ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

2009-08-01から1ヶ月間の記事一覧

昭和17年-石鹸の配給で文化率考慮

衆議院議員選挙は、民主党の圧勝、自民党の歴史的な大敗という結果に終わりました。「まず政権交代」は実現したわけですが、圧勝に奢ることなく、国民の真の願いに応えるべく、この国と国民の命運を背負って責任ある政治を行っていくという姿勢をもってやっ…

昭和17年-釘も配給

昨日に続いて、戦時中の配給について紹介します。社区(今の加東市社)の配給関係書類綴には、配給物資、配給方法、数量等が詳細に記入された書類が綴じられています。 昭和17年(1942)、家庭用の釘の購入券送付についての通知が社町経済更生委員会長…

昭和17年-シンガポール陥落を祝い清酒の特別配給

昭和17年(1942)2月、アジアにおけるイギリス軍の根拠地であるシンガポールが陥落。それを祝って、清酒が特別に配給されるという通知がありました。この通知は『購入券配給書類 第壱号 社町社区』(自昭和十五年十二月至々十八年三月)の中に綴じら…

大正15年-忠魂碑の除幕式

加東市社の市街地の南端に明治館(元加東郡公会堂)がありますが、その敷地に忠魂碑が建っています。この歴史ブログで何度か紹介してきましたが、その除幕式に関する案内が社区の『雑書綴』に綴じられています。 社町分会(帝国在郷軍人会)から区長宛に出さ…

昭和2年-田町大黒屋旅館で慰労会

写真は現在の田町(たまち)通りです。かつて社(加東市社)で一番賑やかだったといわれる田町筋ですが、今は商店の数も数えるほどに減り、その面影はほとんどありません。 その田町筋に「大黒屋」という名の旅館があったと聞いていましたが、今もその屋号で…

緑の水田に映える石鳥居-木梨神社

秋の気配が感じられるようになった今日この頃、車を走らせていると、緑一色の中にすくっと白く光る鳥居が立っている風景が目に飛び込んできました。その透明感に思わずはっとするような神々しさを感じました。鳥居と稲。背景に竹。ちょうど赤信号で車を停止…

昭和17年-報国薪の供出

昭和15年~18年の社町社区(現加東市社)の配給関係の書類綴の中に、昭和17年(1942)の年末の「報国薪」供出についての通知が綴じられています。 社町長から各区長宛に出されたもので、各部落の農家戸数も記されています。 昭和十七年十二月二十…

昭和17年8月-翼賛選挙回覧の裏紙に肉配給の知らせ

昭和17年(1942)8月、8月分の精肉配給に関する通知が社町長から区長宛に出されています。その紙は、町村会議員選挙の回覧の裏紙が使われていました。長引く戦争で物資が不足していた当時の状況がよく伝わってきます。 表の精肉配給に関する通知は次…

昭和18年12月8日-大東亜戦争開戦2周年祈願祭

昨日紹介した『社町役場ヨリノ書類綴』に「至急」の朱印が押された一枚の通知が綴じられています。 日付は昭和18年(1943)12月6日。内容は2日後の大東亜戦争開戦2周年の日の祈願祭の実施についてです。通知によれば、佐保神社で祈願祭、全戸国旗…

昭和18年-佐保座で新聞社主催の遺家族慰安会

社区(現加東市社)の『昭和十七年以降 社町役場ヨリノ書類綴』に昭和18年(1943)10月2日に開催予定の新聞社主催の遺家族慰安会への入場券配布依頼文章が綴じられています。 会場は社の佐保座となっています。佐保座は今はもうありませんが、社の…

昭和10年-佐保神社で満期退営兵奉告祭

昨日は、64回目の終戦記念日でした。早朝、明治館のそばにある忠魂碑の前で英霊の御霊に感謝の祈りを捧げました。忠魂碑の脇の碑には、大東亜戦争で戦死した二人の叔父の名前が刻まれています。明治館から歩いてすぐの佐保神社の境内も静寂につつまれてい…

昭和18年-勤労奉仕隊員家族の慰安映画会

8月15日の終戦記念日を迎えました。毎年特別な思いをもって迎えるこの日ですが、今日は社区(現加東市社)の『社町役場ヨリノ書類綴』(昭和十七年以降)に綴じられている勤労奉仕隊員家族の慰安映画会に関する書類を紹介します。 映画会は元郡公会堂、現…

昭和10年の天長節-社小学校で拝賀式と青年団競技会

昭和10年(1935)の4月29日、天長節(天皇誕生日)に社尋常高等小学校講堂では拝賀式が挙行され、また校庭では社町体育後援会の発会式ならびに青年団の第十六回競技大会が開催されています。その案内が社区事務所の『往復文書綴』に綴じられていま…

昭和10年-佐保神社で入営者の奉告祭

昭和九年十一月~同十年十月の「往復文書綴」(社町社区事務所)の中に入営者の奉告祭の通知が綴じられています。町長から議員や区長に宛てたものですが、佐保神社で奉告祭を行って社駅から各部隊に向かったのです。昭和10年(1935)ですから、今から…

昭和7年夏の健康週間

今から80年余り前の昭和7年(1932)の夏、健康週間が実施され、無料診療などが行われています。その通知が『社町社区長 雑書綴』に綴じられています。 昭和七年八月十九日 社町長 区長及衛生組長 各種諸団体長 健康週間実施ニ関スル件通知 毎年施行セ…

東条湖の60周年

8月1日、東条湖畔のレストランで東条湖60周年記念式典が行われました。大雨が降る中、式典、写真展示、立ち退き者等の懇談等が行われましたが、会場の外に広がる東条湖は長雨で満水に近い状態になっており、この時期のダムの景色としては珍しいものでし…

昭和9年-社の盆踊り

昨日は昭和7年(1932)の盆踊りについて、父の日記から紹介しましたが、2年後の昭和9年(1934)の日記を読んでみると、盆踊りの日が違っていました。昭和7年は8月15,16,17日の3日間、佐保神社境内で行われていますが、昭和9年は8月…

昭和7年-佐保神社で盆踊り

7月から8月にかけて、市内の各地区では夏祭りや盆踊りが開かれています。父の日記を読んでいると、昭和7年8月15日に盆踊りことが書いてありました。盆踊りは佐保神社で15、16、17日の三日間にわたって行われていたことがわかりました。70数年…