2014-05-01から1ヶ月間の記事一覧
昭和7年(1932)、天理教青年会の社支会と婦人会の社委員部長名で教会本部への団体参拝、見学への参加依頼を紹介していますが、今日は、その行程を記した部分を紹介します。 文中のボーギー車とは、台車が回転するようになっている鉄道車両のこと。また…
昭和7年(1932)2月、天理教青年会の社支会長、同婦人会の社委員部長名で天理教教会本部への団体参拝と見学への協力願が当時の社区長文書綴に綴じられています。今日はその協力依頼文を紹介します。 粛白 旧春の砌 貴兄姉益々御勇健の御状邦家の為め大…
昭和7年(1932)3月16日の社町区長会で、「三笠保存講演映画会」の開催について協議されています。言うまでもなく、三笠は日露戦争の日本海海戦で勝利した日本の連合艦隊の旗艦です。 当時の雑書綴に綴じられている区長会協議事項には次のように記さ…
NHK朝の連ドラ「花とアン」では、明治から大正時代の甲府の貧しい農家の暮らしぶりが描かれており、学校へ行けない子供や子守をしながら通う子供、弁当も持っていけない子供もいました。 昭和初期、6年(1931)に貧困家庭の児童に就学奨励金を交付す…
24日(土)、加東市花と緑のまつり「花卉盆栽展」が加東市社のステラパークで開催されました。会場には市内各種団体のブースが並び、見事なさつきの盆栽だけでなく、味覚も楽しめました。 こうしたイベントに毎回顔を見せているのが、県立社高校の生活科学…
加東市民病院は家原地区の千鳥川沿いにありますが、県道567(旧国道175)線に架かる明治橋の下流側に病院の北駐車場があります。 ちょうど日の出のあと、この辺りをウォーキングで歩いていると、入口に少女の躍動的なポーズの像がありました。市内には…
5月24日(土)、加東市立三草小学校で恒例の「ふれあい茶摘み」が行われました。毎年この好季節の伝統行事とあって楽しみに参加しています。 茶畑は、三草小学校の校舎南側の日当たりのよい斜面に広がっています。半世紀余り前、まだ当時は三草中学校でし…
昭和18年(1943)4月、配給制度の下、精肉の配給についての通知が当時の社町社区の文書綴りに綴じられています。社町長から各区長宛てに出された通知には、「誠に少量」「配給も困難」という文言があり、その割当量は4戸強に50匁となっています。…
嬉野台地の西端近く、加東市の新庁舎が聳え、その白亜の姿が新緑や青い空にまぶしく映えています。 その北側の傾斜地に駐車場が整備され、旧372号からも駐車場に入ることができるようになりました。その入口に4本の石柱が建てられています。車で走ってい…
5月は、一年を通して最も爽快な季節です。山々は新緑に輝き、田圃は田植えの準備で活気が戻り、ため池には満々と水が湛えられ、生命の躍動が漲っている季節です。 そんな5月の早朝、空気が澄んだ朝には、社中央公園の金屋谷池の堤の上からは、北から西、そ…
19日(月)の早朝、ウォーキング中の社中央公園の桜の木の根元近くに蘖(ひこばえ)が生えているのに気がつきました。そのうちの1本の根元に花が2輪咲いていました。もう5月も下旬に入り、田植準備もできたこの時期に桜が咲いているとは驚きでした。 足…
19日(月)、今日も朝から快晴です。日の出直後に歩き始めました。だんだん日の出時刻が早くなるので早起き者にはまるで競争のようになってきます。 だいぶ日が昇ったころに佐保神社(加東市社)に着き参拝します。参道辺りは昨日、地元の社5区の皆さんが…
昭和16年(1941)、政府米の払い下げがあり、購入希望者の取り纏めに関する通知が信用購買組合から各区長に出されています。今の豊かな食生活からは考えられない戦時下の厳しい生活を知ることができます。私達の父母はこうした時代を乗り切ってきたの…
昭和16年(1941)の10月、日米開戦の直前の頃、配給制の下、地下足袋の配給に関する通知が出されています。社町から各区長に宛てた購入券配給に関する文書類の中に綴じられているもので、農林水産用、一般民需用、警防団用に分類されています。通知…
昭和17年(1942)当時の社町社区(現在の加東市社)の配給制に関する文書の中に菓子の配給に関する通知があります。これまでにもさまざまな物資の配給についてこのブログで紹介してきましたが、NHK連ドラの「ごちそうさん」でそうした場面が放映さ…
