2014-08-01から1ヶ月間の記事一覧
昭和3年(1928)、現役兵入営の奉告祭が佐保神社(加東市社)で行われています。入営するのは西垂水の人です。西垂水は佐保神社の西にある地区で、佐保神社の鎮座地をさがして一晩立ち明かしたといういわれのある立明し明神が祀られていることでも知ら…
先日、兵庫県社総合庁舎で道路愛護の知事感謝状、県民局長感謝状の贈呈式が行われました。県道沿いの花づくりや草引き、清掃などの自主的活動に長年取り組み功績のあった団体に贈られるものですが、道路愛護に関する戦前の資料があります。 昭和2年(192…
昭和2年(1927)、加東郡元公会堂(現加東市明治館)で、海軍軍事講演会が開催されています。講師には海軍大尉が招聘されており、その案内が当時の社(現加東市社)の雑書綴に綴じられています。写真は現在の明治館です。 昭和弐年五月十二日 社町分会…
昭和2年(1927)の社町社の雑書綴に全国時計歴史展覧会開催に向けて時計等の出展依頼の通知が綴じられています。6月10日は「時の記念日」で、兵庫県でも社町(現加東市)でもさまざまな行事が行われていますが、社町では花火の打ち上げ、消防の警鐘…
戦時中の配給では、家庭用油も配給でした。昭和17年(1942)7月、社町長から各区長宛てに家庭用油購入券の送付に関する通知が出されています。家族人数構成により購入券の配布が決められています。この通知には、各部落每の人数構成と購入券の枚数を…
大東亜戦争開戦直前の昭和16年(1941)11月のはじめ、社町経済更正委員会から各部落区長あてに衣綿の配給に関する通知が出されています。冬を迎える頃、小さい子供と高齢者優先で綿を配給するというものです。 昭和十六年十一月九日 加東郡社町経済…
戦時中の配給に関する資料を紹介しています。来年は終戦70年の節目の年ですが、先の戦争の時代を体験された世代は少なくなってきています。私は占領が終わったあとの昭和28年生まれですから、占領時代のことさえ体験していません。ただ、小さい頃には身…
戦時中の物資配給に関する書類を綴じた、社町社区(現加東市社)の購入券配給書類綴の中に、昭和17年(1942)10月に出された、高野(豆腐)と海苔の配当割当に関する通知があります。高野の配給にあたってはその経緯や割当家庭、海苔の配給に関する…
昭和12年(1937)9月15日、北支で日中両軍が衝突し、緊張が高まる中、県下全域で防空演習が行われ、燈火管制が実施されています。その通知が当時の社区事務所(現加東市社)の諸通達綴に綴じられています。現在では、防災訓練が行われていますが、…
昭和12年(1937)7月27日、元加東郡公会堂(現加東市明治館)で、軍人を講師に招いて、7月7日に起きた盧溝橋事件(北京郊外、日本軍と中国の軍との衝突)についての時局講演会が開催されています。主催は社町役場、後援在郷軍人会社町分会で、講…
18日(月)の夜、加東市山国の観音堂前で盆踊り、花火大会が行われました。初盆供養の伝統行事として大切に続けられている行事です。 会場では、地区役員さんをはじめ、老人会、女性会、子供会、消防団など地区の皆さんが総出で、駐車場案内、司会進行をは…
昭和11年(1936)の社区事務所(現加東市社)の諸通達綴の中に、神社の樹木の愛育に関する通知が綴じられています。鎮守の杜として神社の樹木は今も大切にされていますが、戦前、その愛育について県の学部部長からの通知を役場として出しています。通…
終戦から69年が経ちました。毎年終戦の日が近づくと当時を振り返る話題がテレビなどで放送されます。しかし、当時のことを体験として語ることができる人は年々少なくなってきます。ただ、私達は当時のことを記録した文書などで知ることもできます。この歴…
