2012-12-01から1ヶ月間の記事一覧
昭和10年(1935)1月、郷土社町(旧社町、現在の加東市立社小学校区域)から入営する兵隊の奉告祭が佐保神社で行われています。社町社区事務所「往復文書綴」に社町長から町会議員、区長宛てに出された通知が綴じられていました。通知には、入営者の…
大正15年(1926)の末、社町(旧の社町、現在の社小学校区域)で加東郡畜産組合主催の肥牛品評会が行われることになり、その相談を社町の松葉(料理旅館)でしたいという案内状が「雑書綴」(社町社)に綴じられています。 「松葉」は今も加東市社の商…
今年も残すところあと4日になりました。今から78年前の昭和9年(1934)の今日、12月28日付で、社町長から昭和10年の新年を祝う会の案内状が出されています。当時は小学校で新年の式があり、続いて郡公会堂で祝賀の会が行われていたようです。…
写真は平成25年の佐保神社暦です。佐保神社は加東市社にある北播屈指の大社で、その秋祭りは北播三大祭りに数えられています。図柄は、今秋の瑞神門修復記念の祭りに宮入した神輿と5台の太鼓屋台(新町、上中、東古瀬、上組、下組)の勇姿と大門地区の獅…
今から86年前、大正15年(1926)の4月、社区(現在の加東市社)の評議員会が開催されています。その案内状が「雑書綴」に綴じられています。案内状は、社事務所の専用事務用箋に毛筆で書かれています。 協議内容の中に上町大師殿上棟奉祝が挙げられ…
大正14年(1925)5月23日、兵庫県の但馬地方北部で地震が発生し、豊岡や城崎などで大きな被害が出ました。この震災は北但大震災とよばれていますが、被災地救援の義捐金募集に関する記録が「社町社区長 雑書綴」に綴じられています。 大正拾四年五…
大正14年(1925)の「社町社区長 雑書綴」の中に、評議員会の協議事項を記した文書が綴じられていました。その中には、昨日のブログで紹介した県立社高等女学校の移転新設負担金の件や社地区にある上組(かみぐみ)と下組(しもぐみ)の屋台太鼓の倉の…
大正14年(1925)の秋、10月24日、県立社高等女学校の講堂で兵庫県畜産組合聯合会の主催で、肥育牛に関する講話会が開催されています。 このような催しは、社町では元加東郡公会堂で開催されることが多かったようですが、女学校の講堂で開催される…
昭和4年(1929)の夏、佐保神社(加東市社)では、現役兵の退営奉告祭が行われています。社町長から社区長宛てに出された通知が雑書綴に綴じられていました。軍の兵役につくために入営し、そして期間をつとめ退営する。その入退営には郷土の神社で奉告…
昭和11年(1936)、郷土から現役兵として入営する兵士の見送りに関する通知が社区事務所の諸通達綴の中に綴じられています。 輜重兵とは輸送部隊の兵のことだと聞いています。出発地の社の三階前は、現在の加東市社の市街地の南の佐保神社の参道に近い…
ふるさと加東の歴史再発見のブログですが、今日は隣の三木市細川あたりにあるコンビニの駐車場から見える「私の好きな景色」を紹介します。 神戸への道すがら、コンビニの駐車場に車を置くと、西側の見上げる位置に枝を丸く広げた一本の木があり、その根元に…
昭和13年(1938)の春、社小学校(現加東市立社小学校)の卒業式の案内状が社区事務所の諸通達綴に綴じられています。74年前のことですから、この年に卒業された方はまだ居られる筈。その案内状はガリ版刷りの候文。写真は社小学校の講堂(西校舎)…
昭和12年(1937)の夏、元加東郡公会堂(現、明治館、加東市社)で畜産組合主催の映画会が開催されています。場所は公会堂広場となっていることから、野外での映画会だったようです。朝のウォーキングで明治館を通りますが、75年前の夏に夕涼みがて…
