2016-06-01から1ヶ月間の記事一覧
昨日に続いて、戦時中の配給に関する通知を紹介します。家庭用の砂糖とマッチの入荷、配給に関する通知です。砂糖もマッチも日常生活に欠かせないものですが、こうしたものを手に入れることも難しくなっていたことが伝わってきます。 昭和十九年二月二十三日…
NHK朝の連ドラ「トト姉ちゃん」では、戦時下のきびしい国民生活のようすがえがかれています。物資の統制、配給は、乏しい物資をできるだけ公平に国民にいきわたるように細かく配分されていました。 昭和18年(1943)当時の社町社区の購入券配給書類…
26日(日)の午後、加東市の社公民館で「やしろ歴史民俗研究会」の研究会が行われました。 テーマは「木梨神社(こなしじんじゃ)について」。宮司の廣畑孝行さんが木梨神社の由緒や神社にまつわる民話などについて話されました。 木梨神社は加東市藤田に…
26日(日)、加東市立福田小学校の体育館で福田地区の敬老会が行われました。会場は高齢者の笑顔が溢れていました。 安田市長が会場に来る前に、学校のすぐ南にある平池公園(加東市東古瀬)の大賀ハスを見てきたという話をされました。ちょうど梅雨の晴れ…
昭和14年(1939)2月、陸軍の貸付予備馬の借受希望者に関する通知が社町長から各区長宛てに出されています。(自昭和13年4月至14年2月、社区事務所の諸通達綴) 戦時の写真などで軍馬が使われている場面を見ますが、そうした軍馬の予備馬を貸し…
21日(火)、加東市上滝野の闘龍灘は雨で増水し水も濁っていました。夕方の暗くなる前でしたが、激流を見ていると、一羽のアオサギが流れに近い岩の上に立っているのが目にとまりました。 朝のウォーキングでよく見かけるアオサギですが、ここにも居るんだ…
戦中の昭和18年(1943)7月の加東郡社町(現在の加東市社小学校区域)の戸数、人口に関する通知が当時の社町社区の配給関係の書類綴に綴じられています。 当時の配給の個数や量の基準となっていたのは、戸数や人口でした。社区には21の組(町内)が…
昭和14年(1939)1月の末、社町長(旧社町、今の社小学校区)から町内の主だった方面に「遺骨出迎え」に関する通知が出されています。 昨日は帰還兵出迎えに関する通知でしたが、このように遺骨となって無言の凱旋をする郷土出身兵も多く、その出迎え…
支那事変から3年目を迎える昭和14年(1939)1月、大陸に派遣されていた郷土兵の帰還出迎えに関する通知が当時の社区の通達綴に綴じられています。 出迎えは佐保神社(加東市社)前。播丹鉄道バスでの帰着の予定で、続いて社前で帰還奉告祭が執り行わ…
5月の加東市花と緑のまつりに加東エコ隊からいただいたゴーヤと友人からもらったゴーヤが順調に成長しています。 そのうちの一本はもうすぐ窓の高さに届きそうです。友人からもらったゴーヤは前年に保育園児が育てたゴーヤの種を採って発芽させたもので、こ…
18日(土)の夕方午後6時30分頃、加東市高岡の国道372号を加西市に向かって車を走らせているとき、西の空にかかった雲の一部が虹色に光っているのが見えました。 彩雲とよばれるもので、ときどき見かけますが、ちょうど赤信号で停止したのでカメラを…
18日(土)の早朝、わが家の田圃でアオサギを撮りました。今年は、周囲の田圃は豆なので、水の入っているのはわが家の田圃だけ。その畦に一羽のアオサギが立っていました。 反対側の道路に車を止めてそっとシャッターを押しました。きっと朝食を食べにきた…
この写真は6月3日の午前6時、加東市社の市街地の東に広がる田圃で撮影したものです。 ちょうど、水を入れたばかりの田圃でまぶしいばかりの朝日を浴びながら歩くアオサギを見つけました。さっそくカメラを取り出しシャッターを押しました。そのときの写真…
