1930)の社区雑書綴に「部落少年団実習地の設置について」の文書が綴じられています。当時は農村は貧窮に苦しんでいた時代で、小学生も家に帰れば農作業をしていたと聞いていますが、この文書には、各部落ごとに実習田を設けて児童が農作物を…

昭和5年-元郡公会堂で軍事映画上映

加東市社の市街地の南端に明治館があります。この建物は元社町公会堂として親しまれてきましたが、元は明治末に加東郡公会堂として建てられた歴史的建造物です。 さて、この元公会堂で映画上映が開催されるという昭和5年(1930)5月23日付の通知(在…

伊勢参りの宿の名が-佐保神社

あっという間に桜が去って新緑がまぶしい季節になりました。朝の光の中、佐保神社の楼門脇の大石燈籠を見上げると、玉垣に刻まれた字に目が止まりました。 この大きな石燈籠は、平成18年7月1日のこの歴史ブログで紹介しましたが、伊勢参りの佐保講の寄進…

家は國の礎-昭和13年国民精神総動員②

昨日に続いて、昭和13年(1938)に出された国民精神総動員のビラの内容を掲載します。 六 婚礼葬儀その他の家庭的行事は質素厳粛に行ひませう。 各家庭で出費の多いのは婚礼と葬儀とであります。故にこの際は婚礼の支度の如きも、持合せの衣類と式服そ…

家は國の礎-昭和13年国民精神総動員①

70年前の昭和13年(1938)、国民精神総動員中央聯盟(社町)が出した、「家は國の礎」と題した家庭実践要目の印刷物が手元にあります。 このビラについては、この歴史ブログの平成18年9月22日付で概要を紹介しましたが、今回は内容を詳しく掲載…

やまつつじ

今日は加東の歴史再発見ではなく、自然再発見の話題を一つ。 新緑がまぶしい加東市嬉野台地。その柔らかな緑の中に紫に近い濃いピンク色のつつじの花が満開になっています。 このつつじは、「コバノミツバツツジ」という名前です。2週間前に県立やしろの森…

山中に日露戦役記念の石柱が・・・

加東市上久米の県立やしろの森公園の散策道の脇に立っている道標をこのブログで紹介しましたが、その道標から少し離れたところにもう一本の石柱が立っています。この石柱は道標より背が高く、細い石柱です。 石柱正面には、「日露戦役記念」側面には「明治3…

貞守公民館の石柱

加東市貞守の公民館の脇に一本の石柱が立っています。これまでに何度も公民館にはお邪魔していたのですが、今回初めてその存在に気が付きました。 石柱には「皇太子御降誕記念」「昭和八年拾弐月弐拾参日」「貞守青年支部」と刻まれていました。 昭和8年、…

桜祭の清水寺で-赤松氏範の墓

20日(日)、加東市平木の御嶽山清水寺で桜祭が開かれました。午後、登山道を車で登り、山門脇の駐車場へ。関係の方の話では、好天にも恵まれ、例年にくらべて参拝者も多いようだとのことでした。 さて、この山頂駐車場の北の端、登山道を登りきった地点の…

つつじ満開の傍らに-上久米の道標

加東市上久米の「県立やしろの森公園」に接する道路の歩道の脇に低い石柱2本が立っています。この歩道は公園を巡る散策道にもなっているので、足もとに少し視線を落として歩けば気がつきます。 この石柱は道標でした。表面に刻まれた字を読んでみると、「す…

久保木橋を今に伝える親柱

久保木橋の親柱 3月25日、加東市の東古瀬保育園の卒園式に出席したあと、うららかな陽気に誘われ、隣の八坂神社に参拝し、さらに田圃の中の道を南に向かって車を走らせるとその先は東条川。その道の向こう、川に落ちる手前に一本の石柱が立っているのが目…

安取の道しるべ

4月のはじめ、桜満開うららかな春の日差しのなかを青野原から高岡を抜けて加古川沿いの加東市河高の安取(あっとり)の集落へと車を走らせました。台地を下って、JR加古川線の踏切を過ぎると、すぐに突き当たるように分かれ道に行き当たりました。 そこに…

竹藪が伐られて道標が・・・

加東市の嬉野台地を社から東条に抜ける学園道路沿いには、社高校、兵庫教育大附属学校園、県立教育研修所など学校や教育施設があります。 教育研修所の西には元嬉野公民研修所の跡地があり、今は臨時の駐車場として使われています。 その南に天理教社大教会…

加東郡民に告ぐ!!-昭和18年「貯蓄なくして勝利なし」③宣誓

昭和18年(1943)の270億貯蓄総進軍運動に際して開催された加東郡北部大会で参会者の宣誓が加東郡民への回覧ビラに印刷されています。今日はこの宣誓文を掲載します。 宣 誓 大東亜戦争ハ一滴マデ闘ハネバナラヌ大決戦デアル。米英ノ反撃益々熾烈ヲ…