昭和13年(1938)、社小学校(現加東市立社小学校)の校庭で、青年学校の軍事教練の査閲が行われることになり、その案内状が当時の社町社区事務所の諸通達綴に綴じられています。 拝啓 時下初秋の候愈々御健勝の段奉賀候 扨来る九月二十八非(水曜)午…
支那事変勃発から3年目を迎える昭和14年(1939)1月末、当時の加東郡社町出身の兵士が遺骨で無言の凱旋をしています。その通知が当時の社区事務所の諸通達綴に綴じられています。 通知には出迎えの場所を示した略図が添えられており、柏木病院(佐保…
戦前の昭和13年(1938)、社町(旧社町、現在の加東市立社小学校区域)では、防空用電気カバーの共同購入の申し込み書が当時の社区の諸通達綴に綴じられています。当時、防空訓練がさかんに行われ、燈火管制などきびしく点検されていました。そうした…
旧道などを車で走っていると、古い商家や倉庫などの壁に昭和を思い出させる懐かしい酒などの看板が残っているのを目にします。特に酒屋さんの店頭にはいくつもの酒の看板が並んでおり、懐かしい銘柄を発見することもあります。 加東市社の田町通りに酒屋さん…
4月29日からだいぶ日が経ってしまいましたが、昭和4年度の昭和4年度社区協議費収支決算報告書(社町社区長「昭和五年四月 雑書綴」)の続きを紹介します。警鐘台の移転、社警察署の溝工事、薄病院、新池埋立といった当時の社区のまちづくりのようすを知…
この季節、早朝ウォーキングは気分も爽快になります。ちょうど日の出が午前5時25分頃なので、時間を合わせて家を出ると、日の出を拝むことができます。 寒気が入って冷えたここ数日、加東市社の自宅から市街の北を流れる加古川の支流、千鳥川沿いの道に出…
加東市畑の朝光寺の本堂は室町時代初期の和洋と唐様の折衷様式を代表する建築として国宝に指定されています(昭和29年)。いつも、その堂々たる存在感に圧倒されますが、5月5日の大般若経転読法要・鬼踊り法会の日には、檀家女性による御詠歌、転読法要…
朝光寺の国宝本堂の脇に鐘楼があります。この鐘楼は国の重要文化財に指定されており(昭和29年)、鎌倉時代末期の建築様式を伝える貴重な建造物だということです。 その姿が何ともいえず上品な感じを受けるのは、屋根の曲線、下層部の袴の曲線、そして、上…
5月5日のこどもの日、加東市畑の朝光寺では、恒例の鬼踊り法会が行われました。この日は「晴れ」のはずでしたが、朝から雨が降り、本堂前での鬼踊りが危ぶまれました。しかし、昼前には小降りになり、直前に少しぱらついたものの、法会が始まる頃には上が…
5月5日(月)、加東市天神の一之宮神社の再建300年を祝う行事が行われました。一之宮神社の歴史は古く、素盞鳴尊が地方を巡見の折りにこの地で休憩された跡を祀ったことに由来し、また、椅鹿寺の鎮守の社であったとも言われています。 さて、今から30…
5月3日(土)、新緑がまぶしい五峰山光明寺で花まつり法要が営まれ、多くの人が訪れました。五峰山には4ヶ寺の塔頭寺院があり、それぞれの寺院で甘茶の接待や寺宝の公開などが行われ、訪れた人々はお釈迦様に甘茶をかけて祈りました。 昨年から花はじめの…
闘龍灘を見下ろす闘龍スクエアに阿江与助像が建てられています。5月1日には川開き神事、そして3日には鮎まつり、そして夜の大花火が行われ、多くの人出で賑わいます。加古川舟運の祖と呼ばれ、滝野を代表する郷土の先人、阿江与助を紹介します。次の文は…
昨日、加東市上滝野の闘龍スクエアの水神社を紹介しましたが、その玉垣の側に一本の石柱が立っています(写真)。 石柱には「魞簗類漁業鮎筧 自三月十五日至八月七日」と刻まれています。「魞簗」は「えりやな」と読み、筧漁のことをいうそうです。筧漁は筧…
5月1日(木)、まぶしい日差しで加東市上滝野の闘龍灘の岩場も白く光っています。そして、一昨日来の雨で少し増水した滝には白波が唸りをあげて水しぶきを上げていました。 今日は、この加古川でいち早く鮎漁が解禁となる日で、待ちわびた釣り人達が岩場に…
昨日紹介した秋津住吉神社は加東市常田にありますが、その参道に石鳥居が立っています。 背の高い鳥居で、見上げるところに建立年が刻まれていました。元禄十五壬午年正月吉祥日とあり、西暦1702年。元禄15年といえば、そう、12月14日赤穂義士討ち…