ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

2009-02-01から1ヶ月間の記事一覧

大正12年-加東郡真言宗寺院托鉢義金

「大正拾貳年度 諸例規諸達書雑書合綴 原区長」と表紙に書かれた社区(現、加東市社地区)の書類綴の中に加東郡真言宗寺院住職の名で托鉢義金の報告とお礼の文(印刷物)が綴じられています。当時の加東郡は現在の加東市、小野市域にまたがる大きな郡でした…

昭和11年-海軍志願兵徴募検査の試験問題

昨日のブログで海軍志願兵徴募についての通知を紹介しましたが、その中に試験問題のことが書いてありました。その試験問題(昭和11年度)が綴じられていますので紹介しましょう。B4判の紙にガリ刷りで印刷されていて、化学、物理、歴史、地理の分野から…

昭和11年-海軍志願兵志願者徴募

昭和11年(1935)、社町長から社区長宛に12年度の海軍志願兵の志願者徴募についての通知が出されています。海軍の志願兵については、県、郡への割当があったようで、加東郡(現、加東市・小野市域)には25名の割当がなされていたようです。試験問…

大正15年-社町婦人会総会

大正15年(1926)、社町婦人総会の開催通知が会長から区長宛に出されています。総会は元郡公会堂(現、明治館)での開催で、女性新聞記者が講師として招かれ講演の予定とされています。当時、女性新聞記者はまだ珍しい存在だったのでしょう。案内文を…

昭和11年-海軍軍事講演会・活動写真会

昭和11年(1936)、海軍の軍事講演会・活動写真会が社の元加東郡公会堂(現明治館)で開催されています。社町役場から区長宛に出された出席依頼を紹介します。写真は明治館に改修される以前、昭和前期の頃のものです。 昭和十一年十二月四日 社 町 役 …

昭和12年総選挙-棄権防止に消防の警鐘打ち鳴らす

昭和12年(1937)4月30日実施の衆議院議員選挙の棄権防止のために消防の警鐘を打ち鳴らすという通知が社町役場から各区長宛に出されています。これは棄権率が高いことに対する対策で、町の面目を立てるために打たれた手であったようです。 昭和十二…

昭和12年-在郷軍人会主催の講演会

昭和12年(1937)、在郷軍人会主催の時局講演会・映画会が元加東郡公会堂(現:明治館)で開催されました。その案内文とビラを紹介します。ビラを見ると、三月二十日の当日、小野町、中東条村、社町の三ヶ町村で開催されることになっており、夜の社町…

阿弥陀堂-涅槃図のご開帳も

春のような日差しの2月15日、「あったか加東の冬まつり」の酒蔵めぐりをしようと加東市下滝野の旧道を歩いていると、阿弥陀堂の前でお年寄りから「時間があればどうぞお立ち寄り下さい」と声をかけていただきました。お堂の方を見ると、戸が開かれていま…

弁慶のなぎなた石-元は旧道脇に

国道372号沿い、三草山がのしかかるようにせまってくる加東市山口と馬瀬の境あたりに一風変わったモニュメントがあります。大きくカーブをきるその山側に塀のように立つ壁に鎧姿の騎馬武者達の姿がくり抜かれています。スピードを出して走っていると一瞬…

米田村の忠魂碑

2月11日、加東市上久米の東光寺の大日さんに参詣した折りに寺の東の山の中腹に米田村(現加東市米田地区)の忠魂碑があることを知り案内していただきました。 忠魂碑は昭和7年(1932)の建立で、大きな自然石には「忠魂碑」と彫られていました。揮毫…

上久米の大日さん

2月11日、加東市上久米の東光寺で大日祭が行われました。天気予報では午後の天候悪化が心配されましたが、少し風が強い程度で、春のようなやわらかい日がさしていました。午後1時半頃には区長さんが先導する山伏さんの行列が寺に向かう坂道をのぼってい…

河高の厄神さん

2月11日、加東市河高の八幡神社で厄厄除け祭が行われました。この歴史ブログでも去年紹介しましたが、この祭では、地元出身の成功者や厄年の人たちがお金(硬貨)をまき、それを子どもたちが拾うという行事が行われることでも知られています。 去年と話し…