加東郡民に告ぐ!!-昭和18年「貯蓄なくして勝利なし」②

昨日に引き続き、昭和18年の貯蓄総進軍運動に際して、加東地方事務所長の「加東郡民に告ぐ!」の続きを掲載します。 (つづき) 我々直接戦闘に従事せない者の任務は只戦力の増強を目指して突進するのみであります。 それは一般の国民としては先づ貯蓄の増…

加東郡民に告ぐ!!-昭和18年「貯蓄なくして勝利なし」①

貯蓄総進軍運動へ 昭和18年(1943)7月、兵庫県加東地方事務所長 地方事務官 藤岡政一名で隣保回覧ビラが出されています。このビラの一部は2年前の9月16日付のブログで紹介しましたが、今日は貯蓄運動を呼び掛ける地方事務所長の本文を紹介します…

昭和20年-社町2月常会徹底事項

敗戦の年、昭和20年(1945)2月の社町常会徹底事項を掲載します。綴じられているビラは紙質も印刷も悪くて読み取りが困難になってきました。内容も空襲に対する防空生活についての申し合せになっており、いよいよ戦局がきびしくなってきているのを感…

昭和20年-社町1月常会徹底事項

ついに敗戦の昭和20年(1945)の社町常会徹底事項です。今日は1月分を掲載します。大東亜戦争開戦4年目を迎え、一層きびしくなる戦局のもとで、特攻精神を鼓舞して生産活動への挺身を呼び掛けています。 一月の常会徹底事項 『聖戦第四年目です。一…

昭和19年-社町12月常会徹底事項

昭和19年(1944)の社町常会徹底事項も遂に12月分の掲載までこぎつけました。「一億の憤激で・・・」のスローガンで数項目の呼びかけがなされています。「敵は叩かれても叩かれても必死の反攻を続け・・・」の言葉には、物量で圧倒される戦局の厳し…

昭和19年-社町11月常会徹底事項

昭和19年(1944)11月の社町常会徹底事項を掲載します。特攻隊の勇士に続けとばかりに銃後の国民の覚悟・挺身を呼び掛けています。感冒の予防、新嘗祭の内容が近づく冬の季節を感じさせます。戦局は厳しさをますばかりの十一月です。 十一月常会徹底…

昭和19年-社町10月常会徹底事項

引き続き、昭和19年(1944)の社町常会徹底事項を掲載します。「国民総武装」「兵器生産に全力を注ぐ」「食糧増産」といった言葉にきびしくなる戦局下の国民生活の雰囲気が伝わってきます。 十月の常会徹底事項 『前線に呼応して国民総武装で立ち上ろ…

昭和19年-社町9月常会徹底事項

昭和19年(1944)9月の社町常会徹底事項を掲載します。「食料増産」も「生活物資の節約」もすべては「兵器の増産と同じ」と強調しています。8月の常会で、戦時常会への切り換えが挙げられていましたが、9月の内容はますます戦時常会の色が濃くなっ…

三草川放水

三草川に放水 4月6日(日)、加東市上三草のやしろ国際学習塾で加東市消防出初式が開かれました。LOCホールで式典が挙行されたあと、建物正面玄関前の旧道で消防車、団員の行進が行われました。最後に学習塾のすぐ東を流れる三草川で一斉放水が披露され…

昭和19年-社町8月常会徹底事項③

昨日に続いて昭和19年(1944)8月の常会徹底事項を掲載します。 (つづき) ◎納税及貯蓄に手ぬかりはないか。 「納税と貯蓄」は銃後国民に課せられた最も重要な責務です。決戦の戦費を賄ふため私どもは一層消費の節約に努め、また少しの余暇をもおし…

昭和19年-社町8月常会徹底事項②

敗戦一年前の昭和19年(1944)8月の社町常会徹底事項を掲載しています。冒頭の「常会を一層真剣に」(昨日紹介)では敵の反攻が激しくなるなかで、国民に対して一層の決戦態勢を覚悟し固めるよう呼び掛けています。その続きで、今日は「戦時常会に切…

昭和19年-社町8月常会徹底事項①

これまで昭和19年(1944)の社町常会徹底事項を月の順に掲載してきましたが、7月の常会徹底事項が「常会協議事項綴」にありません。今日は、8月分を掲載します。 八月の常会徹底事項 一、常会を一層真剣に テニヤン及び大宮島は今、皇郡勇士たちが壮…

昭和19年-社町6月常会徹底事項

昭和19年(1944)6月の社町常会徹底事項を掲載します。昭和18年、19年の常会徹底事項を連続して紹介していますが、こうした時代、そして生活があったのだということを私たちは知っておく必要があると思うからです。戦争体験、戦時生活体験を持っ…