2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧
昭和19年(1944)の夏、ちょうど終戦の一年前のこと、社町(現加東市)では、乳幼児体力検査が行われています。社町長から各区長宛に出された通知を紹介します。(「昭和十七年以降 社町役場ヨリノ書類綴 社区」) 別紙に計147名の対象となる乳幼児…
昭和19年(1944)、戦局がきびしさを増す中、社町長から区長に対して、酒類の配給量変更の通知が出ています。この通知は社区(現加東市社)の「社町役場ヨリ書類綴」に綴じられているもので、この歴史ブログでも当時の酒の配給等の文書を紹介してきま…
昭和19年(1944)、戦局がいよいよ厳しさを増す中、桐の木の増植運動について、社町長から区長に通知が出されています。 桐材が軍需物資、特に航空機に使われたことはこの歴史ブログでも紹介してきましたが、乱伐の結果、少なくなってきたので増植しよ…
昭和18年(1943)の末、社町役場から各区長に対して、たくあん用の大根の需要量調査依頼が出されています。戦局がきびしくなる中、たくあん用の大根の配給を行うための調査ということです。日々逼迫する銃後の国民生活の状況の一端を知ることができま…
昭和19年(1944)、昭和18年度の産米供出完遂感謝慰問の演劇大会が開催されています。戦局がきびしくなる中でのこうした演劇大会は人々の数少ない楽しみの一つだったのではないでしょうか。会場となったのは元加東郡公会堂で、こうした演劇や映画会…
昭和20年(1945)7月15日、すなわち終戦の玉音放送が行われる8月15日のちょうど一ヶ月前、社区(現加東市社)の組長会が開催されています。終戦前後の時期の文書が綴じられている社区の「参考綴」にその通知がありました。 当時の組長会では、松…
昭和18年(1943)、戦局がきびしくなる中、菓子も配給になっていました。ここに社町社区(現加東市社)の配給関係文書綴がありますが、その中に菓子の配給についての文書と購入券が綴じられています。 (文書) 昭和十八年九月二十九日 社町役場 社区…
今日は戦時中のタイヤチューブの配給について紹介します。文書は社町社区(現加東市社)の配給関係綴に綴じられていたものですが、物資不足の中、貴重だったタイヤ、チューブの配給について、配給条件、順序などについての注意事項が書き込まれています。 昭…
この歴史ブログで、鍋や釜など家庭用器物の配給について紹介しましたが、新しく家庭を設けるときにはこうした生活必需品の配給が行われました。 社町社区(現加東市社)の配給書類に新家庭用物品配給申請書が綴じられていましたので紹介します。鍋や釜などの…
過日、ある会合の場で、加東市高岡にある忠魂碑のことが話題にのぼり、滝野工業団地から高岡に抜ける道路の東の一段高くなっている所にある墓地のさらに最も高い場所に忠魂碑があることを教えていただいた。地区では丁寧に守っておられるとの由で、市内の忠…
昨日に続いて、社区(現加東市社)の戦時中の配給に関する書類綴の中の、燐寸(まっち)の配給に関する書類を紹介します。酒、塩、豆腐、縫糸、卵、海苔、タイヤチューブ、鍋、バケツ、ビール、地下足袋・・・と生活必需品や食料などさまざまな物資が配給と…
社区(現加東市社)の戦時中の配給に関する書類綴の中に、縫糸の配給に関する書類が綴じられています。当時は、さまざまな物資が不足し、配給になっていましたが、縫糸もその一つだったんですね。文書は次の通りです。写真は昭和10年代の社商店街の風景で…
昭和18年(1943)当時の社町社区(現加東市社)の「購入券配給書類」の中に、「家庭用酒類配分台帳」が綴じられていました。その名の通り、家庭で飲む酒類の配給台帳ですが、大きさはA4、インクは赤で、隣保の世帯、氏名、月別の配給量などが記入で…
今日紹介する写真は、昭和5年(1930)の社尋常小学校入学の一年生の写真です。 黒板には「昭和五年度 入学 尋一竹組 男22、女26、」と書いてあります。子ども達の服装を見ると、男子は着物が多く、女の子は白い前掛けをしているのが目立ちます。 教…
昭和20年(1945)の終戦前後の文書が綴じてある社区(現加東市社)の「参考綴」の中に、敗戦の翌21年の6月30日付で区長から各組長に宛てて出された各種調査依頼の文書が綴じられています。 別紙は、役場からの依頼文が綴じてあるのですが、裏紙が…
以前、この歴史ブログで戦時中の座布団の供出に関する当時の文書を紹介しましたが、座布団綿を火薬の原料にするために供出が行われていたことがわかる文書がありました。 昭和19年(1944)の「常会協議事項綴」(社部落常会長)の中に綴じられていた文…
昭和18年(1943)、家庭用のビールも統制配給になるという通知が当時の社区(現加東市社)の書類綴に綴じられていました。7月分の配給では、一戸当たり、1本の半分の割当になっています。 昭和十八年七月三十日 社 町 役 場 社区長 殿 家庭用麦酒配…
新緑が目にまぶしい5月5日の「こどもの日」、加東市畑の朝光寺の境内で伝統の鬼追踊が行われました。朝から気温が上がり、境内のお茶席も日陰を追って移動するほどでした。 昼が過ぎた頃、本堂では法要が行われ、檀家の女性の御詠歌、僧侶の読誦の大音声が…
先月末、加東市上三草のやしろ国際学習塾で開催される行事に出席するために西側の駐車場に車を入れました。まだ時間があったのと、天気がよかったので、隣接する敷地にある三草藩の武家屋敷を訪れました。行事に出席するために来られた女性グループが屋敷内…
今日も戦時中の昭和18年(1943)の配給について紹介します。社町役場から区長宛に発せられた通知は、家庭で使う器などの配給に関するものでした。鍋やコップ、弁当箱、飯盒などで、日々の生活には欠かせないものばかりです。新婚さんや生徒、労働者な…
昨日に続いて、戦時中の配給について紹介します。 今日は日々の食事に欠かせない食品である、乾苔、卵、イカナゴ干の配給に関する通知です。こうした食品も細かく割当が指定され、配給されていたんですね。現在の豊かな時代からは全く想像がつきません。 昭…
ここに戦時中の配給に関する書類を綴じた「自昭和十八年四月 至〃十九年三月 購入券配給書類 第貳号 社町社区」があります。その中に、昭和18年(1943)4月21日付の豆腐配給に関する社町長から各区長に宛てた通知が綴じられています。 通知によれば…
昨日紹介した加東市上三草の旧街道沿いの磨崖仏のすぐ下に石板に仏像が彫られた板碑があります。磨崖仏といい、この板碑といい、何度もこの道を走っていても気がつかなかったとは。つくづく何も見ないでいたんだなあ、とため息が出てしまいます。 畳の4分の…