2011-05-01から1ヶ月間の記事一覧
清水寺は日本最初の観音霊場として開かれ、歴代天皇によって堂宇が建立されてたことを紹介してきました「清水寺誌」(昭和32年刊)。推古天皇、聖武天皇、そして行基など歴史の教科書に出てくる天皇や人物の名が連なっています。今日は、さらに平清盛や源…
今日は「清水寺誌」(昭和32年刊)から、大講堂の建立について紹介します。 清水寺の大講堂は、これがまたすごいことに、聖武天皇の勅によって創建されたと伝えられています。その経緯は次のとおりです。 清水寺に行脚した僧行基が、聖武天皇に日本最初の…
加東市平木の御嶽山清水寺の山号寺号の由来を「清水寺誌」によって紹介しましたが、今日は、清水寺の根本中堂の造営についての話を紹介します。 推古天皇は仏教を深く信仰し、御嶽山清水寺が日本最初の観音霊場であることを聞き、勅願をもって金堂を造営され…
昨日に続いて、清水寺(加東市平木)の「清水寺誌」(昭和32年刊)から、寺の縁起を紹介します。 今から約1900年前のころ、大陸から飛来した法道仙人がこの峰に降り住み、祈ったところ、「真無観世音菩薩」と刻まれた大石が出現し、この地が日本最初の…
5月9日のブログで紹介した「清水寺誌」(昭和32年発行)には、清水寺の縁起や大正の大火からの再建、赤松氏範討死の話などが掲載されています。 清水寺は西国25番札所として知られ、多くの参拝客が訪れる天台宗の名刹ですが、その縁起について、あらた…
加東市高岡の旧道沿いに一本の古い道標が立っています。もう草が伸びて下部は見えなくなっています。表面もところどころ剥がれて刻まれた文字もはっきり読み取れません。 それでも側面には、文政八年と刻まれています。西暦1825年にあたるので、今から1…
加東市役所社庁舎がある嬉野台地の西端には、市役所を中心に、税務署、福祉センター、公民館、体育館、保健センター、ケーブルテレビ局、武道館、保育園、中央図書館、さらにみのりJA本店などの公的施設が集中していて、いわば加東市の中心となっています…
14日(土)、恒例の茶摘みが行われる市立三草小学校を訪問しました。茶摘みには残念ながら参加できないので、朝早く行ってみますと、茶畑では校長先生はじめ、先生や保護者、地域の方々が草刈り機のエンジン音をうならせて準備作業にあたっておられました…
加東市秋津(常田地区)の県道沿いに草葺きのいかにも古いお堂があります。この前に紹介した秋津百石踊りが行われた住吉神社のすぐ近くにあります。このお堂が秋津の薬師堂で、兵庫県の重要有形文化財にしていされています。 説明板の解説によると、室町時代…
先日、加東市高齢者大学の開講式の記念講演で、ドイツ人の僧侶、ネルケ無方師のお話を聴きました。演題は「心の主食」。ご自身の経歴や現在の生活のようすについて話されたあと、日本人は主食である米を食べる割合が低くなって、その分、おかずを多く食べる…
ここに昭和32年4月18日発行の清水寺誌があります。B6判、58頁の小冊子です。表紙下に「当山開創壱千三百三十年記念法要 開扉特別号」と印刷されています。 清水寺は、約100年前の大正2年(1913)の山火事で全焼してしまいましたが、大正時…
加東市上滝野の旧市街の路地を歩いていると、ブロック塀の前に一本の道標が建っていました。車が入れない道で、たまたま歩いていて出会った道標に思わず嬉しくなってシャッターを切りました。 道標には「善導大師千二百五十年御遠忌記念」「右 野間谷 左 光…
5月5日(木)、こどもの日に加東市畑(はた)の国宝朝光寺では伝統の大般若経転読法要、鬼踊り法会が行われました。 大型連休で一番天気がよかったこの日、朝光寺周辺の山々は新緑がまぶしく光っていました。昼頃には寺に続く道路に訪れた人の車が数珠つな…
5月3日(火)、加東市秋津の住吉神社境内で、この地に古くから伝わる雨乞い踊りの百石踊が奉納されました。 境内には多くの人が見物に訪れ、宮司さんの説明を聞いたあと、百石踊りが始まりました。 秋津百石踊は、「旱魃の時には住吉神社の神前で踊って雨…
加東市社の街にまた新しい風景が加わりました。それは、社区裁判所。道路に面して新庁舎が建てられました。元は県立社高等女学校があった場所です。前の庁舎は道路からだいぶ奥にありましたが、その前庭に新庁舎が建てられています。 社には国や県の機関が昔…
以前、この歴史ブログで上福田村の忠魂碑を紹介しましたが、その時に近所にお住まいの方のお話として、占領中は砂場の下に埋められ、講和独立後の昭和28年(1953)に掘り出して再建されたということでした。 敗戦、そして占領中に忠魂碑が土中に埋めら…
4月のはじめに「私たちのふる里 曽我の歴史」と題した140頁の冊子をいただきました(写真)。町づくりの一環として、地区の歴史、風習、行事、昔の思い出等を一冊にまとめて発行されたものです。 神戸新聞にも紹介されましたが、曽我地区の古い歴史を町…