昭和11年(1936)の社区事務所(現加東市社)の諸通達綴に「至急」の通知が綴じられています。内容は台風情報で、社町役場から各区長宛てに発せられています。夜には風雨が強まるという警報ですが、当時はこうした形で情報の伝達が行われていたんです…
今日14日は赤穂義士討ち入りの日。加東市では家原の観音寺で義士の法要が営まれるほか、剣道大会や中学駅伝大会が開催されることになっています。夜は社市街地の明治館で落語会も開催されます。甘酒の接待や豪華景品のくじ引きもありますので、ぜひお越し…
昭和11年(1936)の社区事務所(現加東市社)の諸通達綴に、2月20に実施された衆議院議員選挙の実施に関する通知が綴じられています。当時の選挙がどのように行われていたかの一端を知ることができます。投票時刻の開始や終了には消防によって警鐘…
昭和11年(1936)の社区事務所(現加東市社)の諸通達綴に当時の社町長だった大橋實次氏(のち日本運送社長)が有力者に宛てた書状が綴じられていました。その中に、日本無線の受信所を社に誘致することに失敗したことを詫びる内容がありました。小野…
昭和2年(1927)の11月23日、佐保神社(加東市社)で新嘗祭が行われています。戦後は「勤労感謝の日」と変わりましたが、新嘗祭は、天皇陛下がその年に収穫された新穀を天地の神々にお供えし、自らもそれをお食べになる宮中儀式でした。即位後最初…
昭和2年(1927)の師走16日付で、「社町分会」から映画会の案内が出されています。分会とは在郷軍人会の分会のことだと思いますが、文中にある佐保座は社にあった劇場で、現在の加東市社の銀座通り、兵庫県信用組合辺りにありました。 御案内 社町分…
今から84年前の昭和3年(1928)、社小学校長から社区の区長宛ての書状が社区の「雑書綴」に綴じられています。ひらかなまじりの文で、当時の他の通知文などとくらべると何か堅苦しさがないような文体のように感じます。寄付の件と他町村へ仕事に行っ…
7日(金)朝、冷え込みました。北海道では暴風雪などのニュースが流れて強い寒気が大陸から流れ込んでいるということでしたが、朝、庭に出てみると、甕の水が凍っていました。そばの南天の赤い実が凍って筋が入った氷に映えて「冬」の朝を感じさせてくれま…
今から73年前の昭和14年の年頭に入営する郷土兵の奉告祭が佐保神社で行われました。支那事変勃発から2回目の新年を迎えたばかりでした。社町長から発せられた奉告祭の通知には、17人の名前が記されています。その中には町内の方で知っている名前もあ…
昭和14年(1939)、支那事変が勃発してから2回目の新年を迎えていました。郷土から出動した兵隊さんの帰還の出迎えに関する通知が社区事務所(現加東市社)の諸通達綴に綴じられています。出迎えの場所は佐保神社前の道路となっています。ウォーキン…
12月に入ると加東市社の商店街や家原の交差点辺りには義士祭の幟が立てられ、ああ、もうすぐ義士の討ち入りかと気がそわそわします。 加東市家原の赤岸(あかぎし:赤穂義士がなまった地名とも)の観音寺には、赤穂義士四十七士の墓碑があり、毎年義士祭が…
余ほど嬉しいんでしょう。加東大橋の開通を祝して今日も写真を紹介します。半世紀ほど経ったときにこの一枚の写真も貴重な歴史を伝える一枚になるはずです。10時からの開通式の前の加東大橋の西詰から東を向いて撮った一枚です。逆光になりますが、開通式…
2日(日)、加東市を流れる加古川の歴史に新しい一頁が加わりました。国道372号野村河高バイパスが開通し、新しく加東大橋が架けられたのです。前回投稿のブログで紹介したとおり、江戸時代には野村と対岸の安取の間に渡し船が往来していました。それが…
明日12月2日(日)、国道372号野村河高バイパスが開通します。そして、加古川には福田橋の少し下った場所に新しく加東大橋が架けられました。 ところで、加東大橋は初代の福田橋から数えて4代目にあたる新橋となります。以前にこの歴史ブログで紹介し…