加東市社の社中央公園のステラパークには、十二星座のモニュメントがあります。平成5年(1993年)に開催された「やしろ星の彫刻国際シンポジウム」で制作、発表された黄道12星座のモニュメントです。 写真は、その一つ、おうし座で、作者は隋建国さん…
12日の午後から雨になりました。神戸からの帰り、ほぼ田植えが済んだ田圃と雨。梅雨の景色です。 さて、梅雨の頃といえば紫陽花。わが家の紫陽花は今年はほとんど花をつけませんでした。去年の剪定がまずかったのでしょう。朝のウォーキングでは紫やピンク…
11日(土)、加東市河高の交流センターで河高地区のお宝展が開催されました。 同地区では、地区の歴史を本にまとめようとの取り組みが進められており、その成果の一部を「お宝展」として公開したものです。 河高地区には市内で最も古い古代遺跡をはじめ、…
明治館のアオサギは今朝も濃い朝日をからだいっぱいに受けて、大屋根や杉の木の枝にとまっています。 加東市社の市街で一番高い木は佐保神社の大ケヤキでしょう。そして、明治館は加古川の河岸段丘で一段高くなっている市街地面の南端にあり、西側に広がる低…
9日(木)、神戸から加東へと車を走らせ、呑吐ダムを過ぎた頃、背後に虹が出ているのに気付きました。 しばらく走り、車を止めてシャッターを押しました。夕日はもう地平線近くまで落ちていました。その日を映すように、空いっぱいに大きな虹がくっきりと出…
加東市社の社中央公園ステラパークには、12星座の彫刻があります。社町時代の平成5年(1993)、星の彫刻展・国際シンポジウムが開催され、世界各国の彫刻家が12星座をイメージした彫刻を制作し、展示されました。 モニュメントはステラパークの円形…
7日(火)、午前5時頃、わが家の田圃で田植えをしました。私の仕事は田植機で植えている隣の専業農家の先輩の手伝いなので、苗や肥料を運んだりするだけで、田植機が動き出すとひまになってしまいます。 畦を歩きながら、用水路を堰いている砂袋を見ている…
6日(月)の朝、登校見守りから帰ってくると、家の外で家内の悲鳴が聞こえました。何事かと急いで出てみると、指をさしたその先にヘビがいました。 ビンや空き缶などのごみ出しに行った帰りに家の側溝の草を引いていて、ヘビに遭遇したのでした。 これはこ…
梅雨入り直前の加東市社中央公園の朝の景色を紹介します。 社中央公園は、社市街地の東、環状線から市役所、図書館のある台地面につながる傾斜のある公園で、中央に金屋谷池があります。ステラパークと名付けられた円形の広場には、屋外ステージもあり、さま…
4日(土)の早朝、ウォーキングで加東市社の明治館(元加東郡公会堂)広場の忠魂碑に立ち寄ると、明治館の大屋根の上にアオサギがとまっているのが目に入りました。 明治館は大正元年に建てられた加東郡の公会堂(旧加東郡、現在の加東市、小野市域)でした…
3日(金)の朝、午前5時40分頃、すでに日は昇り、寒く感じるほどの朝の空気を吸い込みながらウォーキングをしました。 社小学校から東へ抜けていくと、視界が一気に広がり、遠くに三草山を望むことができます。その背後には清水寺のある御嶽山や丹波の山…
昭和13年4月~14年2月までの諸通達を綴った社区事務所の文書綴の中に、郷土出身兵の遺骨出迎えの通知が綴じられています。 支那事変が長期化し、国内においても戦時体制が整えられていった時代のことです。 昭和十四年一月二十八日 社 町 長 各官衙長 …
朝のウォーキングでは、加東市社の持寶院大師殿にお参りするのが常になっています。このブログでもよく紹介してきました。その東隣に阿弥陀堂があり、お堂の前には、井戸と手水石があります。手水石に刻まれた字を読んでみると、「施主 當町住人 玉屋長左衛…
昭和18年(1943)当時の社区(現在の加東市社)の文書綴に、一枚の手紙が綴じられていました。 読んでみると、銃後団の慰問に対する親族からのお礼状のようでした。この歴史ブログでは、戦地の郷土兵への慰問に関する文書を紹介してきましたが、今日は…