昭和17年(1942)、どてらなどに入れる綿の配給が行われています。当時の社町社区(現加東市社)の配給関係書類綴に綴じられた通知を読んでみると、数量が少ないため、満1才未満と60才以上の高齢者を優先して配布するように、と記されています。 昭…
台風11号が兵庫県を通過した10日の朝咲いた我が家の蓮。風雨に耐えて、翌朝にはその純白の花びらを広げて咲いてくれました。脚立を立てて、上から覗いてみました。今年は葉も背が伸びて一段と大きく成長しました。八重の白い蓮。記録しておきたくなりま…
昭和8年(1933)、社の元加東郡公会堂で、納税啓発講演会が開催されています。当時の区長雑書綴に綴じられた社町長から区長宛てに出された通知によれば、「浪花節入講演会」となっており、多数の来場促進を依頼しています。元加東郡公会堂は現在、明治…
今から72年前の昭和17年(1942)の夏、氷砂糖の配給に関する通知が出されています。通知は社町社区(現加東市社)の配給に関する通知類を綴じた中にあり、慰問用として配給され、但し、内地と南方派遣兵には慰問できないと記されています。この通知…
戦時中の物資配給に関する通知や資料を綴じた社町社区(現加東市社)の書類綴の中に「薄病院」の用箋に書かれた「証明書」が綴じてありました。薄病院は社市街地にあった病院です。鶏卵の配給については、この歴史ブログで紹介してきましたが、当時は貴重な…
10日(日)、台風11号の風雨が吹きつけるわが家の庭で蓮の花が開こうとしていました。昨夕、風に備えて茎が折れないように紐で支えをしておいたのですが、心配でした。 この蓮は3年連続花をつけています。真っ白い八重の花です。一日中激しい風と雨に打…
昭和17年(1942)2月といえば、大東亜戦争が勃発してから2ヶ月余りが経った頃ですが、当時の配給関係文書を綴った社町社区(現加東市社)の文書綴の中に、精肉の配給に関する通知が閉じられています。配給は戸数、人口などを基礎に行われていました…
昭和9年(1934)2月、社町長から各区長、補習学校長、青年団長宛に国民高等学校生徒募集についての通知が出されています。これは、当時の社町社区(現在の加東市社)の区長雑書綴にとじられていたものですが、国民高等学校という名称に馴染みがなかっ…
昭和16年(1941)の3月、加東郡社町(現加東市立社小学校区)から区長宛てに家庭用綿縫糸の購入券の配布に関する通知が出されています。購入券は各家庭当一枚となっており、添付されている各組配当表には組の戸数の枚数が記入されています。当時は縫…
昭和8年(1933)の秋、陸軍の秋季演習が行われ、143名分の食事の燃料代と味噌汁代が社町社(現加東市社)の12軒に支払われています。その書類が当時の区長の雑書綴に綴じられています。1軒あたり、7~15名分の主食を炊き、味噌汁をつくって提…
昨日に続き、戦時中の昭和17年(1942)の配給に関する資料を紹介します。今日は冠婚葬祭用の醤油の特別配給についての県からの通知です。結婚式、葬式には一回に醤油を一升一合を特別に配給するというものです。通知は回覧されており、各組長の印が押…
今日も戦時中の配給に関する資料を紹介します。昭和17年(1942)、米の特配に関する通知が社町長から各区長宛てに出されています。社町に3石(約450キロ)の特配があり、それを未成年の子ども3人以上がいる家庭と妊産婦に配分しています。通知文…
今日も戦時中の配給制度に関する資料を紹介します。昭和17年(1942)、子供の菓子の配給について、社町長から各部落長に対して配給基準や割当が通知されています。各部落每に0-4才、5-13才、14才以上の家族人員を調査し、子供の人数に従って…
今年も毎朝各所でラジオ体操が行われています。朝、6時30分が近づくと、公民館や学校の運動場に子供やお年寄りが集まってきてラジオから流れる元気な声を聴きながら体操を行います。まさに日本の夏休みの光景です。 このラジオ体操が始まったのは、昭和3…