孝女ふさの碑

孝女ふさの碑 加東市上三草の旧街道沿いに「孝女ふさ」の碑があります。この歴史ブログでも紹介しましたが、先日もこの道を通った時に車を降りて、ふささんの生きた時代のことを想像したりしてしばし時を過ごしました。 「ふさ」は、幼い頃からよく働いて親…

昭和7年ー知事来郡

昭和7年(1932)2月4日、兵庫県知事の白根竹介が来郡(加東郡)するというので、各町村で歓迎が行われ、社町でも社警察署(現みなと銀行社支店の地)前にて歓迎を行うという町会議員、区長宛に対する案内が「雑書綴」に綴じられています。また、肥田…

昭和7年-青年団が開く敬老会の案内

昭和7年(1932)、社青年団による敬老会の案内状が出されています。招待券には第三回敬老会とありますので、昭和5年から始まったものとみてよいのでしょうか。「御達者で御座いますか」という書き出しの一言に青年の敬老への温かい精神がよく表れてい…

昭和18年夏-金属非常回収

戦時中には金属も出征したといいますが、金属の非常回収に関する書類が社部落の常会協議事項綴の中(昭和18年)に綴じられています。扇風機やストーブ、文鎮、戸のレールにいたるまで供出対象になっていたことにあらためて驚きました。 一、金属非常回収ニ…

やしろ国際学習塾-三草藩陣屋跡

やしろ国際学習塾の正面玄関の植え込みの中の大きな石に「三草藩陣屋址」(石古勲元社町長書)と彫られています。この地は元三草小学校の敷地でしたが、その前は三草藩陣屋があったところです。 郷土史家の吉田省三先生の『播州三草藩史』によれば、陣屋がつ…

旧三草小学校跡の忠魂碑

加東市上三草にあるやしろ国際学習塾の敷地の北東の角に忠魂碑が高くそびえています(写真)。碑の正面土台のところに英霊のご尊名を刻んだ銅板が安置されていたので見てみると、約130柱の御名が刻まれていました。最も古いものは明治10年の西南の役で…

木炭配給-社町木炭配給実施要綱②

昨日につづいて、昭和17年度の社町木炭配給の実施要綱(「自昭和十七年一月至昭和十九年拾月 常会協議事項綴 社部落常会長」)を紹介します。 つづき 四、配給所ハ通帳及同控ニ整理番号配給所名記入ノ上通帳ヲ役場ニ返還シ通帳控ヲ整理番号順ニ綴リ保存ス …

木炭配給-社町木炭配給実施要綱①

戦時中の物資不足のもと、配給制度が行われていましたが、この歴史ブログでもさまざまな物資の配給事例を紹介してきました。今回は、「自昭和十七年一月至昭和十九年拾月 常会協議事項綴 社部落常会長」に綴じられている昭和17年度の社町木炭配給の実施要…

住吉神社の宝暦の石燈籠

2月1日、加東市秋津(常田)の住吉神社に参拝しました。江戸時代初期に建てられたという本殿や随身門は歴史的価値も高く、市の文化財に指定されています。境内は静まりかえっていました。随身門の前の石燈籠に気がひかれ、その建立年をみてみると、「宝暦十…

吉井の道標-電柱の脇に

1月31日、加東市吉井の住吉神社辺りを車で走っていると、曲がり角の電柱の脇にいかにも道標らしき石柱が立っているのが目に入ってきました。車を止めてそばに寄ってよく見てみると、長い年月の間、寒暑にさらされてきたためか表面は字も読み取ることがで…

昭和16年-入営応召(帰還)者ノ歓送(迎)等ニ関スル要領②

昨日に続いて、昭和16年(1941)12月、社町役場から出された「入営応召(帰還)者ノ歓送(迎)等ニ関スル要領」(「自昭和十七年一月至昭和十九年拾月 常会協議事項綴 社部落常会長」)の紹介をします。 (ホ)入営・応召者ニ対スル家族、知己等ノ附…